こんにちは、書評家の卯月 鮎です。指先が冷え性の私は冬場キーボードを打つのが辛くて、どうにかできないかと悩んだ末にたどり着いた方法が音声入力。一昔前は音声入力というと目も当てられない怪文書が生まれていましたが、今は聞き取り能力もアップし、文脈に合わせて漢字への変換も上手にしてくれるので、そこまで崩れた文章にはなりません。
音声入力の利点は、手をこたつに入れたまま文章を書けること(笑)。あとは発音を意識するので、少しハキハキしゃべれるようになった気がすること。誰もいない部屋でひとりハキハキしゃべるのは、いまだに抵抗がありますが……。
古代語の真の発音とは?
さて、今回紹介する新書は『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(釘貫 亨・著/中公新書)。著者の釘貫 亨さんは、国語学者で名古屋大学名誉教授。専門は日本語史です。『古代日本語の形態変化』(和泉書院)、『近世仮名遣い論の研究――五十音図と古代日本語音声の発見』(名古屋大学出版会)など著作多数です。
懐かしのCM「ちゃっぷい、ちゃっぷい」は古代日本語!?
日本語の発音の変化を歴史ごとに追っていく本書。当然、音声データなど残っていないため、各時代ごとにどのような資料を使って発音を推測していくか? という部分がポイントになっています。
第1章「奈良時代の音声を再建する」では、漢字の音読みを用いた万葉仮名と最後の遣唐使となった僧侶・円仁が記録した梵字の読みが手がかり。研究者たちが、奈良時代の発音をどう推測したかがわかります。
奈良時代のサ行は梵字の読みから、「ツァ」に近い音だったとか。万葉集の柿本人麻呂の句「小竹(ささ)の葉は~」は、「ツァツァノファファ」という発音だった可能性が高い、という説が挙げられています。なんだかフランス語のような響きですね(笑)。
また、ハ行の読みは「パピプペポ」だったという説も! 昭和のころ、金鳥の使い捨てカイロ「どんと」のCMで、「ちゃっぷい、ちゃっぷい。どんとぽっちい」というセリフがありましたが、CM制作スタッフが「学問的研究を踏まえている」と語っていたそうです。このセリフが流行したのは、太古の記憶が私たちに刷り込まれていたからかもしれません。
第4章「宣教師が記録した室町時代語」では、キリシタン資料による室町時代の発音研究に焦点が当たっています。帯にも大きく書かれていますが、「羽柴秀吉」は「ファシバフィデヨシ」と読まれていたそう。なぜわかったのかというと、そのカギは当時のなぞなぞの本に!? それにしてもファシバフィデヨシ、口に力が入らないですね(笑)。
本書はバラバラっとしたトピックスが並ぶ雑学本ではなく、日本語発音の変遷をたどっていく研究書寄りのテイストで歯ごたえは堅め。しかし、じっくり読んでいくと現在の日本語に覚えるちょっとした違和感の答えが歴史のなかから浮かび上がり、日本語の複雑さの源となっている重層性が見えてきます。専門的な学問の内容を気軽に知ることができるのも新書の真骨頂でしょう。
「銀行員の行雄は、修行のために全国行脚を行った」という、「行」の字が5つも入っている文章を例に挙げ、「日本漢字音の重層性」を説明する釘貫さん。漢字を母語とする中国人も驚くという複雑さ、その理由もわかります。
昔の人がどう発音していたか、読み解きはミステリー的な要素もあり、当時の会話が想像できるのも楽しいところ。わかっているつもりでも知らないことだらけの日本語の奥深さに心掴まれました。
【書籍紹介】
日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅
著:釘貫 亨
発行:中央公論新社
問題「母とは二度会ったが父とは一度も会わないもの、なーんだ?」(答・くちびる)。この室町時代のなぞなぞから、当時「ハハ」は「ファファ」のように発音されていたことがわかる。では日本語の発音はどのように変化してきたのか。奈良時代には母音が8つあった? 「行」を「コウ」と読んだり「ギョウ」と読んだり、なぜ漢字には複数の音読みがあるのか? 和歌の字余りからわかる古代語の真実とは? 千三百年に及ぶ音声の歴史を辿る。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。