私の祖母は、御年90。足こそ少し悪くしているものの、常に凛とした佇まい、柔らかくもハッキリした物言い、知らないことなどあるのだろうか? と思うほど豊富な知識。どんな洋服を着ていても、上品さを纏っている。昔も今も、私にとって憧れの女性だ。
そんな祖母に、幼い頃いろいろなことを教わった。
歌をうたうこと(最初に教えてもらった小柳ルミ子の「お久しぶりね」は、いまでも暗唱できる)、三味線、着付け、お花、そしてお茶――といっても、本当にどれも体験程度のものだったが。なかでもお茶は、子どもながらにとても興味深かった。茶筅(茶道具のひとつ)でくるくるシャカシャカと抹茶をたてる行為に、なんとも言えない面白さがあったのだ。
あれ以来、茶道に縁がなく今日まできてしまったが、今更ながら改めて祖母からお茶を習いたいなと思うようになった。『日々是好日(にちにちこれこうじつ)』(森下典子・著/新潮社・刊)を読んだからだ。
『日々是好日』といえば、先日お亡くなりになった樹木希林さんの遺作としても話題となった映画である。以前から観たいなと思っていたのだが、なかなか映画館まで足を運ぶ時間がなく、まずは原作から…と手にとった次第である。
どんな日でも、毎日が良い日
『日々是好日』は、なんでも禅語なのだそうだ。「どんな日でも、毎日が良い日」という意味なのだが、この本の副題は『「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』。茶道に関する情報が盛り込んであるのかな? お茶から教えてもらったことが書かれている? などと思って読み始めたのだが、その予想は正しくもあり大きく間違ってもいた。
実際には、「お茶を通して、一人の女性が人生における大切なものに気づいていくストーリー」。…こう一言で説明してしまうと、なんとも陳腐な感じになってしまうのが申し訳ない。とても奥深く、でもわかりやすく共感できて、また新たな発見が多々ある。そんな素敵な一冊だった。
作中、主人公が季節の移ろいに少しずつ気づいていく様子が描かれている。同じ水が流れる様でも、お湯は「とろとろ」とまろやかな音で、水は「キラキラ」と硬く澄んだ音がすること。同じ雨の音でも、木々や草花が雨を跳ね返すような梅雨時期の音と、枯れ木を通り越して土に染み込んでいく秋雨の音は、まったく違うこと。
お茶を習い進めるうちに、五感と自然とがつながる瞬間を感じるのだと著者の森下さんは語る。
雨の音、花の香り、季節の移ろい…見て聴いて愛でていますか?
そういえば、ゆっくりと空を見上げなくなったのはいつからだろうか。道に咲く花に気づかなくなったのは、毎日の慌ただしさに心を失ってしまっているからかもしれない。
それでも、春先の生温かい空気を感じると、憧れの先輩を見るために自転車を走らせて中学校の校庭に向かったあの日の甘酸っぱさを呼び起こす。
凍えるほど寒く、もうすぐ雪が降りそうな気配を感じると、大雪の日に受験のため父のクルマで会場に向かった日が懐かしく思い出される。
雨が降り始める前の少しむっとした匂いを感じると、慣れない都会で懸命に走って営業先に向かったあの日に一瞬で舞い戻る。
目眩がするほど強い金木犀の香りは、大阪に転勤になったばかりで不安とともに近所をさまよい歩いたあの日につながっている。
寒い日も暑い日も心躍る日も悲しいことがあった日も、どんな日でも自分の心持ち次第でかけがえのない良い日になる。ずっと目の前にあったものに気づいた日から、あなたの人生は変わるのよ。そんなメッセージが、主人公のお茶の先生・武田のおばさんを演じた樹木希林さんそのものの生き様とリンクして、胸に染み入ってくるようだ。
先今年無事目出度千秋楽(まず今年無事めでたく千秋楽)
まもなく2018年も終わりを告げる。いよいよ平成が終わるのだ。
「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」とは、武田のおばさんの台詞。
ルーティーンのような毎日だった人も、激変の日々を送った人も、来年こそは変わろうと秘めたる思いを抱えている人も。今日を迎えられたことに感謝して、新しい年へと向かっていこう。粛々と。
年末年始の読書におすすめの一冊である。
【書籍紹介】
日日是好日
著者:森下典子
発行:新潮社
お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる…季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る
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