編集者といえば「作家の原稿を〆切直前までガマンして待っている人」というイメージがある。
もちろん、編集者の仕事は「原稿取り」だけではない。「執筆の依頼」も仕事のひとつだ。「誰に書いてもらうか」は、本の質や売上に大きくかかわる。なるべく人気作家に書いてもらいたい。だが、たとえ大手出版社の編集者であっても、依頼してかならず引き受けてもらえるとは限らない。
原稿依頼の達人がいる。その名は、見城徹(けんじょう・とおる)。幻冬舎の創業者であり、数々のベストセラーを世に送り出してきた現役の文芸編集者だ。
返事がもらえない手紙を送りつづける
見城さんはベストセラー請負人だ。新卒1年目で30万部を超えるベストセラー本を世に送り出している。当時は無名だった「公文式算数」をあつかったものであり、いまや世界中に普及している『KUMON』が広く知られるきっかけになった。
成功に酔いしれることなく、その勢いで見城さんは角川書店に転職した。1970年代の角川書店は横溝正史ブームで業績を伸ばしていたが、ほかの老舗出版社にくらべると、作家からは軽んじられがちだった。
見城さんは、「角川書店とは仕事しない」と宣言している作家たちに、あえて原稿を依頼しつづけた。
直木賞作家・五木寛之の場合。はじめは相手にされなかったが、見城さんはひたすら本の感想を書いて、たとえ返信がなくても手紙を送りつづけた。すると「18通目に返事がきて25通目で初めて会うことができた」という。
いちど結びついた見城さんとの絆はつよく、五木寛之は「幻冬舎」の名付け親であり、300万部のベストセラー『大河の一滴』(幻冬舎)の著者でもある。
代表作を全文暗記する
芥川賞作家・石原慎太郎の場合。見城さんは、代表作を全文暗記して本人のまえで読み上げてみせた。さすがの閣下も「まいった」と思ったらしく、つきあいが始まる。もともと見城さんは、学生のときから石原慎太郎の愛読者だった。けっして、その場しのぎではない。
その後、角川書店を退職した見城さんが幻冬舎を立ち上げたとき、現職の国会議員だった石原慎太郎がみずから足を運んで「もし俺にまだ役に立てることがあるなら、何でもやるぞ」と声をかけてくれたという。100万部超のベストセラー『弟』(幻冬舎)の誕生秘話だ。
出版直前で「中止してくれ」と言われたら……
ユーミンこと松任谷由実の場合。例によって信頼を得て、自伝的エッセイを出版することになった。本のタイトルは『ルージュの伝言』(角川書店)だ。
しかし、さあこれから印刷するぞという段階で、ユーミンが「本は出せません」と申し出た。売れっ子ミュージシャンの単なるきまぐれではない。曲の神秘性を大切にしたいという誠実なアーティストとしての懇願だった。
そのあと見城さんが説得して『ルージュの伝言』は1983年に発売された。発行部数は150万部。ミリオンセラー本の多くはたいていブックオフで入手しやすいのだが、この本を見かけることは少ない。国民的スターであるユーミンが直前に出版拒否したという「いわくつき」の1冊なので、手放さないファンが多いのかもしれない。
伝説の編集者は第一線で活躍中
見城さんが世に送り出したものはミリオンセラーだけではない。
あの尾崎豊の信頼を得て処女出版をなしとげたり、覚せい剤取締法違反で逮捕されたあと見捨てずに復活劇を陰で支えていたのも見城さんだ。歌謡曲の作詞家だった銀色夏生に本を書くようすすめたのも見城さんだ。彼女の詩集は、角川文庫で数百万部の売上を記録している。
無名時代の中上健次になぐられても金を貸して、のちに芥川賞の副賞で返済してもらったというエピソードもある。当時キワモノ扱いでエッセイストだった林真理子に小説を依頼したのも見城さんだ。のちに直木賞作家になったのはご存じのとおり。さらに、ミリオンセラーになった郷ひろみ『ダディ』や唐沢寿明『ふたり』を仕掛けたのも見城さんだ。ほかにも、数十万部レベルのヒット作ならば紹介しきれないほどある。
まさに「生きた伝説」といってもよい数々の偉業をなした見城徹という編集者は、何かのまちがいで司馬遷の『史記列伝』に載っていても違和感がないと思う。『編集者という病い』は伝説のプロローグ(序章)にすぎない。
(文:忌川タツヤ)
※画像はイメージです。本文とは関係ありません。
【文献紹介】
編集者という病い
著者:見城徹(著)
出版社:太田出版
僕はこうやって生きてきた――出版界に大旋風を巻き起こす見城徹(幻冬舎社長)の仕事・人生の総決算の書。 「顰蹙は金を出してでも買え!」 「薄氷を薄くして踏み抜け」 など過激なスローガンを掲げて見城徹が創立した幻冬舎は、驚異的成長を続け、沈滞する文芸出版界に強烈な衝撃を与え続けている。 その総帥の著者が、半生の生き方と仕事の仕方を振り返り、 七転八倒と感動と苦悩の日々を惜しみなく書き綴った類希な人生の書。 勇気と感動、悲惨と栄光、この本には人間の情動のすべてが詰め込まれている。 尾崎豊との出会いー仕事ー別れに始まり、坂本龍一、石原慎太郎、村上龍、五木寛之、中上健次、松任谷由実、など綺羅星の如く並ぶ物書きたちとの深い交流とドラマチックな日々。 現役の編集者が作家たちの素顔をここまで踏み込んで書いたことはないだろう。 誰よりも深い劣等感を抱く著者が、誰にも負けない努力と情熱を傾けて戦い続けた日々を感動的に描き出す、人生記録の白眉がここに誕生した。 老若男女に関わらず、表現と文学と感動にこだわるすべての人々への無上の贈り物。