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2024/5/22 18:00

【東京・沿線ぶらり酒】新宿西口の異世界「思い出横丁」で、昭和の香りを楽しむ噺

提供:宝酒造株式会社

 

街を結ぶ沿線には、その地ならではの名酒場と酒文化がある――。本企画では、首都圏沿線の路線ごとに、奥深いカルチャーを探っていきます。ナビゲーターは『古典酒場』の倉嶋紀和子編集長。各沿線に縁のあるゲストとともに、街と酒場の魅力を語り尽くします。

 

JR中央線の第3回目は新宿。新宿駅は1日の平均乗降客数が世界一多いとギネス認定されている巨大ターミナルで、新宿区は大都市の東京で最も飲食店が多い(※)エリアでもあります。それだけに、酒場や飲み屋街の数もあまた。そんな“眠らない街”の今昔を知るべく、今回は『盛り場で生きる 歓楽街の生存者たち』や『横丁の戦後史 東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』などの著者であり、戦後から高度成長期の繁華街に詳しいフリート横田さんと対談。新宿駅から最も近い酒場通りである「新宿西口 思い出横丁」について語り尽くします。

※令和3年 総務省統計局・経済産業省「経済センサス-活動調査」より
●倉嶋紀和子(左)/雑誌『古典酒場』の創刊編集長。大衆酒場を日々飲み歩きつつ、「にっぽん酒処めぐり」(CS旅チャンネル)「二軒目どうする?」(テレビ東京)などにも出演。その他にもお酒をテーマにしたさまざまな活動を展開中。俳号「酔女(すいにょ)」は吉田類さんが命名。令和4年(2022年度)「酒サムライ」の称号を叙任
●フリート横田(右)/1979年、東京生まれ茨城育ちの文筆家・路地徘徊家。出版社勤務を経て、タウン誌の編集長、街歩き系ムックや雑誌の企画・編集を多数経験。独立後は編集集団「フリート」の代表を務める。戦後~高度経済成長期の街並み、路地、酒場、古老の昔話を求め徘徊。昭和や酒場にまつわるコラムや連載記事などを雑誌、ウェブメディアなどに寄稿している。

 

 

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再開発を逃れて輝き続ける聖地「思い出横丁」

対談の前に、まずは「思い出横丁」の成り立ちについて解説していきましょう。

 

新宿駅西口を出て、駅前の通りを大久保方面へ1~2分歩いた場所にあるのが「新宿西口 思い出横丁(正式名称は新宿西口商店街。通称は思い出横丁)」。そのルーツは、終戦直後までさかのぼります。もともと、この近辺には日用雑貨を売る露天商のほか、おでんや天ぷら、ふかし芋、佃煮などの屋台が30~40軒並んでいましたが、戦中の空襲で焼け野原に。

 

やがて戦争は終わり、迎えた1946(昭和21)年ごろ。依然として続く統制経済とガレキのなかに出現した駅前の闇市が、戸板一枚で区切ったバラック小屋の露店商「安田組マーケット(「ラッキーストリート」とも)」。これが思い出横丁の前身です。

↑1971年ごろの思い出横丁(新宿区歴史博物館蔵)

 

現在は60を数える飲食店が軒を連ねていますが、その半数以上が串焼き業態であることがひとつの特徴。その背景は、統制品に対する取り締まりが厳しかったため、統制外だった牛や豚の内蔵(もつ)などを食材にしていたことが関係しています。

 

昭和30年代に入ると、“やきとり”という名のもつ焼きをアテに焼酎を楽しみつつ、接客はホステスがサービスする「やきとりキャバレー」なる業態もあったとか。

 

そして1959(昭和34)年ごろになると、営団地下鉄(帝都高速度交通営団。現在の東京メトロ)丸ノ内線の延長計画や、駅前の再開発による大型ビルの建設などで、当時甲州街道から青梅街道まで連なっていた約300軒の店舗は、不法占拠の対象となり立ち退くことに。

 

ただ、区画整理が本格化する前の1953(昭和28)年ごろ、当時の横丁で営業していた店主たちは結束して組合を組織していました。そして地主との交渉の末にこの土地を買い取っていたため開発を逃れ、いまも思い出横丁として輝きを放っているのです。

↑こちらも1971年ごろ。小滝橋通りの起点でもある、新宿大ガード西交差点側から新宿駅側に向けて撮った写真(新宿区歴史博物館蔵)

 

現在は昭和礼賛の風潮により、酒場好き以外の老若男女も訪れるようになっているうえ、異世界に迷い込んだような独特な雰囲気はインバウンドの旅行者にも大人気。とはいえ、この横丁が老朽化や世代交代といった課題を抱えているのも事実です。これからも楽しむためには、横丁の価値に多くの人が共感し、応援していくことが大切です。

 

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アクセス抜群で大衆的。新宿西口「思い出横丁」の独自性

倉嶋 横田さんはじめまして。以前から飲み屋街や横丁について書かれた本を読ませていただいていて、ずっとお会いしたかったんです。今日はよろしくお願いします!

