「赤根さんは坐禅に何を求めますか?」
「こころの安らぎ……というか、こころの解放でしょうか」
「坐禅は、何かを得るためにすることではありません。坐禅はこころの中にたまってしまった“こころのゴミ”を捨てるためにあるのです」
これが私と禅僧・細川晋輔和尚が出会ったとき、一番最初に交わした会話だ。
人生は、決していいときばかりではない。仕事で理不尽な目にあったり、恋愛でとてつもなく悲しい思いをしたり。結婚や子育てがうまくいかなかったり、一番大切に思う家族の「死」に直面したり。
そんなときにこころを落ち着けたい、辛い状況から逃げ出したいと思うのは人間としてごく当たり前の心理だと思う。しかし、一方的に「こころの救い」を“何か”に求めるというのは、確かに都合のよすぎる話かもしれない。
まずは自分自身が自分のこころと向き合って、自分が変わらなきゃ。そのことに気づかせてくれた細川晋輔和尚が52の「禅語」を厳選し、ひとつの本にまとめてくれた。それが『迷いが消える禅のひとこと』(細川晋輔・著/サンマーク出版・刊)である。
この本も坐禅と同じように、「こころのゴミ」を捨てるためにある
「禅語」は「禅宗の教え」を伝えるためにある言葉だ。現在、日本には3つの禅宗がある。鎌倉時代の初期ごろに成立した「臨済宗」「曹洞宗」。そして江戸時代・初期に成立した「黄檗宗」。
禅語は孔子の「論語」の中から抜粋されているものもあれば、「茶道」の心得が禅語になっていることもある。長い歴史の中で多くの禅僧たちが共感し、現代まで伝えてきたものは、みな「禅語」。そこに時代など関係ないのだ。
本書を開くと、今までに一度は見たことがあるような文字が、多数目に飛び込んでくるはずだ。
「一期一会(いちごいちえ)」
「天上天下唯我独尊(てんじょう てんげ ゆいがどくそん)」
「上善若水(じょうぜんは みずのごとし)」
「日日是好日(にちにち これこうじつ)」
禅語ひとつひとつの中に込められた教えを、細川和尚がやさしい言葉で語りかけてくれる
悪い日も、いつか、いい日に
悪い縁も、いつか、いい縁に
それができる自分でいよう
そのために
今日をせいいっぱい、生きる
悲しいときには、こころから悲しむ
怒るときときには、こころから怒る
笑うときには、こころから笑う
懸命に生きて、生きて、生きて
今日という日を無駄にしない
それが、生きるということ
~「日日是好日」より~
数々のあたたかい言葉に触れて、自分のこころの中の澱が、静かにとけていくのを感じてほしい。和尚の言葉は、まるで冬の夜に飲む柚子茶のように、こころにしみる。
大人になるごとに、ひとはさまざまなものを手に入れる。しかしその反面で、一番大事なものを失っていることもある。その大事なものを取り戻すためのヒントが、この本の中には隠されている。
本書はどこから開いてもかまわない。順番を重視するよりも、いまの自分のこころにピンとくる言葉と出会うことのほうが、よっぽど大切だ。
52の階段を登り切ったとき、ひとは悟りがひらける
しかし「52」の禅語の、この「52」という数字には意味があることを、最後に付け加えておこう。仏教の世界では菩薩の迷いを捨て、「悟り」の境地に至るまで「52の階段」があるといわれている。この階段を登り切ったとき、ひとは菩提を得て、仏になれるという。
「52」の禅語は、この「52」の階段なのだ。ということで、こころの迷いを本当にすべて消し去りたいひとには是非一段ずつ、階段を登ってほしいと思う。
決して「読むだけで、自然にこころをしあわせにしてくれる本」ではない。読み終わったときに、「目の前のしあわせに、自分自身の力で気づける本」として、おすすめしたい一冊である。
【書籍紹介】
迷いが消える禅のひとこと
著者:細川晋輔
発行:サンマーク出版
東京都世田谷区にある「龍雲寺」第12代住職にして、いま注目の禅僧・細川晋輔和尚が厳選した52の禅語集。やさしい言葉と、あたたかみのある絵で構成されている。「こころのゴミ」を取り除いて、自分自身の「あるがままのこころ」を見つめ直したい。そんな時に何度も何度も開き直したい本。