小説は「平成」をどう捉えたのか?
ところで、小説家の端くれであるわたしとしては、「日本の小説は平成をどう描いてきたのか」という興味がある。
そんなわたしの疑問に答えてくれた本がこちら、「日本の同時代小説」(斎藤美奈子・著/岩波書店・刊)である。本書は「妊娠小説」などの評論で知られる文芸評論家が、1960年代から現代までの小説の動向を俯瞰し、小説家がどのような問題意識を持って時代と取っ組み合ったのかを描き出している。
そのため半分は昭和年間のトピックを扱っているのだが、ここで紹介しようと思ったのは、昭和と平成が地続きであるということを皆さんにも知っていただきたいからだ。最初に元号で時代を切り分けることに対する疑念を提示したが、本書を読むと、小説家たちは過去の作家の問題意識を引き継ぎ、ときに無視をして、着実に小説という場を広げていっている。平成における小説の展開もまた、昭和の小説界の動向から自由ではないのである。であると同時に、作家たちが時には勇ましく、ときにはそそっかしく時代時代の問題に挑んでいく様を、シニカルかつ、ユーモラスに描き出している。現代小説を知るためのブックレビューとしても機能する本であろう。
それにしても、元号制度は便利だ。時代の終わりが可視化されている。実際、日本史をひも解くと、度重なる災害によって改元に臨んだ例がいくらでも出てくる。ある意味で、元号というのは国家的なリセット装置なのかもしれない。人工的に時代の終わりを作るということは、人工的に新たな時代を作り出すこととほぼ同じ意味である。
一体平成の次はどんな時代なのだろうか。
たぶん、次の時代がどうなるかは、気持ち新たに足を踏み出すわたしたち一人一人にかかっている。その一歩を踏み出す前に、しばし、過去になりゆく平成という時代に思いを致してみてはいかがだろうか。
【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作「刀と算盤」(光文社)が絶賛発売中。