人生は有限です。与えられた時間は限られています。現代社会では、お金と時間を切り離して考えることはできません。
『奴隷の時間 自由な時間』(ひろ さちや・著/朝日新聞出版・刊)という本があります。欲望の奴隷にならないための心がけを説いている1冊です。
「働く」だけが仕事ではない
仕事には二種類があります。
一つは、金を稼ぐための仕事です。
もう一つは、人間としての大事な仕事で、具体的に言えば「老いる仕事」「病む仕事」「死ぬ仕事」です。
(『奴隷の時間 自由な時間』から引用)
こちらの都合にお構いなくやってくるもの。それが「仕事」というものです。
「病気」や「老い」や「死」は、思いがけないタイミングでやってきます。金儲けがうまい人であっても、いざ病気になったり余命宣告をされたとき、ビジネスライクに要領良くやり過ごせるでしょうか? そんな人は、おそらく少数派でしょう。
一病息災。治る病気ならば、ネガティブに考えずに、乗り切れば成長できる仕事だと考えましょう。
わたしたちは、「死ぬ」という一世一代の大仕事をやりきるために、さまざまな経験をします。そのように考えれば、あらゆる困難もムダではないことが理解できます。
1日のうち、何時間を売るべきか?
わたしたちは二十四時間のうちの何時間かは売りに出さねばなりません。
(『奴隷の時間 自由な時間』から引用)
ほとんどの人は、時間を切り売りすることによって、生活の糧を得ています。費やした時間に対する見返り(報酬)は、人それぞれです。なかには、使い切れないほどお金を稼いでみせる人もいます。
先に述べたとおり、資産を増やすことだけが「仕事」ではありません。本書『奴隷の時間 自由な時間』の著者は、「いちばん愚かな人は、24時間の大部分を売り払ってしまった人だ」と述べています。欲張りな人は、いつまでも満ち足りることがないからです。
そのような生き方について、わかりやすいたとえ話があります。「人にはどれほどの土地がいるか」というロシア民話です。
命を売り払った人の末路
広い土地が欲しいと思っているパホームが、一日千ルーブリで土地を売ってくれる村に行きます。(中略)千ルーブリ払えばその人が一日のあいだに歩いて回った土地が全部自分のものになるというのです。
ただし、一日のうちに出発点まで戻って来ないと、いくら歩いてもゼロになってしまう。そういう条件がついています。
(『奴隷の時間 自由な時間』から引用)
たくさんの土地が欲しい男(パホーム)は、必死になって歩き回りました。そして、夕日が沈むまでに出発点まで戻ってくることに成功します。
しかし、ゴールを迎えたあとすぐに死んでしまいます。土地欲しさに生命力を使い果たしたからです。せっかくゲットした広大な土地は、その男の墓地になりましたとさ。
この「人にはどれほどの土地がいるか」というエピソードは、『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)』に収録されているものです。欲に目がくらんで、手に余るほどの利益を期待して、時間や心身の健康を売り払ってしまうと、どうなってしまうのか? わかりやすい教訓です。
「魔法の財布」にこだわりすぎない
将来・未来というものは魔法の財布です。その魔法の財布を捨てたとき、われわれは現在を生きられるのです。
(『奴隷の時間 自由な時間』から引用)
現在を「犠牲」にすれば、将来に「利益」を得られる。いつか報われる、やがて得をする日が来る。たしかに、未来には「無限の可能性」があります。まさに「魔法の財布」です。一見すると、正しい考え方ですが……。
実際はどうでしょうか? 努力が報われるとは限りません。先に紹介した「たくさんの土地を欲しがった男」は、せっかく努力をしたにもかかわらず、見返りを得られないまま死んでしまいました。
死ぬのは極端だとしても、得ることができる利益(パイ)の大きさや量には限りがあります。全員がお腹いっぱいになることはできません。頭が良い人たちが、食べきれないにもかかわらず奪ってしまうからです。ふつうの人に勝ち目はありません。
未来や将来という「魔法の財布」に期待するあまり、「いま」この瞬間をおろそかにしていませんか?
「その日暮らし」といえば悪い印象がありますが、きょう「その日」を楽しく過ごせなければ、たとえ懐が暖かくても、心は冷えきったままです。お試しください。
【書籍紹介】
奴隷の時間 自由な時間
著者:ひろさちや
発行:朝日新聞出版
欲望(お金)の奴隷になった人は、「奴隷の時間」で人生を終えます。人生の幸福は、「現在」を大事にすることにあります。将来の利益のために、現在を犠牲にするのは最悪の生き方。あらゆる宗教が、現在を大事に生きよと教えています。仏教、キリスト教、イスラム教の教えからひろさちやが説く、良質な人生を過ごすための「お金と時間」とうまく付き合う智慧。