『ガキ帝国』『岸和田少年愚連隊』『パッチギ!』など、社会からあぶれてしまったアウトサイダーたちに焦点をあててきた映画監督・井筒和幸。その井筒監督8年ぶりの新作は、EXILEの松本利夫を主演にむかえ、ヤクザ社会を通して昭和史を描いた『無頼』。今回は『無頼』に込めた監督の想いについて聞いた。
(撮影、構成:丸山剛史/執筆:宮地菊夫)
ヤクザ社会を通して描く「昭和史」と資本主義
――今回の『無頼』は、ヤクザ社会を通して昭和史を描くという内容で、井筒さんがここまで正面からヤクザを題材として扱われるのは実は初めてだと思うんですが、そもそもどういった経緯でこの企画が動くことになったんですか?
井筒 発想の元はと言えばもう20年以上前になるかな。山本 集というボクと同郷の絵描きさんの「男前(山本集の激闘流儀)」(岡本嗣郎・著)という本が出て、これが面白かったんですよ。彼は大阪の浪華商業高校の野球部で張本 勲さんと同期の人で、その後は高校野球の監督(智辯学園高校)を経て武闘派ヤクザになって、自分の組を旗揚げして組長をやってたんだけど、あるとき浪商時代の親友に諭されて組を解散するんですよ。それで絵描きになって、まぁ社会復帰というか別の人生を歩むわけ。本人は、「俺、全然変わっとらんぞ」って言うてたけどね(笑)。で、彼の個展で出会って以来、奈良のアトリエでも取材を重ね、ヤクザ時代のおかしな話を聞いてたんです。それから、戦後沖縄のギャング団まで取材したこともあって、そういうものの積み重ねです。この際、拾い集めた昭和の裏面史を、いろいろ取り混ぜて作ろうと思ってね。
――そうですか、けっこう以前からなんですね。
井筒 そう。97年くらいまで「男前」を画策してたのよ。そしたらまた、『のど自慢』(99年)をやることになって……。だから、『ゲロッパ!』(03年)なんかで、山本さんの珍事を勝手に入れ混ぜたりしてね。方々の場面に使ったんですよ。本人にあとで「俺のネタ盗んだな」なんて言われたけどね(一同笑)。とにかく、今まで少年や青年の不良ばっかり描いてきたから、ここらで大人の不良もやってみるかと。昭和に生きたアウトローたちが蠢く、大河ドラマとして作ってみようと思って、ボクの友人でもある裏社会をよく知る先輩ジャーナリストたちから、戦後昭和を生きて死んだヤクザたちのさまざまな逸話を聞き出して、それを色々な登場キャラに振り分けて、この事件にあの人物を合成してとか、脚本にしていったんです。先輩に監修してもらって半年やってました。
――なるほど。ヤクザ映画というと、つい派手なドンパチを想像しがちですし、井筒さんお得意のケンカ映画のイメージもあるので、活劇に振った作風も考えられなくないですけど、そもそも狙いはそこではなかったわけですね。
井筒 そうなの。派手にドンパチやると昔の東映のプログラム映画と変わらなくウソっぽいし、そうはしたくなかったから。切った張ったとか、仁義がどうしたとか、エンタメとは違うかなと思って。
――ヤクザを通して「昭和史」を描くということで、時代の変遷やうねりの中を彼らがどう生き抜いてきたか、その人間模様があくまで主眼というか。
井筒 ですね。下層社会から這い上がろうとするヤクザたちが昭和の資本主義とどういうふうに寝ていくかっていう(笑)。そこですね、描きたかったのは。あの物欲と金欲と性欲と権力欲の時代、国会議員も寝ていくし、大企業も寝ていくし、スーパーマーケットの社長も必死だし、昭和というのはみんなが欲望の限りを尽くしたんだけど、それをヤクザの一家に特化して描いてみたらわかりやすいかと。世の中、政治や経済の表だけでなく、そこは表裏一体で、裏を生きるアウトローたちも一緒だし、そこから照らしてみて、あの熱狂というか、ガムシャラだった、滑稽でタフだった昭和を改めて見てみたかったというか。そうするともう一度見え出すものがあるのではと思って。
だから、ヤクザの生き方と昭和のいろんな事件を対比させて、過激派の三菱重工爆破事件が起こったら、代わりにこっちは銀行にバキュームカーでクソをぶちまけて脅してみたいな(笑)、そんな表裏のパラレル感を滑稽に描いたつもりなんだけど。片一方で田中角栄が2億円払って保釈されたニュースがあれば、こっちで親分は刑務所から満期出所とか、そんな対比を重ねていくと昭和の気分がわかりやすいかなって、手芸のようなパッチワークでしたね。
