医師が書いた本、というと、どういった本を想像しますか? 特定の病気の治療法に関すること、健康を促進するもの、ダイエット方法、長寿の秘訣……。ところが今回のゲスト、稲葉俊郎さんによる『いのちを呼びさますもの ――ひとのこころとからだ――』(アノニマ・スタジオ)は、そうした想像とはまったく異なる本です。
この本に深く感銘を受けたというブックセラピストの元木 忍さんが、その実像に迫ります。
『いのちを呼びさますもの ――ひとのこころとからだ――』
1728円/アノニマ・スタジオ
芸術と医療との関係、創造することと生きること、人間とはなにか? 命とはなにか? についてをつぶさに教えてくれる。西洋医学だけでなく伝統医療や代替医療など幅広く医療を修める稲葉さんだからこその一冊。よりよく生きるためのヒントが見つかるはず。
“さわりたい”という欲求を刺激する本
元木 忍さん(以下、元木):私、この本、暗記するぐらいに読み込みたいと思っているんです。それほど、お書きになっているあれこれに共感しています。私の知りたいことがすべて詰まっているような。……まずは、装幀が美しい!
稲葉俊郎さん(以下、稲葉):ありがとうございます。「ずっと大切にしたい」「贈り物にしたい」と思ってもらえるような、たとえ古書店でも“命を保つ”本にしたいと思いました。
元木:どうして“赤”にしたのですか? 命を象徴するから?
稲葉:血液をイメージしているというか。それにしても、この色について、いろいろな感想をいただいておもしろいですよ。
元木:血液ですか! 本そのものが“生きている”って感じがします。稲葉さんも、この装幀をとても気に入っていらっしゃるのでは?
稲葉:はい。デザイナーさんと一緒に進めさせてもらいました。一般に、商業出版という本の場合、いろいろと決められていることが多いと思うんです。
元木:あれをやっちゃいかん、これをやっちゃいかん、というような?
稲葉:ええ。ですが、制約があるとはいえ、一作目はきちんとこだわって、関わった全員の作品にしたかった。
元木:“剥がせるバーコード”という発想にも驚きました。私だけじゃない、出版業界にとってもコレ、革命ですよ。
元木:ところで、うちのお店(東京・南青山の元木さんが営む「brisa libreria」)に来ていただいたことがあるんですよね。なぜですか?
稲葉:ただ、なんとなく(笑)。ウワサに聞いていたんです、おもしろい本屋さんがあるよ、って。
元木:なんとなく。うれしいなぁ(笑)。うちでは「生まれてから死ぬまで」というコーナーをつくっていて。ココ、私の興味がいちばん深いテーマなんですが、稲葉さんの、この本はまさにドンピシャでした。そもそも、この本をつくるきっかけは何だったんですか?
稲葉:一番は3.11、東日本大震災ですね。医療の現場で働いている自分として、いろいろと気持ちが切り替わった。医療の転換期というのを感じたときに、自分の立場や考えを明確に表明したいと強く思いました。批判も受けることを恐れてはいけない、と。講演をするようになると、“造形としての本”が好きな自分が、本づくりに携わりたいと。
元木:私も3.11がきっかけで、あの店をつくったんです。店のコンセプトと稲葉さんが書いていらっしゃること……重なっていることが多くて共感しています。それにしても雑学が豊富ですし、たくさんの人々が登場しますよね。
稲葉:はい。「人間が生きているということ自体の全体性」「いろいろなことを同時に抱えながら生きている人間は尊いんだよ」ということを伝えたくて、だから、たくさんの方を紹介しました。
元木:ところで、稲葉さんは、どんな子どもでした?
稲葉:感受性の高い子でしたね。カラダが弱くて、ちょっとした変化に敏感。「この場所に長くいたくないなぁ」というのを察知していました。
元木:今も?
稲葉:「嫌だなぁ」と思ったらすぐに帰る(笑)。それをわざわざ言わないですけれど。でも、みんな本当は感じているけれども、表面的な人付き合いを優先させるか、自分の身体感覚を優先させるか、天秤にかけているんです。
元木:ああ、なんとなくわかります。
稲葉:無理を強いられる社会ですが、もっと自分自身の身体感覚を優先させるべき。
元木:たしかに。でもこのところ、「少しでも自分らしく生きる」という空気になってきていますよね。
稲葉:そうですね。戦後の焼け野原からここまでやってきて、「物質的な満足が幸せである」という過程を経て、「ちょっとそれは違うんじゃない?」という時期にさしかかってきたんでしょうね。日本人は“長いものに巻かれ”がちなので、自分の感受性をもっと大切にしたほうがいい。
元木:じつは今日、たくさんのレコードを持ってきてくださっていて。ちょうど今、LPのA面が終わったところです。久しぶりにレコードを聴きましたが、なんというか“間”がいいですよね。
稲葉:CDは、音楽が“行ったきり”なんです。でもレコードは盤をひっくり返すことで戻ってくる。本も同じだと思っていて。電子書籍だと“終わり”がわからないけれど、ページをめくる書籍だと「あ、もうおしまいだ」「おわっちゃう」と思いながら読み進められるんです。
元木:同感です! 会社員時代に電子書籍をつくっていた私が言うのもなんですが、デジタルって頭に入ってこないのです。脳科学的にも証明されているのでしょうか?
