本・書籍
2024/2/5 10:30

森雪之丞が語る詩の原点と、私淑する早川義夫との思い出

作詞家デビュー48年目を迎え、昭和・平成・令和と常に第一線を走り続け、約2700曲の歌詞を紡いできた森雪之丞さん。近年は演劇・ミュージカルの世界でも活躍するなど、旺盛に創作活動を続ける森さんに、心の師と仰ぐ早川義夫さんとの思い出や、今年1月に刊行したオールタイムベスト詩集『感情の配線』について、2022年上演のブロードウェイ・ミュージカル『ジャニス』で出会ったアイナ・ジ・エンドさんと長屋晴子(緑黄色社会)さんから受けた衝撃などを語ってもらった。

 

森 雪之丞●もり・ゆきのじょう…1954年1月14日生まれ。東京都出身。作詞家、詩人、劇作家。大学在学中からオリジナル曲のライブを始め、同時にプログレッシブ・ロックバンド「四人囃子」のゲスト・シンガーとしても活躍。1976年に作詞&作曲家としてデビュー。以来、ポップスやアニメソングで数々のヒット・チューンを生み出す。1990年代以降、布袋寅泰、hide、氷室京介など多くのロック・アーティストからの支持に応え、尖鋭的な歌詞の世界を築き上げる。これまでにリリースされた楽曲は2700曲を超え、2006年には作詞家30周年を記念したトリビュート・アルバム『Words of 雪之丞』が制作され、2016年には作詞家40周年記念CD BOX『森雪之丞原色大百科』(9枚組)が発売された。また詩人として、1994年より実験的なポエトリー・リーディング・ライヴ『眠れぬ森の雪之丞』を主催。2003年には詩とパフォーマンスを融合した『POEMIX』を岸谷五朗と、2011年には朗読会『扉のかたちをした闇』を江國香織と立ち上げるなど、独創的な行動と美学は多くの世代にファンを持つ。近年は舞台・ミュージカルの世界でも活躍。劇団☆新感線の『五右衛門ロック』シリーズの作詞を始め、『キンキーブーツ』『チャーリーとチョコレート工場』『ボディガード』などブロードウェイ・ミュージカルの訳詞も手掛ける他、オリジナル戯曲にも取り組み、ロック☆オペラ『サイケデリック・ペイン』(2012・2015)、『SONG WRITERS』(2013・12015)、『怪人と探偵』(2019)、『ロカビリー☆ジャック』(2019)、『ザ・パンデモニアム・ロックショー』(2021)の作・作詞・音楽プロデュースの公演を成功させている。公式プロフィール公式サイトX(旧Twitter)

 

【森 雪之丞さん撮り下ろし写真】

 

日本人の怨念や湿り気をはらんだ早川義夫さんのソウルフルな歌い方に惹かれた

──森さんは今年で作詞家デビューして48年目になります。公式サイトの年譜によると、高校生のときに「ビートルズ、ボブ・ディラン、ジャックスの早川義夫などに多大な影響を受け、オリジナル曲を作り始める」と記していますが、ジャックスとの出会いを教えていただけますか。

 

 中学生のときに、友達がジャックスのファンクラブのカードを持っていたんです。ファンクラブ名が「薔薇卍結社」だったんですけど(笑)、その言葉に惹かれて。ちょうどジャックスが「タクト」というインディーズ・レーベルからシングルが出るタイミングで、それを聴いてぶっ飛んだんです。その後、メジャーから出た1stアルバム『ジャックスの世界』(1968)も最高でした。

 

──中学生でジャックスにハマるって、当時としては早熟ですよね。早川さんのどういうところに惹かれたのでしょうか。

 

 一つはソウルフルな歌い方ですね。黒人のソウルではなくて、日本人の怨念や湿り気をはらんだソウルで、そこにヤラれました。それまで聴いていた日本の音楽はグループサウンズや歌謡ポップスでしたから、そこには絶対に出てこないような言葉を早川さんは歌うんです。「裏切りの季節」という曲だったら、“燃える体を寄せ合って くずれていったあの夜に”という歌詞を、身をよじりながらシャウトする。あとアルバムジャケットの裏に早川さんが「このレコードは、こういうものです」みたいなライナーノーツを自ら書かれていて。その文章がものすごく詩的で、そこからも多大な影響を受けました。

 

──ジャックスの活動期間は1965年から1969年と短命に終わります。

 

 2ndアルバム『ジャックスの奇蹟』(1969)は、レコーディング中に解散したために不遇な作品ではあったんですが、やっぱり好きでしたし、解散後に出した早川さんの1stソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(1969)も愛聴していました。

 

──森さんはジャックスが解散した年に、通っていた都立大泉高校の同級生とロック・バンド「南無(なむ)」を結成するんですよね。

 

 そうです。実は、そのバンドがきっかけで早川さんとお会いする機会があったんです。

 

──それはすごい!