 

横田 僕もお会いできてうれしいです。こちらこそ、よろしくお願いします!

 

倉嶋 まずは注文といきましょうか。お酒は全量芋焼酎「一刻者(いっこもん)」で。

 

二人 では、カンパーイ!

 

倉嶋 今回は、思い出横丁について語り合いたいと思います。ここならではの特徴としては、どう感じていますか?

 

横田 ひとことで言えば、キングオブ戦後横丁ですね。世界一のターミナル駅のすぐそばに、令和のいまでも昭和のたたずまいを残していることが、まずスゴい。

 

倉嶋 やっぱり、アクセスのよさはありますよね。だから知名度も高いですし。

 

横田 新宿でいえば、歌舞伎町にあるゴールデン街(新宿ゴールデン街)も世界的に有名ですけど、並ぶお店の業態が大きな違いかなと。

 

倉嶋 そうですね。ゴールデン街はバーやスナックのようなお店が多めですけど、思い出横丁はより大衆的というか。酒場のほかに食堂や喫茶店などもありますし、チェーン店も入っています。

 

横田 その点はやはり、成り立ちの違いが関係しているでしょうね。ゴールデン街は駅の東口にあった闇市と、新宿二丁目にあった赤線(政府が半ば公認していた風俗街)地域の露店商が、行政の浄化作戦によってあてがわれた代替地ですから。

 

倉嶋 当初、ゴールデン街はいわゆる色街だったとか。

 

横田 新宿駅からの距離も関係しているでしょうね。当時の歌舞伎町界隈は開発が進まないススキ野原で、人通りも少なかったそうですし。

 

倉嶋 一方の思い出横丁は、新宿駅前の開発とともに発展し、様々な人が日用品や食を求めて行き交うようになったと。

 

横田 そうですね。ただ、戦後しばらくは統制品である正肉類は入手困難だったので、統制外だった豚のもつを串に刺し、“やきとり”と称して売り出す店が多かったんです。

 

倉嶋 それが、いまでも思い出横丁にもつ焼き屋さんが多い理由のひとつだそうですよね。感慨深いなぁ。

 

横田 なんでも、横丁内には戦前から食肉処理場の関係者と懇意な店主がいて、その方が1947(昭和22)年ごろに始めたのが先駆けだそうですよ。

 

倉嶋 素晴らしい功績。そして界隈の名店に派生していったとは、ありがたや。想像するだけでお酒が進みます(笑)!

 

 

人と酒場に魅せられて。ここならではの“思い出”

横田 倉嶋さんのなかでは、思い出横丁の特徴やイメージってどうですか?

 

倉嶋 ゴールデン街や三丁目、二丁目などいくつかの飲み屋街がありますけど、思い出横丁はやっぱり気軽ですよね。一見(いちげん)でも気負わずに入れる店が多くて、若いころからお世話になってます。

 

横田 最初に行った店はどちらですか?

 

倉嶋 「つるかめ食堂」さんです。食事がメインなのでお客さんの層も幅広く、入りやすくて重宝していました。こういった食堂とか、“元祖天玉そば”で有名な「かめや」さんなどの食事業態があるというのは、思い出横丁の発展に欠かせないポイントだと思います。

 

横田 飲み屋ばかりですと、若い女性は入りづらいですもんね。

 

倉嶋 ええ。当時は余計にハードルも高かったですから。でも、思い出横丁は比較的、女性にもやさしい飲み屋街だと思います。扉が開けっ放しのお店がけっこうあるから、雰囲気もオープンで。

 

横田 確かに、その点もゴールデン街との違いかもしれないです。

 

倉嶋 だから、思い出横丁でよく飲むようになるまでに、そう時間もかからなかったですね(笑)。

 

横田 さすがです! 横丁内でハシゴする感じですか?