稲葉:ページをめくるだとか、レコード盤を返すというような、つまり身体感覚が伴わないデータは定着しない、脳の浅いところにしか入らないんです。
元木:紙の触感とかインクの匂いとか……そういうこと、本には大切ですよね。
稲葉:だから、この本は“さわりたくなる素材感”を追求しました。
元木:書店さんでパッと目を引きましたもの。たまたま出雲大社の近くの、老舗の書店さんを訪れて、「えー、なんだこの本は!!」と。お伊勢参りして気持ちが研ぎ澄まされていたから(笑)、余計に興奮しました。はじめにもお話ししましたが、暗記するまで読みたい!
稲葉:ありがとうございます(笑)。音楽を聴きながら書いたので、“音楽のように読んでほしい”と思っています。ある人から、ベストセラーをつくるコツは「ふだん買わない人に買わせること」と言われて、けっこうショックを受けたんです。このコツは一面の真理だと思いますが、それはまったく意味のない、数字上のトリックに過ぎないとも気づいたんですが。
元木:んー……。でも、せっかく買ってくださったのなら、ちゃんと読んでほしい!
稲葉:最初のページからじっくり読まなくてもいい。ふわーっとした意識の流れで読むことができる。何度も言いますが、音楽のように読んでもらいないな。
元木:どこからめくっても読めますよね、文章にもリズム感があって。
稲葉:この本は、「部分と全体」がテーマになっています。全体は部分によって構成されるけれど、その部分は全体のためにあるというような。表と裏……だからどこからでも読めるんです。
目的を決めれば、辿り着くアプローチはなんでもいい
元木:小さいときから感受性が強く、敏感だったという稲葉さんですが、医師というご職業を考えられたのはいつからですか?
稲葉:高校生のときです。
元木:東大を目指したのは?
稲葉:東大を目指すという気持ちの前に、漠然と東京に行きたいと思っていました。絵や音楽など文化的なことをするには上京するしかない、と。高3のときに、親が横浜にいる親戚の家に連れて行ってくれたんです。そのとき、東大にも行ってみたところ、入った瞬間に「僕はここにいるぞ!」と思ったんです。もう、そこから猛勉強しました(笑)
元木:高校3年の決意! それで東大に間に合いましたか?
稲葉:一日、12時間勉強しました! でも、「ここに行く、東大に入る」と決めれば、あとはそこに行くために、どんな準備をするのか、を考えればいいんです。
元木:どういうことですか?
稲葉:今の人って、「東京に行く」と漠然と思う人が多いんです。でも、東京というのは抽象的な場所に過ぎない。目的地が明確にすることが大切。目的地がわかっていれば、そこにたどり着く手段はどうでもいいし、時間がかかってもいい。そこに行けばいいんです。
元木:たしかに、同感です! 東京に行く、東大に入ると決めてがんばった稲葉さんが、お医者さんを目指したのはいつ?
稲葉:それは高校2年のときですね。なにを職業にするかを悩んで。アート系に進みたいと思ったけれど、一生続けたい職業ではないだろうと。ではなにか? と考えたところ、プロとして仕事するのは医療だと。でも、根底には、創造して美しいものをつくるというのがあって。医療とものづくりをすり寄せて、今、こうなっています。
元木:われわれが知っているお医者さんというと、基本、西洋医学で。病院に行くと、薬を飲む、手術するというのが医療になっています。放っておいたら治ることでも、西洋医学は「治す」、自然治癒は「治る」。稲葉さんは、お医者さまになった最初から、自然の力と医療の力とを分けていた?
稲葉:生きている以上、人間には治癒力があって、それを助けるのが医療だろう、と思っていました。でも実態(医療業界)はむしろ逆で、自然治癒力が根底にあることはあまり重視されなくて、「壊れた時計をどう修理するか」という世界で話が進んでいる。ここに違和感があって、僕はそうした異なるふたつの世界をすり合わせたいと思った。
元木:稲葉さんがおっしゃる「治る」と「治す」、私はとても腑に落ちて……。同じ病院の先生たちとそういう会話はないのでしょうか?