――わかりやすい意味でのギャグとかコメディということではなく、全体的に人間喜劇的なニュアンスが色濃く出てたかなと。
井筒 そうでしょ。山本 集さんが、「おい監督よ、ワシらのやってた稼業なんてものはね、偉そうなこと言って威張って怖い顔してうろついてるけど、実は喜劇なんや」と。「顔も作ってるんや。毎日毎日あんな怖い顔して生きてらんないよ。そんなのも子分に練習させたんよ。じゃないと、銀行の支店長にあの空き地がどうのこうのって恐喝しに行けないだろ」って、そんな話聞いた日には、やっぱり最初に話した「男前」というのがなかなかよくできた本で、どういうことに仁義を通し、どこに無法や暴力がふるわれて、あるいはどういう時に街と一緒に共存できたか、組の賭場は週に何回開いてたかとか、そんなことも正直に書いてあるんです。だから、現場でも、山本のおっちゃんの言ってた、おっちゃんが残してくれた「喜劇だった」というのは、絶えずあったんですよ。
アウトローと彼らを支える女たちのホームドラマ
――あとは、女性問題がちょいちょい入ってくるのも面白かったです。
井筒 昔、某大手新聞社主催で銃器社会についての座談会があって、そのとき、取材で末席に入れてもらったのね。そしたら、全国から広域系や独立系の親分が5、6人出てきて。それで話を聞いてると面白くてね、取材が終わったあと、寿司屋で雑談になって「これ、うちのヤツには内緒だけど」って、女何人おんねんみたいな話ばっかすんのよ(笑)。だから死ぬ時にワケわかんない女が何人も出てくるって(一同笑)。そういうのも取材で聞いたんで、面白いアクセントにできないかと思って。だから、主人公の兄貴の死ぬ場面に、そういうのを入れました。
――あれ、すごかったですね。奥さんと愛人と、さらに新しい愛人の看護婦が3人一緒に、不治の病にかかったお兄さんと暮らしてるという。ちょっとカタギの世界じゃあり得ないシチュエーションというか(笑)。
井筒 あれも実話が元だから(笑)。姐さんが親分に言う「あなた、アラブの王様なの?」ってセリフもジャーナリストから聞いたのよ、昔。
――浮気がバレて「なんでダメなんだよ」って拗ねてる主人公に向かって、奥さんが言う気の利いた皮肉ですね(笑)。
井筒 ヤクザに限らず昭和の政治家や社長なら必ずあっただろうし、普通の男にもあったし、誰にでも引っかかって面白いんじゃないのと。
――だから、『無頼』はヤクザの一家を軸にした昭和史の映画でありつつ、同時にホームドラマでもありましたよね。
井筒 そうです。やくざの夫婦関係も大事だと思って。僕、今までそんなに夫婦関係を描いたことないしね、実は。『ゲロッパ!』でも羽原組長(西田敏行)の姐さんは死に別れてるし。実はあれ、大阪戦争をモチーフにしたんですよ。70年代半ばに、山口組と大日本正義団が揉めるんだよ。それで、ボクと見事に同い歳だった鳴海(清)の事件に発展するんだけど。
――京都のクラブで鳴海が田岡三代目を狙撃したベラミ事件ですね。
井筒 そう、1978年の夏だよ。ボクはあの時、なぜか感動したの。ヤクザって本当に命賭けで仕事してるんやなって。東映じゃ『日本の首領』(77〜78年/全3作)なんて映画を平気でやってたころで、そのベラミ事件が起こるちょっと前に、ボクも新東宝のピンク映画の3作目で、その抗争を彷彿とさせるようなのを撮ったりして。なんでセックスだけで十分なピンク映画であんなことやったのかなって、不思議に思うんだけど(笑)。
――まぁ、時代ですよね(笑)。
井筒 何でもソウルな熱い時代だよね。なんか、ただのピンク映画にしたくなくて。だから、「ゲロッパ!」もそのころにあった、抗争中に離縁したって話なんです。いつ取材したかは忘れたけど、要するに家族も狙われるから抗争中にわざと協議離婚をする。で、別々に暮らして25年後に、西田敏行演じる親分が大きくなった娘(常盤貴子)と再会するっていう、あれはそういうネタなんですよ、実は。それで、そのころ、大阪にディスコがいっぱいあったから、親分と舎弟がソウルダンスが好きで踊ってたってことにしようかってこじつけたんだよね(一同笑)。で、それをジェームス・ブラウンの初来日の事実と繋ぎ合わせたから、なんだかもうしっちゃかめっちゃかだけど。でも、言ってしまえばあれも映画的パッチワークだから(笑)。
