古くから読み継がれている「自己啓発書」といえば、処世術を説いた『菜根譚』、心身の健康法を説いた『養生訓』が有名です。そのほかにも、知名度は劣りますが『修身録』という隠れた名著があります。
『江戸時代の小食主義』(若井朝彦・著/花伝社・刊)は、小食の効用を説いた『修身録』の現代語訳ガイドブックです。
「食欲に勝てる人」は出世しやすい
立身出世ができるかどうか、みずから知りたいと思うのであらば、まず食を減らしてみて、毎日それを厳重に守れるかどうかを見定めればよい。これが容易な人は、かならず立身出世も容易であろう。
(『江戸時代の小食主義』から引用)
『修身録』の著者・水野南北(みずのなんぼく)は、江戸時代中期の人です。相者(そうじゃ/占い師)として名を馳せました。京や大坂を拠点にして、1千人を超える門人がいたと伝えられています。
小食主義といっても、「1日1食」や「昼メシ抜き」を勧めるものではありません。
『修身録』を要約するならば、「食べすぎないと決めて、それを守り続けられる人は出世する」という内容です。現代では「マシュマロ・テスト」として知られています。幼少期における「食欲の自制力」と「将来の社会的成功」には相関がある、という研究です。
『修身録』を書いた水野南北は占い師ですが、スピリチュアル要素はありません。あくまでも実体験と洞察にもとづいて、説得力をそなえた「人生の道理」を説いています。
小食がなぜ運を良くするのか?
分限よりも大食をする者は、生涯、立身出世がない。(中略)ただ倹約を守り、日々天より授かる食べ物を、たとえわずかでも先へと残して、これを立身出世の元手足代とするよりないのだ。
(『江戸時代の小食主義』から引用)
現代では、何か食べたければ「お金」が必要です。「食べ物=金銭」の等式が成り立ちます。つまり、食べすぎなければ「お金」を残すことができます。
ムダに食べすぎた数百円の積み重ねが、やがて数万円になります。不摂生のせいで仕事を失った人が、数万円の家賃を支払えなくなり、ついに生活拠点まで失うことは珍しくありません。食べすぎる(未来を先食いする)ことは、めぐりめぐって「運の尽き」につながります。
『修身録』は、その名のとおり「身を修める」ための心がけを諭しています。著者の水野南北は、「時間の使い方」について本質的なアドバイスを述べています。
朝寝の弊害について
およそ朝寝をする者は、生涯の七分を寝て暮らし、一分を飲食のために費やし、さらに一分を物見遊興に過ごし、やっと残り一分の日夜で稼ごうとするけれども、これで立身出世があるはずがない。
(『江戸時代の小食主義』から引用)
1日は24時間です。「七分」とは「七割」のことですから……約16時間。大げさではありません。惰眠をむさぼろうと思えば、いくらでも布団の中でゴロゴロできるからです。
アラームで目覚めたのに、すこしだけ眠ってしまう。毎日15分としても、積み重なれば数年分になります。人生は有限です。たとえ小食を守っても、朝寝や二度寝にかまけるならば、他人との競争に勝てるはずがありません。
食べすぎない「おまじない」
「小食」が立身出世に役立つことはよくわかりました。しかし、現代には「おいしい食べ物」があふれています。食べ放題のビュッフェやバイキングにおいて、食べすぎないための「おまじない」を紹介します。
なお慎みがたき時は、飯一椀を以て雪隠の屎中に落しみるべし。たとへ人面獣心の者といへども、これを屎中に捨つること能はず。(中略)慎み悪しき人は、日々食物を雪隠に捨つるがごとし。恐るべき事なり。
(『江戸時代の小食主義』から引用)
雪隠(せっちん)は、江戸時代におけるトイレの呼称です。汲み取り式のボットン便所。屎とは、食べ物のカス。わたしたちが排出する「アレ」のことです。
「飯一椀を以て雪隠の屎中に落し」とは、「ごはんを便器のなかに捨てる」という意味です。大酒暴食とは、必要のない栄養をむさぼることです。吸収できなかった栄養は排出されます。それは食べ物を「雪隠の屎中に落し」ているのと同じことです。食べすぎそうになったら、この理屈を思い出しましょう。
『修身録』の著者は、「まず三年、食を慎んでみよ」と説いています。それだけ自制できれば、何らかの成果を感じることができるはず。お試しください。
【書籍紹介】
江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く
著者:若井朝彦
発行:花伝社
貝原益軒『養生訓』と並び立つ指南書『修身録』。現代にも通ずる「小食主義」の神髄に迫る。壮年に至って一念発起し人相学を極め、大家として千人を超す門人を誇り、教訓の宝庫である著作を残した江戸時代の怪人・水野南北。食を通じて見定めた健康、立身出世、開運、富……人生を左右する「小食主義」とは?