稲葉:けっこうしています。医者になって10年目ともなると、意外に人間は不自由なもので、考え方が変わらないんですが……、研修医や学生らは理解してくれる。僕は、学生のゼミのサポートもしているので、次の医療を担う人たちと、凝り固まった人たちとの蝶番のような役割になりたい。僕にとって、医療のイメージは広くて、文化、芸術、音楽も含めて医療だと思っている。そうしたものが、人を元気にする、希望をもたらしてくれるんだということを、若い人たちに伝えたいですね。
多様化する時代にどう生きていくか?
元木:稲葉さんならではの健康法があれば教えてください。
稲葉:毎日、ごはんを3回食べる。そういうことを大切にしたい。そして、一日に3回ぐらいは、文化的なもの、自分の心の深いところに接するようにしています。本や漫画を読んで、絵画を見て……などできるだけ毎日しています。
元木:カラダも大切だけれど、まずは心からですね。
稲葉:なによりも心の健康がベースになっています。呼吸も大事で、僕は能楽を習っていまして。腹から声を出して息を吐くというのがいい呼吸法であり、トレーニングにもなっています。
元木:能楽! 呼吸といい、姿勢や動き方といい、心身にとてもよさそうです。そんな多趣味な稲葉さんですが、今の、日本の社会をどう思って見ていますか?
稲葉:人類の流れの必然のヒトコマとして見ています。人類が誕生して、いろんなところへと歩いて拡散して、言語、文明、宗教をつくって……そうしたなかに今がある。科学技術が発達して、人間の欲望……相手を支配したいという欲のなかで、戦争が起きて。そして核というものを生み出してしまった。それに核の技術は、地球を滅ぼす可能性があって……。でもそれも人類が生まれたなかで、必要なヒトコマなんです。人間って、それだけ深い業を背負わないと反省しないんでしょう。
元木:うーむ、なるほど。では、社会はよくなっている?
稲葉:相対としてはよくなっている。差別とか、絶対王政とか奴隷制などは改善されて、飢餓で死ぬ人も減ってきていますよね。
元木:たしかに。でも、世の中は二極化している気がします。どんどん進化して、心ないものばかりが主流となるなか、反面、農業をやりたいという若者が増えていますし。
稲葉:多様化していますね。じつは、この本は「多様性と調和」をテーマにしています。人はなんのために生まれてどこに向かって行くのか? 自分がどういう未来を夢見て、どっちを選択するのか? 相手を否定するのではなく、肯定しながら調和のなかで生けるのか? 美的な感覚や感性が調和を磨いていくと考えていて、なるべく美しいものを見て、つくりたいと思って、そうしたことを感じることができる人が増えたほうが、いい社会になると思います。
元木:納得です。
元木:この本のテーマでもありましたので核心に迫りますが、稲葉さんは、「命」をどう思っていますか?
稲葉:受け継いできているもの。一般に、自分が生きていることが“命の働き”と思われていますが、その前提となる……親、さらには人類の祖、その楔や糸は切れたことがありません。その全体が命であって、その流れのなかに自分がいるんだと思います。
元木:つないで、受け取って、受け渡すもの、それが命なんですね。さて稲葉さんは、この本を、どんな人に読んでもらいたいですか?
稲葉:今の社会では、感受性が強い人ほどダメージを受けると思っています。引きこもりになったり、病気になったり……と。でも、その感受性が強いということは「間違っていない」「勇気と自信を持ってほしい」という思いで書きました。人生に絶望しているような人にこそ、読んでほしい。絶望していると感じる、あなたの感性がすばらしいと自覚してほしい。楽しくやって、この世を謳歌して、絶頂期を生きている人はそのままでいいです。でも、なにかがおかしい……体調や心に違和感がある人に読んでほしいですね。
元木:見た目の美しさに惹かれて手に取って、ページをめくる。読めば読むほど、また、どこから読んでも、琴線に触れるはず。今まで見たことのなかった本です。はやく第2弾をつくってください!
【プロフィール】
医師 / 稲葉俊郎(左)
1979年熊本県生まれ。医師、医学博士。東京大学医学部医学科卒業、東京大学医学系研究科内科学大学院博士課程を卒業。現在、東京大学医学部付属病院循環器内科助教。専門はカテーテル治療、先天性心疾患、心不全など。在宅医療往診も行う。東京大学医学部山岳部監督、涸沢診療所(夏季限定山岳診療所)での山岳医療も兼任している。
https://www.toshiroinaba.com/
ブックセラピスト / 元木 忍(右)
ココロとカラダを整えることをコンセプトにした「brisa libreria」代表取締役。大学卒業後、学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)とつねに出版に関わり、現在はブックセラピストとして活躍。「brisa libreria」は書店、エステサロン、ヘアサロンを複合した“癒し”の場所として注目されている。
brisa libreria http://brisa-plus.com/libreriaaoyama
取材・文/山﨑 真由子 撮影/泉山 美代子