――ある意味、それが井筒流の作劇メソッドと。それでいうと、劇中で公開される映画作品として、松方弘樹主演の東映実録映画『北陸代理戦争』(77年)のクライマックスを、パロディというかプチ再現されてますね。
井筒 あれは、「映画の奈落:北陸代理戦争事件」(伊藤彰彦・著)という素晴らしい本があって、それを読んでたシナリオライターと、こんなのは絶対に入れようという話になってね。
――主人公のモデルになった組長が、映画の公開後に射殺される事件に至った顛末を詳細に辿ったノンフィクションですね。で、その射殺事件も含めて『無頼』で描かれていたわけですが。
井筒 うちの主人公が最初に盃をもらう親分を、そのモデルの人にしてみたらどうかと考えて、だったら劇中映画も作って入れると面白いかと。だけど、本当は松方さんに対するオマージュですね。松方さんとついに仕事ができなかったし……。あと、監督の深作(欣二)さんに。僕はあの映画が大好きだから、プロデューサーらと相談して、パロディにして捧げたいなって。
――射殺現場が現実の喫茶店から温泉に変更されていましたが。
井筒 まんまだとね、迷惑かかる人たちが出てくるかもしれないし、パロディとしてわかってくださいよ、と(笑)。
撮りたいものを撮るためにこだわった初顔揃いのキャスティング
――キャスティングについてもうかがいたいんですが、主人公・井藤正治役の松本利夫(EXILE)をはじめ、のちに正治の妻となるホステス・佳奈役に柳ゆり菜、正治の参謀を務める兄・孝役にドラマーの中村達也と、メインキャストに井筒組では初の面々が並びました。これは、基本的に監督の意向ですか?
井筒 これも今までよりずっと工夫したつもり。前の『黄金を抱いて翔べ』(12年)が、やれ浅野忠信だ、やれ妻夫木聡だ、桐谷健太、溝端淳平と顔が売れてる役者がズラッと並ぶなんて、そういうのはいい加減にやめたいと思ってたから。だから今回は、色がついてない無名の役者をオーディションで探そうと。でないと新鮮さが出ないもん。もう懲りてたからね。そんなメジャーな作り方は。有名俳優たちに高額ギャラを払って、スケジュールのやりくりに振り回されるくらいなら、もっと自由にやれる連中で撮って、みんなでお弁当食べたほうが楽しいし(笑)。だから、自由にやるにはやっぱオーディションをちゃんとしないとダメだし、演出部が総出でやってくれました。確か3か月か4か月間くらいかけたかな。
――確かに、松本さんの顔つき、ツラ構えが、既存のスター俳優だとちょっと出てこないリアリティを醸していたかなと。
井筒 そこは逆にこだわったね。有名俳優なんか、ボクが客だったら絶対に観ないし、お客も既成イメージばっかりで見てしまうでしょ。余計な雑念が入って、それで物語の中に入れますかと。だったら、300人でも400人でも全部オーディションで集めようぜって。そんな中、プロデューサーたちも「やさぐれた顔にはちょうどいいんじゃないの」って、松本くんが選ばれたんだけど。もう、演技なんて二の次でもいいし、現場でみんなでノりでやれば頑張れるよっつって。実際、頑張ってくれました、彼は。あと、特殊メイクも頑張ったんです。けっこう長い年月の半生を描くから、ちょっとずつ老けさせなきゃなってことで。
――こだわってるなぁと思ったのが、子ども時代(演:中山晨輝)、若者時代(演:斎藤嘉樹)、そして松本さん演じるヤクザ時代の顔や雰囲気のつながり具合ですかね。普通、そこは映画のお約束で、そんなに似てなくてもしょうがないかなーみたいに割り切るとこがあると思うんですけど。
井筒 ボクも割り切ったよ(笑)。でも、そこは何回もオーディションして、「マツくんになんとか似せようぜ」と必死に何とか選びました。
――佳奈役の柳ゆり菜さんについては?