 

 南無で活動していたときに、同級生ですけど違う高校に通っていた岡井大二というドラマーと、森園勝敏というギタリストと知り合って。二人とは、後に「四人囃子」というプログレバンドを結成するんですが、その当時から彼らはうまかったんです。「フリー」や「グラファン(グランド・ファンク・レイルロード)」のコピーをやっていて、界隈に名が響き渡るほどのテクニックでした。南無はめちゃくちゃ下手くそだったんですけど、ジャックスの影響でオリジナルを日本語でやっていたので、僕らのライブを聴いて二人はビックリして、それで友達になったんです。高校2年生のときに南無は解散するんですけど、二人のプロデュースで5曲入りレコード『南無』を100枚自主制作して、森園はギターも弾いてくれました。そのレコードを早川さんに聴いてもらったんです。

 

師と仰いでいる人からのオファーで歌詞を書いた「天使の遺言」

──どのように早川さんと繋がったんですか?

 

 話は前後するんですが、立教大学に「OPUS」という、ちょっと学生運動がかった音楽集団があって、そこの主催者が当時、「渋谷ジァン・ジァン」という小劇場のオーディションを仕切っていたんですよね。それに、まだ高校生だったんだけどギターの弾き語りで合格して。そのときに主催者の方から「立教に遊びにおいでよ」って言われたんです。それでギターを担いで遊びに行ったら、「ムーンライダーズ」の前身である「はちみつぱい」の渡辺 勝さんや岡田 徹さんと知り合って。当時は立教が溜まり場になっていたので、斉藤哲夫さんやあがた森魚さんとも面識ができたんです。

 

──錚々たるメンバーですね!

 

 1970年に哲夫さんが「悩み多き者よ」でURCレコードからデビューするんですが、その曲のプロデュースが早川さんだったんです。当時、早川さんはURCでディレクターをやっていたので、哲夫さんに「どうしても紹介してほしい」と頼み込んで、自主制作した『南無』を持って、早川さんに会いにURCに行ったんです。もうドキドキでしたよ。

 

──ジャックスのヴィジュアルはダークで近寄りがたい雰囲気でしたが、当時の早川さんはどんな方だったんですか?

 

 とても優しい方でした。「とにかく聴いてください!」とレコードを渡して、後日、電話で早川さんとお話ししたんですが、そのときに「森くんは僕に何をしてほしいの?」って聞かれたんです。当時はプロになる気持ちもなかったので、「早川さんに聴いてもらいたいだけだったんです」と伝えたら、「ピエロみたいな格好をして踊るといいよ」というアドバイスをくれて。まだヴィジュアル系などが出るはるか前ですからね。怨念の人だと思っていた早川さんが、そういう非凡な発想をするから、すごい人だなと改めて思いました。

 

──共通の知り合いがいたとはいえ、憧れの人に直接レコードを渡すって、ものすごい行動力ですね。

 

 今は音楽スクールに行けば、精神は学べないけど、幾らでもテクニックは学べるじゃないですか。僕らの時代は何もなかったので、憧れのアーティストがいたら、まずは会ってみたいと思うし、会うためにはどうすればいいんだろうと考えて。自分が作ったレコードを渡せば、拙い内容でも少しは思いが伝わるかもしれないと思ったんですよね。そこに至るまでには、勝さんや哲夫さんがいて、早川さんに繋がっていくというのは、今お話しして思いましたけど“物語”ですよね。哲夫さんの家に押し掛けたこともあったし、意外と僕は図々しい奴だったのかもしれない(笑)。確か僕の大泉の実家に勝さんが遊びに来たこともあったし、先輩も優しい方ばかりでしたね。

