どれだけスマホが進化したとしても、何かを計算する際には、やっぱり電卓が一番。特に計算ミスが許されないお金の計算などでは、正確でより使いやすい電卓はこれ以上にない計算機と言って良いでしょう。現在、日本国内での電卓市場は主にキヤノン、カシオ、シャープの3社に集約されますが、その歴史はバラバラであり、そして各社とも異なる思いが隠されています。ここではシリーズで電卓の歴史を辿ります。
第1回目の今回は、当時カメラが主要な商品だったキヤノンの電卓参入の歴史を、キヤノンマーケティングジャパン・濱田真司さんにうかがいました。
カメラ用に考えていたブランド名が電卓に
――キヤノンさんが電卓市場に参入されたのは1960年代ですね。
濱田真司さん(以下:濱田) はい。1950年代にはカメラメーカーとしての「キヤノン」というブランドは認知していただけるようになっていました。しかし、カメラだけではこれ以上の成長は厳しいかもしれないと考え、新分野への挑戦として、エレクトロニクスの分野で新しい商品を作っていこうと考えたのが、1960年代の序盤の時期だったようです。
――そのうちのひとつが電卓だったのでしょうか?
濱田 そうです。きっかけはやはりカメラでした。カメラのレンズを作るときは、緻密な計算が不可欠で、実際に開発時には機械式計算機を大量に使っていました。しかし、この時代はまだ電子式でなく、歯車を組み込んで計算していくという機械式で、騒音も激しく複雑。操作するためだけの計算員というオペレーターが必要なほどでした。
これを電子化することで、より便利で手軽なものは出来ないだろうかと考え、企業向けに電子式の卓上計算機を開発したんですね。これがキヤノン電卓の原点となった、「キヤノーラ130」というモデルです。ちなみに、「キヤノーラ」というブランド名は、当初、カメラの名称候補のひとつだったようです。
キヤノーラ130
世界初のテンキーを搭載したキヤノン製電卓
――定価はいくらくらいだったのですか?
濱田 当時の正価で39万5千円ですので、相当な高額商品だったと思います。ただ、当時の国家予算の単位だった兆を表現できる桁数だったことと、世界初の10キー式電卓ということで好評を得たようです。
――10キー配列はそれまでになかったのですか?
濱田 ありませんでした。それまではフルキーと言って、例えば1の桁で0~9、そして10の桁でも0~9と桁ごとに10個のボタンが配列されているものでした。それをテンキーに集約し、いまの電卓にも継承されていることを考えれば、画期的な開発だったと思います。
しかし、これは弊社に限ったことではないのですが、1960年代後半から1970年代にかけては、トランジスタの価格が安くなったことで参入企業も増え、一般の個人にも電卓が広まっていきました。反面、価格競争が起きるようになり、どのメーカーもかなり厳しい状況だったようです。そのなかで生き残るための戦略商品として、プリンター電卓を開発しました。
――まさに卓上レジスターのようなモデルですね。
濱田 電卓で計算したものを、紙で残しておくためのもので、主に金融機関で使われることが多いものでした。いまもその後継モデルは多くの金融機関様でご利用いただいています。
プリンター電卓
電卓は変化させてはいけない商品!?
――当時といまのモデルを見比べても、40年ほど経つというのにさほど変化がありませんね。
濱田 このプリンター電卓は現在までに8代のモデルチェンジをしているのですが、実はあまり大きな変化は加えていないんです。何故かと言うと、これは電卓という商品特有の理由があるからなんです。
――どういうことでしょうか?
濱田 それまでの操作性を変えてしまうと、毎日のように電卓を活用される職業の方にとってみれば、些細なキー配列や打感の違いも大きなストレスやパフォーマンスの低下につながりかねません。そういった意味では「変えない」こともお客様の満足度を高めるひとつの要素になる場合もあります。
電卓開発が、キヤノンのその後の多くの商品に影響を与えた
――「変わらない」商品がある一方で、1980年代には電卓をベースにしたまったく新しいモデルも登場しますね。
濱田 電子英語辞典、電子漢字辞典、そしてワープロですね。デジタル技術を応用した新しい商品開発にも熱心に取り組んでいました。電子辞典にしてもワープロにしても、当時の最先端のデジタル技術を投入したものでした。いまの弊社には、カメラやプリンター、複写機というイメージがあると思いますが、電卓開発で培われた多くの技術や人材がその後のカメラの電子化やプリンター、複写機などの開発に貢献したんです。
一見シンプルに見える電卓ですが、知れば知るほど奥が深い世界です。後編の次回は、電卓から派生したさらなるチャレンジ商品、そして現在のキヤノン製電卓の秘密についてお聞きします。お楽しみに!
撮影/我妻慶一