 

倉嶋 ハシゴもするんですけど、いろんな街で飲んで、新宿駅にたどり着いて最後に「ただいま」みたいな飲み方もよくしています。

 

横田 駅から近い、思い出横丁ならではの楽しみ方ですね。

 

倉嶋 昔よく行ってたのは、「みのる」という地下のバー。閉店しちゃったんですけど、マスターには本当にお世話になって。すごく酔ってお邪魔しても、「なに、全然酔っ払ってないじゃん」と歓待くださっておりました(笑)

 

横田 「みのる」って、横丁の老舗もつ焼酒場「きくや」の新業態が入ったところですか?

 

倉嶋 はい! 「牛肉 酒処 キクヤ」さんですね。「みのる」が閉店するってなったときに、本店きくやの三代目が手を挙げてくださって。基本的に居抜きだから「みのる」の雰囲気そのままで、それがとにかく大拍手!

 

 

三代目が70年以上の暖簾を守るうなぎの名酒場「カブト」

横田 今回訪れたのは横丁のなかでも老舗の「カブト」ですけど、倉嶋さんは何度も来てらっしゃいますよね。

 

倉嶋 はい。以前『古典酒場』の取材でお邪魔したこともあって、そのときは類さん(吉田類さん)と一緒ですごく楽しかったです。今日はコロナ禍が少し落ち着いて、でもまだ横丁が静かだったとき以来なので、ちょっと久々ですね。

 

横田 僕も「カブト」は2年ぶりぐらいです。いまや横丁全体も、すっかりにぎわいを取り戻しましたね!

 

倉嶋 ほんとに! そして、今日は「カブト」さん、三代目が焼いてくださってます。

↑「カブト」三代目の小野達也さん

 

横田 ですね。横丁草創期からのお店ですから、さすがに歴史も深い。

 

倉嶋 創業は1948(昭和23)年で、闇市時代に屋台からはじまった、横丁の生き証人的存在。味わい深い電球の傘は、類さんが「鍾乳洞」と表現していました。

↑電球の傘には、長年の油汚れが垂れ下がるようにこびりついています。その形は鍾乳洞の鍾乳石のよう

 

横田 迫力ありますよね。炭焼きの煙と、うなぎの脂がまとわりついて生み出された、自然の芸術といえそうな。

 

倉嶋 ではそろそろ、名物のうなぎも注文しましょうか。ここは「一通り」一択ですね。お願いします!

 

店主 はいよー。

↑「カブト」のうなぎは、「えり焼き(2本)」「ひれ焼き(2本)」「きも焼き(1本)」「蒲焼き(1本)」「れば焼き(1本)」の計7本を焼き上がった順に供する「一通り」(2150円)から注文するのがお決まり

 

横田 ここはカウンター15席ですけど、今日も昼間からたくさんお客さんが来ていて、相変わらず大人気ですね。

 

倉嶋 はい。でも特に常連さんは、長っ尻が禁物ってことをわかってらっしゃるのがとっても粋!

 

横田 「一通り」を食べて飲んで、混んでくればすぐに出るってのが作法ですよね。だから回転も早い。

 

倉嶋 この、お店とお客さんのあうんの呼吸もたまりません!

 

横田 それに今日のうなぎも抜群においしいです!

↑うなぎの首付近の部位「えり焼」(追加注文は2本で400円)

 

倉嶋 ええ。パリふわっとした身に、コリッとした骨の食感が好アクセント!

 

↑うなぎの「れば焼」(追加注文は1本で450円)。希少部位なので、早々に売り切れになってしまう

 

横田 また、「一刻者」の芋100%ならではの華やかな香りが、うなぎともマッチしますね!

 

横田 「一通り」を満喫したら、次のお店へ行きましょうか。

 

倉嶋 ええ、眠らない街の夜はこれからですから! ほかの横丁のお話も聞かせてください。

 

新宿屈指の盛り場である、思い出横丁について語り合った倉嶋さんとフリート横田さん。次回は「新宿ゴールデン街」のバーへ移動し、戦後から続く界隈のディープな魅力について語り合います。お楽しみに!

 

撮影/鈴木謙介

 

<取材協力>


カブト

住所:東京都新宿区西新宿1-2-11
営業時間:13:00~20:00
定休日:日曜、祝日

※価格はすべて税込みです

 

記事に登場した商品の紹介はこちら▼

・一刻者
https://www.ikkomon.jp/

 

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