 

──その後も早川さんとは親交が続いたんですか。

 

 早川さんは音楽の仕事を辞めて、本屋さんを始めたので、それっきりでした。ただ早川さんが90年代に入って音楽活動を再開して、1993年に江古田の「バディー」というライブハウスで復活ライブを行ったんですが、勝さんがピアノで参加するということで呼んでいただけたんです。そのときに早川さんとお話しさせていただいたら、僕の作品も聴いてくれていたみたいで。その後、「森くんの歌詞を歌ってみたいな」という連絡があったんです。

 

──早川さん自身からオファーがあったんですね。

 

 私淑して、師だと思っていたアーティストに頼まれたわけだから、ものすごいプレッシャーでした。もちろん喜びも大きかったんですが、喜びの中には苦痛も共存しているものなんですよね。それを形にしたのが、「天使の遺言」という作品です。もう1曲あったんですが、それはまだ作品化されていません。2006年に『Words of 雪之丞』という僕のトリビュート・アルバムが出たんですが、斉藤和義くんが「どうしても『天使の遺言』を歌いたい」とカバーしてくれて。ライブでも歌ってくれているので、斉藤くんで知ってくださった方も多いと思います。

 

アイナ・ジ・エンドのシャウトに魅せられた

──森さんは70歳の誕生日となる今年1月14日に自選詩集『感情の配線』を刊行しましたが、どういう経緯で作ろうと思ったのでしょうか。

 

 作詞家デビューして48年、そのうちの30年で歌詞だけではなく詩も書いて、5冊の詩集を出してきました。70歳になるにあたって、30年間で書いた詩を今の人たちにも届けたいなと思って、自選で一冊にまとめました。

 

──30年前と今で、ご自身で変化は感じますか?

 

 1994年に刊行した第一詩集の『天使』を読むと、もちろん拙いと思うことはあります。この30年間で表現の仕方も深まりましたしね。ただ今回まとめてみて、その時々で考えていることの違いはあれ、一貫して人間というものを書いてきたのかなと思いました。人間の儚さ、哀れさ、不条理といったものの中で、自分なりに光や幸せを探したいという願いを込めてきたと思います。

 

──さまざまな形式の詩が収められている中で、「夢と旅の図式」と題された連作の戯曲詩が5篇収録されていますが、どのような発想で生まれたのでしょうか。

 

 ここ20年、舞台の仕事もずいぶんやりましたので、詩に戯曲のような要素を入れたいなと思ったんです。女・男・天使・影・魔術師・旅人といった登場人物が出てきますが、詩なんだけどもシナリオに近い、詩なんだけども芝居に近いというようなニュアンスで、5つの詩を物語のように紡ぎました。書いた時期がバラバラなので、戯曲詩にして一つの物語になればいいなと手直しをしました。

 

──昔から物語を作りたい欲求はあったのでしょうか。

 

 音楽が好きでキャリアが始まっているので、物語というよりは、やはり詩なんでしょうけど、もちろん詩にも物語がある。ある物語を設定して、その1シーンだったり、一つの感情だったり、もしくは数年にわたる情景を、一篇の詩や歌詞にすることもあります。僕の場合は、長いものを書くよりも、それを削いで削いで、一つの詩にするというふうなことをやってきたんです。でも、2003年に鴻上尚史さん主宰の第三舞台の名作『天使は瞳を閉じて』をミュージカル化するにあたり、作詞と音楽プロデュースを担当したんです。それをきっかけにミュージカルが面白くなってきて、それ以降、劇作家の方と組んで、詩を提供するというのをやり始めました。2008年からは劇団☆新感線と定期的にお仕事するようになって、座付作家に中島かずきさんがいて、僕が詞を書いているんですけど、その経験を重ねているうちに、自分で物語も書いて、そこに詩を組み込んでいったほうがミュージカルとしては自然だなと感じたんです。それで2012年に上演したロック☆オペラ『サイケデリック・ペイン』から戯曲そのものを手掛けるようになり、この12年で5本のミュージカルを書きました。

 

──多岐に渡る活動をする中で、12年間で5本も書いたのは驚異的ですね。

 

 他の仕事と並行しながら書いているので、相当な時間をかけていますし、我ながら元気だったなと思います(笑)。今までのようなペースは無理ですけど、これからもミュージカルは書き続けたいですね。

