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歴史
2018/8/15 17:48

終戦記念日にカントの言葉から戦争と平和について考えてみる――『永遠平和のために』

8月15日、73回目の終戦記念日を迎えた。

 

今は亡き実家の母親は、ポツダム宣言受諾を申し入れ無条件降伏したこの日のことをいつもこう語った。「玉音放送を聞いてから、家に帰って布団を敷いて寝たの。もう空襲がないから安心して眠れるって思ったからね」と。

 

母にとって、平和とは空襲警報に怯えずに眠ることを指したのである。そういう経験を持たない私は、何を基準にして平和について考えるべきなのだろう? 終戦記念日を迎えるたびに私は悩む。

 

カントについて、あなたはどのくらい知っていますか?

永遠平和のために』(池内 紀・訳/集英社・刊)は、18世紀に生きた哲学者・カントの著作を、ドイツ文学者でエッセイストの池内 紀が翻訳したものだ。この本には、本文が始まる前にカントの言葉が写真と共に紹介されている。言葉のひとつひとつが実に力強く、乾いた土が水を吸い込むように心にしみこんでくる。

 

実は、私はカントのことをほとんど知らないまま今日まで来てしまった。知っているのは、有名な哲学者であること。時計のように正確に、規則正しく生きた人だというエピソード、そのくらいだ。

 

『純粋理性批判』という著作も知ってはいるが、わかっているのはタイトルだけ。きちんと読んだことはない。まして、71才のときに『永遠平和のために』という本は、出版されたことすら知らなかった。

 

 

名編集者がいきついた先はカントだった

そんな私が、なんだか難しそうなこの本『永遠平和のために』を読もうと思った理由は、ただひとつ。名編集者として知られた池孝 晃が、長い編集生活の最後にカントにいきつき、わかりやすい日本語にして若者に届けたいという情熱をこめて作った本だと知ったからだ。

 

なぜカントなのか? なぜ『永遠平和のために』なのか? その謎を解きたくて私は読み始めた。

 

『永遠平和のために』は2007年に出版された本だが、しばらく絶版のような状態にあったという。しかし、世の中が推移するうちにじわじわと読まれ始め、今も版を重ねている。良い本は時を越えて読み継がれていくものだということだろう。

最近の若者は駄目なのか?

ところで、最近日本の若者は政治にも外国の情勢にも平和にも興味を持とうとせず、ゲームばかりしていて本も読まないと多くの人が言う。海外旅行をして見聞を広めたいと願う人も減る一方で、授業にも反応しないと嘆く先生も多い。

 

私は人に何かを教えたことがないのでよくわからないが、そうなのだろうか? と、いぶかしく思う。一見したところは無気力に見えても、日本の若者は馬鹿じゃない。いい物を判別する力を持っている。

 

少なくとも、私が若いときよりはずっと物知りだし賢い。私がよくわからないパソコンのことや、音楽のことを聞くと、熱心に教えてくれる。自慢じゃないが、そして、本当に自慢などしている場合ではないが、若い頃の私は何も考えていなかった。年上の人に何かを教えたりもしなかった。ぼーーっと起きて、学校に行き、あぁ、何とかしなくちゃなあと思っているうちに、一日が終わった。

 

心優しき友だちは「アッコは、あぁ見えていろいろ考えているんだよ」とかばってくれたが、半ば昼寝しているかのように漂っていて本当に何も考えていなかったのである。

 

 

トライし、挫折したカント

そんな私だが、大学の頃、突如、哲学書を読んでみようと思いたちカントにトライしたことはある。しかし、その難解さに驚きすぐにギブアップして放り出した。内容が難しい以前の問題として、何がなんだかさっぱりわからなかった。これは果たして日本語だろうかと思った。翻訳が悪いというより、日本語になりにくい考え方が記してあるのではないかと感じた。だからといって原著で読む能力も気力もない。

 

振り返ってみれば、哲学書を読む訓練をしていなかったからかもしれない。そもそも、カントは1724年生まれであり、つまり294年前の人だ。こうなると、歴史の彼方におぼろげに存在するという感じだ。

 

故郷も東プロシアの首都ケーニヒスベルグで、ここは複雑な事情からもう存在せず、現在ではロシア領カリーニングラードにあたる。今やなくなってしまった町に、300年近く前に生まれた人の言葉にそれでなくてもぼーーっとしている私が反応するのは、やはり無理だったのだ。カントに私を導いてくれる水先案内人が必要だったのに、探そうともしなかった。

 

カントの几帳面ながら数奇な生涯

今回、カントの年譜を読み、やはりそこには人を惹きつける何かがあると確信した。年譜を読むのが大好きな私にとって、それは舌なめずりしたくなるような内容だ。

 

カントは1724年に革具職人の息子として生まれ、生涯を通じて東プロシアを出ずに暮らした。出不精だったのか、旅が嫌いだったのか、住んでいる町に満足していて外に出る必要を感じなかったのか。それとも、当時の人は生まれた町で育ち、生き、死んでいくものだったのか。それはよくわからないが、とにかく限られた地域の中で几帳面に生き、学ぶ。それがカントの暮らしだった。

 

当時、男は父親の職業を継ぐのが普通の生き方だった。しかし、カントは革具職人にはならず勉学の道を選び、31才頃から家庭教師で生計を立て、王立図書館の司書となった。やがて、46才でケーニヒスベルグ大学の講師となって、論理学や数学を教えたあと哲学教授となったという。

 

彼は哲学で生計を立てた最初の人なのである。そして、57才で『純粋理性批判』を著し、79才で「これでよい」という最期の言葉を残して息を引き取るまで、ただひたすらものを考え続けた。

カントの言葉 その1

『永遠平和のために』では、まさに納得と思う言葉が私にもわかるように示されているが、中でもすごいと私がうなったのは……。

 

いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。

内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないからだ

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

おそろしいほど、今に通じる考え方ではないか。

 

 

カントの言葉 その2

他にも

隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。
戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

まったくもって、胸をえぐる言葉だ。

 

平和な世の中を享受し、ぼーっと生きていた若い頃の自分に、「ほら、ぼやぼやしていないで、この本を読みなさい。今すぐ」と差し出したくなる。けれども、それはできない。
私はすでにいたずらに年を取ってしまった。今まで、政治や戦争について、よくわからないからと目を背けて生きてきた。それが楽だったからだ。後悔しているが、もう遅い。

 

だからこそ、これから社会に出る若者たちに、気力がないと非難される彼らに、この本をプレゼントしたい。ここには、あなたたちの未来を変えてしまうような衝撃的な、しかし、予言に似た言葉が並んでいる。

 

それにしても、300年近く前に生まれた人が、すでに今の世を射通すような言葉を残していたなんて。やはり、カントはすごい。さらには、書物という媒体のすごさも改めて認識する。書物として残されていなかったら、私たちはカントの考えに触れることはできなかった。

 

もちろん、翻訳した池内紀も、写真家の野町和嘉・江成常夫も、銅板画家の山本容子も、そして、何より、この本を編んだ編集者・池孝晃がすごいと思う夏の午後である。

 

 

【書籍紹介】

 

永遠の平和のために

著者: イマヌエル・カント(著)、池内紀(訳)
発行:集英社

【「憲法9条」や「国連」の理念は、この小さな本から生まれた】「戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない」「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである」「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」。1795年、71歳のカントは、永い哲学教師人生の最後に、『永遠平和のために』を出版した。有史以来、戦争をやめない人間が永遠平和を築くために必要なこととは? 力強い平和のメッセージ。

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