2月22日に、以前からずっと楽しみにしていた映画が公開される。大森立嗣監督、安田顕さん主演の映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』だ。この映画は、私が大好きな漫画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(宮川サトシ・著/新潮社・刊)が原作である。
2013年にWEBサイトにて連載がスタートし、超人気バンドのボーカルやお笑い芸人をはじめ多くの著名人が絶賛、SNSでも大きな話題となった作品だ。
最愛の人を亡くした後、人はどう生きていくか
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は、主人公・宮川サトシと、明るくユニークでパワフルな母を中心とした宮川家の物語。ある日、最愛の母がガン宣告を受ける。戸惑いながらも母を支えていくサトシと妻。そして、悲しい別れ。その後に起こる、時を超えて母がくれた奇跡。原作の著者である宮川氏の実体験をもとに描かれたドキュメンタリーだ。
身内を亡くした人とその家族を題材にした作品は数多あるが、こんなにもリアルで、泣けて、悲しいストーリーであるはずなのにクスリと笑えて、明るい希望が持てるものは、そうそうないだろう。
特筆すべきは、生前の母との温かな想い出はもちろん、最愛の人を失った後の物語が色濃く描かれている点だ。確かに居たはずの人が、ある日そこから居なくなった。その現実の受け止め方、偲び方は人それぞれ。何が正しくて、何が正しくないなんてない。
けれど間違いなくあるのは、母の子どもへの深い深い愛だ。当時は煩わしいと思ったこともある数々の母の言動が、亡くなった今だからこそ、大きくサトシの胸に脳裏に、蘇ってくる。
そんな作中のサトシの姿を通して、母親というものの愛の深さを改めて思い知らされた。
自分の親だけは、絶対に死なない。そう思っている
私自身は、父も母も健在である。だが、かつて一緒に暮らしていた祖母を病で亡くした経験がある。そのころ、毎週のように帰省しては病室に通ったこと、祖母とかわしたたくさんの会話。
本作を最初に読んだとき、あのころの記憶が蘇ってきた。
そして、いつかは訪れる親との別れを思い、なんだか胸が苦しくなった。サトシと同じように、「自分の親だけは、死なない」そんなふうに思っているから。だからこそ、サトシが母を亡くした現実が、後の自分を案じているようで怖かった。
けれどそれは一瞬のことで、読み進めるうちに、そんな不安は徐々に小さくなった。
おそらく、サトシが語る「死のエネルギー」というものが、この作品の読後感を前向きな気持ちにさせてくれる理由だろう。最愛の人の死は、悲しい。やりきれない。自暴自棄になっても仕方ない。
けれど、その死が、残された人々を動かす大きなエネルギーとなり、原動力になることもあるのだ。
確かに、私も祖母の死をきっかけに、人生が大きく動き出したから。
誰にでも消せないアドレスがある
携帯の中に、どうしても消せないアドレスが数件ある。亡くなった友人の番号だ。もうこの世にはいない、かけることもない。でも、このアドレスを消すことで、友人との想い出まで消えてしまうような気がして、いまだ消せないでいる。
今後も、同じように消せないアドレスが増えていくだろう。私が生き続ける限り。
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は、「愛する人の死の受け入れ方」の一例を示してくれているようだ。だからこそ、今伝えられる人には、たくさんの愛を伝えよう。愛を叫ぼう。会いたい人には会いに行こう。そんな気持ちにさせてくれる一冊。映画版も実に楽しみである。
【書籍紹介】
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。
著者: 宮川サトシ
発行:新潮社
感動の実話、待望の映画化! 涙と希望に溢れる家族エッセイ漫画。「あんたもワテが産んだ傑作やでねぇ、なんも心配しとらんよ」。かつて僕が白血病になった時、母はこう笑い飛ばした。今度は僕が母を救う、そう決めたはずだったのに。死が近づく闘病の日々と、母を失った日常で僕が知った、最愛の存在がいない世界とその死の本当の意味。死後1年、母から届いたスペシャルな贈り物とは。特別編も収録!