人生のすべてを捧げて打ち込むことができる何か。そういうものをすぐ、具体的に思い浮かべることができる人は幸せだと思う。この原稿では、人生のかなり早い時点でそういうものを見つけ、以来全くブレることなく突き進み続けている人を紹介したい。
必然以上のもの
『陰と陽』(石井東吾・著/Gakken・刊)の著者石井東吾氏は、武術家である。ウィキペディアでは、「ブルース・リーが開発した武術である截拳道(ジークンドー)のインストラクター」と紹介されている。しかし、『陰と陽』を読んでからもう一度見ると、きわめてシンプルな文章の向こうに巨大なマトリックス—何かを生み出すもの—が広がっていることが実感できる。
僕が20年以上にわたり学び続けている武術、ジークンドーは、映画スターとしても有名なブルース・リーが創始した。「創始した」と簡単に書いてしまっているが、32歳という短い生涯で一つの武術を創り上げ、いまもなお多くの人々を魅了し、世の中にムーブメントを巻き起こしているということがどれほど凄いことか、とうてい語り切れない。
『陰と陽』より引用
そして筆者は、石井氏とジークンドーの出会いが偶然だったとは思えない。
『燃えよドラゴン』のあの場面
なにごとにも始まりがある。石井氏にとってのジークンドーとの関わり合いには、こんな触媒が介在していた。
それは敵のアジトの地下で、主人公のブルースがバッタバッタと敵をヌンチャクで倒した後、罠にかかり閉じ込められてしまうシーンだ。ブルースは眉一つ動かすことなく、手にした黒いヌンチャクを自分の首にかけ、姿勢よくそこに胡坐をかく。
『陰と陽』より引用
『燃えよドラゴン』の1シーンだ。ブルース・リー体験の強烈なイニシエーションとして記憶している筆者世代の人たちは多いにちがいない。瞑想と激しい格闘。静と動。そして、本書のタイトルでもある“陰と陽”という言葉の本質がビジュアル化されているシーンだと思う。50年近く経っても忘れないほどのインパクトがあるこのシーンを通したブルース・リーとの出会いが、石井氏にとって人生のターニングポイントとなったことは容易に想像できる。
“陰”と“陽”
ジークンドーとの出会いが石井氏の人生にどれほど影響を与えたか。本書では、このテーマが石井氏の自伝というフォーマットに乗せて語られていく。目次を見てみよう。
第一章 THINK
第二章 FEEL
第三章 MOVE
第四章 FLOW
“Don’t think, feel”という『燃えよドラゴン』での名セリフを思い出す。石井氏が考え、感じるままに動き、流れるように修行を積んだプロセスは、陽の部分だけではなかった。
本来「一つのもの」である「陰陽」を、あえて「陰と陽」とし、それを本書のタイトルとしたのは、これまで語ってこなかった「陰」の部分を抜きにして、僕のジークンドーはないからだ。
『陰と陽』より引用
ジークンドーのインストラクターとして有名な石井氏はメディアやYouTubeでの露出も多い。本書の目的のひとつは、こうした部分とは正反対の陰の部分をつまびらかにすることにほかならない。ブルース・リー始祖自身が定めたジークンドーのシンボルは、陰と陽の太極図だ。宇宙のすべての存在が陰と陽から成り立っていることを意味する。そして、陰陽が調和した理想の姿は水にたとえられた。
僕がこれまで学んできたジークンドーは、決して道場での稽古だけのものではない。ジークンドーとは、まさしく「水」になるための修行であり、行住坐臥、生き方そのものだということを、僕は恩師であるヒロ渡邊先生と、ヒロ先生の背中の向こうのテッド・ウォン先生、そしてブルース・リー始祖を通して学んだ。
『陰と陽』より引用
ならば、ジークンドーが単なる徒手空拳の武術だけであるわけがない。哲学とか思想、あるいは“ウェイ・オブ・ライフ”という言葉で表されるべきものなのだ。本書にちりばめられている多くの写真でさまざまな表情を見せる石井氏が、思索家に思えてくる。
止まらない歩み
ブルース・リーとジークンドーに出会う前の少年時代のエピソードから修行の過程、そして伝える立場へという流れが綴られていく本書の終わりに近い部分に、とても素敵な言葉を見つけた。
「いつまでたっても、同じところをぐるぐる回っているのではないか」と。自分の進歩を不安に思うこともあるが、そうではないということは永き修行で分かったことの一つだ。実は少しずつ少しずつ、それはらせん階段を上がるように上昇しているのだ。
『陰と陽』より引用
自分のアイデンティティとして挙げることができる具体的なものをすぐに思い浮かべられる人は、本当に幸せだ。そういう人が語る言葉は、独特な熱量と共に伝わる。歩みを決して止めない石井氏が綴った文章に触れる人たちは、行間にまで満ちたエネルギー流を必ず感じ取るだろう。