 

──2022年にはブロードウェイ・ミュージカル『ジャニス』の訳詞も手掛けていますが、本作には主演のアイナ・ジ・エンドさんや緑黄色社会の長屋晴子さんなど、若いアーティストが出演しました。新しい世代のシンガーを間近で見て、どう感じましたか。

 

 もちろんアイナはジャニス・ジョプリンをリアルタイムでは知らないんだけど、ちゃんとジャニスのハートを持っていて、ハスキーな声でソウルフルに歌うし、シャウトもすごかった。日本で、ここまで素晴らしいシャウトができる人は少なかったと思うので、そういう人が当たり前のようにひょこっと出てくるのが面白かったです。緑黄色社会の長屋はエタ・ジェイムスを演じたのですが、J-POPで育ったらしいのに、ものすごくソウルフルに歌えるんですよね。おそらく親がソウルやファンクを聴いていて、それが娘に受け継がれているとしか思えない。そういう新しい時代になったんでしょうね。

 

詩を書くことは感情を配線しているようなところがある

──『感情の配線』は装丁から関わられたそうですね。

 

 今まで5冊の詩集も含めて、幾つも本を出してきたんですが、装丁から関わったのは今回が初めてでした。花布(はなぎれ)の色まで決めなきゃいけなくて大変だったんですが、本というものは、いろんなパーツがあってできているんだと改めて知れたのも面白かったです。僕はネットも大好きですけど、紙の本はいつでもどこでも手軽に読めるのが好きなんです。もちろんスマホやパソコンで読んでもらうのもうれしいですが、せっかくなら『感情の配線』を手に取って、本の手触りや匂いも感じてほしいですね。

 

──表紙の絵は、森さんの娘さんが描いたものだそうですね。

 

 娘が16歳のときに描いた絵なんです。何を作っているのかは分からないんだけど、何かを配線しているのが、『感情の配線』というタイトルにリンクしているなと。詩を書くことも、感情を配線しているようなところがありますからね。

 

──ネットがお好きということですが、いち早くパソコンなども取り入れたほうですか?

 

 早かったほうだと思います。そもそもワープロを使い始めたのも早かったですから。最初に買ったワープロなんてモニターに1行しか表示されなかったんですよ(笑)。でも手書きで清書をするよりはマシだなと。それまではペンで歌詞を清書していて、ホワイトで修正するのも味気ないからと、間違えたら一から書き直していたので、すごく時間がかかっていたんです。だから表示されるのは1行でも、簡単に修正できるのは大きかったです。その後、表示できる行数が増えて、どんどん進化していくので、効率も良くなっていきました。

 

──アーティストによっては、手書きのまま歌詞を印刷して世に出す方もいて、味わいがありましたよね。

 

 手書きで綺麗な字が書けてしまうと、ヴィジュアルに酔って良い詩かなと思うこともあるし、気持ちが入ったときの詩は強く記憶に残ってしまって、冷静に見られなくなる面もあるんです。だから最終的に印字をして、フォントで確認したほうが、書いたときの自分と少し距離を置けるので、手書きよりも僕に合っているんですよね。

 

 

<Informaition>

森雪之丞自選詩集『感情の配線』

好評発売中!

装画:森まりあ
価格:2,500円(税別)
発売元:株式会社開発社

<収録内容>
森雪之丞自身がこれまでに発売した詩集から厳選、図形詩、戯曲詩の初の書籍収録。

<目次>
詩I 14 篇
図形詩 10 篇
詩Ⅱ 13 篇
戯曲詩『夢と旅の図式』5 篇による連作詩
詩Ⅲ「生きる、あなたに泣いてほしくて」

自選詩集『感情の配線』特設ページ公開 https://www.mori-yukinojo.com/emotional_wiring/

 

Podcast番組「森雪之丞 Poetory Readingの世界『感情の配線』」

配信開始!

【出演】森雪之丞(著者)
【配信】2024年1月14日(日)正午から順次配信予定
(隔週月曜日 正午頃 各種Podcastサービスで配信 ※Spotify、Apple Podcast、AmazonMusic、YouTube Musicなど)
【番組ハッシュタグ】#感情の配線 #推詩

 

撮影/武田敏将 取材・文/猪口貴裕