私の知人に「彼が好きと言ってくれない」と悶々と悩んでいる女性がいる。彼の部屋に泊まったり、一緒に彼の行きつけの店に出かけたりしていて、人から見ればどう見ても交際中の仲なのだけれど、彼女は「彼が付き合ってと言ってくれないからまだ恋人ではない」とこだわっている。いちいち言葉にしなくて安心できる方法はないだろうか。
シャイな日本男性
海外の男性はそれこそ毎日のように、女性に愛情を表現する人も多いそうだ。結婚後も「今日も綺麗だね」「愛してるよ」などという声かけを欠かさない男性もいるらしい。けれど日本人男性はシャイだからなのか、なかなか面と向かって肝心な言葉を口にできない場合がある。なので、女性のほうも「私は彼女なの?それとも遊び?」などと不安になってしまうのだ。
けれど日本人がシャイなのは昔からだ。昭和のころなど「言わなくてもわかるだろう」という暗黙のニュアンスで、男は語らず、という雰囲気だったはずだ。それなのに昭和の女性は「私は彼女?」と悩む人ばかりではなかった。それは日本人特有の「以心伝心」や「阿吽の呼吸」があったからだ。
認定ねだり
しかし平成の女性は「彼が好きと言わない」と大騒ぎをする。彼と男女の仲になり、半同棲状態になってもなお「私は彼女?」と悩んでいる。そしてフられたら怖いから自分からはとても聞けない、というのだ。どんなに燃え上がっている恋人同士であってもいつかは終わる時が来るのだし、いちいち関係に枠をつけなくてもいいのではないだろうか。
彼の態度を見て、好かれているかどうかわかるでしょうと言っても「私と会うと嬉しそうだけど、その場だけかもしれないし」などとくよくよしている。どうしても「告白された認定」がないと安心できないのだ。これは彼の問題ではなく、彼女の心の弱さに問題があると私は思った。
消えた直感力
児童文学『アンモナイトの森で 少女チヨとヒグマの物語』(市川洋介・著/学研プラス・刊)には、森の動物たちと心を通わせることができる少女・チヨが出てくる。彼女はヒグマの気配を感じることができるし、彼らが「入って来るな」と縄張りをしているところには近づかない。もちろん動物たちとは言葉を交わすことができないので、直感で察しているのだ。
この直感力が、現代人はかなり薄れていると私は思う。彼とは「おはよう」から「おやすみ」まで1日何十回もLINEでやり取りしているのに、肝心な一言が出てこないと不安でいてもたってもいられないのはとてもアンバランスだ。その何十回ものやり取りの中に、相手を気遣う愛情などが漂っていることが見えない、もしくは見ようとしないのだ。
心が通じる方法
「彼はあなたがそんな気持ちでいるのを知ったら、悲しくなるんじゃないかしら」と私が言うと「彼がかわいそう?かわいそうなのは好きと言ってもらえない私のほうですよ」と彼女は反発した。でも話を聞いていると、彼は友人知人に彼女を紹介したり、彼女が行きたい場所に連れて行ったりなど、十分恋人として大切にしているようにも見える。それなのに彼女は「好き」という言葉がないということだけにとらわれすぎて現状を冷静に分析できていないのだから、私は彼のほうに同情してしまった。
『アンモナイトの森で』では、チヨはヒグマの立場を尊重し、決して邪魔をしないように十分な配慮をしていた。そんなチヨだからこそ、森の中でバッタリヒグマに出くわしても免じて逃がしてもらえるのだ。彼女も、彼の気持ちを少しでも想像できたら、ここまで気持ちをこじらせることはなかったのではないでしょうか。「彼の気持ちを考えたことなんてないです。私は好きと言ってもらいたいだけなんで」といつまでも突っ張っているのは、とてももったいないことだと思う。
私が彼女に「付き合っているかどうかでくよくよ悩むヒマがあったら、彼と一緒に過ごす時間を精一杯楽しくすることだと思う。楽しければ彼はあなたとの関係を続けるのだし」と言うと「そうですよね。楽しくやります!」とやっと彼女はうなずいた。目の前の彼に集中することで、少しずつ以心伝心ができるようになるといいなと思っている。
【書籍紹介】
アンモナイトの森で 少女チヨとヒグマの物語
著者:市川洋介(作)、水野ぷりん(絵)
発行:学研プラス
明治期の北海道開拓地を舞台に、アンモナイトの化石をめぐり、自然の中で育った少女と周囲の大人たちとで織り成す感動のドラマ。少女の忠告を無視してヒグマが潜む地域に足を踏み込んだ調査隊に、悲劇が待ち受けていた。第18回小川未明文学賞大賞受賞作品。