秋田県田沢湖にのみ生息していた固有種“クニマス”。サケ目サケ科に属する淡水魚で、宝暦(1751〜1764年)年間以前より生息していたという記録がある。それ以前にも生息していたらしいが、正式にクニマス(国鱒)という名前が付いたのが宝暦年間だったということだ。
田沢湖は日本一水深が深い湖。また透明度が高いことでも知られているが、それは湖内に栄養素が少ないということでもある。それでも田沢湖は、さまざまな魚が生息していた。クニマスは水深100〜300mの付近に生息。天敵となる魚がいなかったために、生き残ってきたと考えられている。
■懸賞金500万円をかけても見つからなかった
1940年(昭和15年)に田沢湖の湖水を利用した水力発電所建設が決定。これに伴い、玉川の水を導入することとなる。この玉川の水は強酸性のため、田沢湖の水質が悪化し、1948年(昭和23年)に捕獲量がゼロとなったことで、クニマスは絶滅種に認定された。
当時は第二次世界大戦の真っ最中で、田沢湖の固有種であるクニマスを保護するといった動きは考えられていなかった。
その後、田沢湖町観光協会では1995年(平成7年)から3年間、「クニマス探しキャンペーン」を展開。当初は100万円、2年後には500万円の懸賞金を賭けて情報収集を行ったが、いずれも不発。生きたクニマスは見つからなかった。
■もしかしたら県外にクニマスがいるかも?
2000年に発行された『田沢湖まぼろしの魚クニマス百科』(杉山秀樹・著/秋田魁新報社・刊)では、クニマスの受精卵を県外に運び出した可能性があるのではと推測。当時の記録や、当時を知る漁師などからの聞き取りにより、田沢湖から山梨県の本栖湖と西湖にクニマスの卵を送ったという事実が発覚した。
この両湖に放流されたクニマスが天然で繁殖し、現在も生息している可能性はきわめて低いと言わざるを得ない。形態的、生態的にいくつもの特徴を持つクニマスが今も生息しているのであれば、多数の釣り人が訪れている西湖、本栖湖で気が付かれないわけがない。(『田沢湖まぼろしの魚クニマス百科』より引用)
著者は、2000年当時はクニマスが生存しているとは思ってもみなかったようだ。
■クニマスを見つけたのは“さかなクン”だった!
しかし、2010年に突如クニマスが再発見された。場所は西湖だ。その発見者は、あの“さかなクン”だ。
京都大学からクニマスのイラスト執筆を依頼されたさかなクンは、参考のために西湖から近縁種であるヒメマスを取り寄せた。そのとき、クニマスに酷似した個体をさかなクンが発見。以後、京都大学で解剖や遺伝子解析を行った結果、正式にクニマスであると発表された。絶滅前に田沢湖から送られた卵から生まれた稚魚が生き延び、交配を繰り返して生存したようだ。
実は、以前から西湖では、「クロマス」と呼ばれ存在自体は認識されていたという。しかし、ヒメマスの黒い個体だろうと思われ、誰もクニマスだと思っていなかったようだ。
クニマスの再発見は、さかなクンがいなかったらもうしばらく先になっていたかもしれない。改めて、さかなクンの偉大さに気付かされた。
現在は、山梨県水産技術センターが生息調査を行っている。2013年には5000〜7500匹が生存しているという調査結果も発表。同時に、「クニマス里帰りプロジェクト」も発足。しかし、田沢湖はいまだ水質が酸性のため、実際に戻るのはかなり先になるだろう。
■クニマスは田沢湖の夢を見るか?
乱獲、自然破壊、外来種の持ち込みによる生態系破壊。動植物の絶滅は、そのほとんどが人間の仕業だ。
文明が発達することは悪いことではない。しかし、その一方で失われてしまうものがあるということも知らなければならないだろう。
田沢湖から西湖に居を移したクニマスたち。いつか田沢湖へ帰ることができるのだろうか。きっとクニマスたちも、自分たちのほんとうの故郷に帰るのを楽しみにしているはずだ。(文:三浦一紀)
【参考文献】
田沢湖まぼろしの魚クニマス百科
著者:杉山秀樹
出版社:秋田魁新報社
戦火のあおりを受け絶滅した最深の湖のクニマス。2011年、70年ぶり発見の報に再び注目される幻の魚のすべて。