井筒 彼女もオーディションですよ。ゆり菜ちゃんは気っ風がいいから、組の姐さんの役なんてのは気っ風でしかないし、あとは大阪の子やし、ちょうどいいんじゃないってことで。やっぱ組員を束ねていくおっかさんの役だから、ドンとしてないとダメだしね。で、女優に関しては、『ヒーローショー』(10年)でも見つけてないし、『黄金〜』でも見つけてないし、だからたまには女の子を頑張って見つけようかって思って、(沢尻)エリカの次はこいつだと(一同笑)。
――主人公の兄貴役の中村達也さんも面白い人選でしたね。
井筒 中村さんは最高。一生懸命やってたな。彼もオーディション組だけど、あんなに真面目にやる人間と思わなかったから、すごかったですね。もちろん彼のことは知ってはいたけど、ライブを観に行ったわけでもないから。でも、顔つきがカッコいいし、ヤクザっぽいし、ちょうどお兄ちゃん役にいいんじゃないのって感じで、演技できんのかな? なんて思ってたら、稽古の期間中で「すごくいい味出してやってますよ」なんてスタッフから聞いてたし、撮影でもしっかりやってくれましたよ。
――一方、井筒組の常連として、ある意味一番インパクトを残す役どころで活躍されたのが、民族派活動家を演じた木下ほうかさんでした。あの役は、新右翼の民族派活動家・野村秋介がモデルじゃないんですか?
井筒 野村さんに限らず、もっと昔でいうと田中清玄とか、そういう過去の民族主義者たちのイメージをまとめて作ったキャラクターです。左も面白いし、右も面白いし、もうどっちがどっちでも面白い時代だったし、両方正しかったし、それもボクの思いです。彼らは極端で途切れ途切れだけど、面白い言葉があって。
たとえば田中さんなんて「政治家なら国になりきる、石油屋なら油田になれ、医者ならバクテリアになれ。それが、仏の境地だ」とか、とんでもないことを言う人で、おまけに60年安保で全学連に資金カンパまでしたような人で。そんな精神を持ったヤツは今いないんですよね。だから、そんなキャラも入れた感じで作ったんです。でも、ボクら世代は誰にも会えていないし、野村さんにしても酒も飲めてないし。残念でしたよ。だから、別に誰がモデルだというのでもないので、ほうかちゃんには「自由にやればいいんじゃないのって」言いました。
――そこは、ほうかさんぐらいずっと一緒にやってきた相手だと、あまり細い演出はいらないというか。
井筒 そうね、ほぼ演技演出はしなかったです。まあ、あの役はほうか自身に当て書きして作ったところもあったし。
今の時代を生きあぐねている人たちのヒントになる映画
――ほうかさんとの出会いは『ガキ帝国』(81年)ですよね。
井筒 そう。あいつ、16、17で暴走族の高校生だったから、当時。現役で。だから、「映画やってる間はお前、暴走行為すんなよ」って言ったんだけど(一同笑)。面接のときに言ったんですよ、「それだけはやめてくれ。迷惑が掛かるから」って。
――ところが、続編の『ガキ帝国 悪たれ戦争』(81年)の時、そんな注意をしていた監督のほうが警察のお世話になってしまうという。
井筒 そう、ボクがお世話になっちゃった(一同笑)。
――酔っ払って道路標識とか倒したんでしたっけ?
井筒 そう、新宿で。都条例違反、集団暴力行為とか。12日間ぐらいだったかな。
――そんなこともありつつ(笑)、ほうかさんが本格的に井筒組に参加するようになるのは、しばらく間が空いて『岸和田少年愚連隊』(96年)以降ですよね。
井筒 『岸和田』で「お前、中学生、高校生できるん?」て聞いて、それこそ田中清玄みたいに「やれよ、なんとか。お前、なりきれ!」って言ったら,「なりきります! 俺にやらしてください」って(一同笑)。あいつ、31、2だよ、あのとき。アホかお前って(笑)。
――いや、最高でしたけどね(笑)。
井筒 最高最悪だよ、本当に(笑)。他(主演のナインティナインや宮迫博之など)はもうちょっと若かったけど、20代半ばだったからね、「アホになりきれー」ってみんなに言ったんです。「中学生になりきれ、高校になりきれ、できるはず……」って。岡村(隆史)なんか、酒の息を吐いてタバコ吹かしながら「わかりましたー」って言ってたからな(一同笑)。だから、ほうかとは確かに岸和田が久しぶりでした。京都で撮った『二代目はクリスチャン』(85年)の時なんか、声かけてないからね。彼はちょうど大学(大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科)に行ってたから、暴走族をお辞めになって。
――その後、吉本新喜劇の団員を経て、役者になるため上京したという。
井筒 そういう意味では、かなりの変わり種です。『ガキ帝国』の時なんて、画面に映ってるあのまんまだったけど、今はプロになって。まぁ、いいんじゃないの、成長したんだから。向上心を持ったってことだね(笑)。向上心がなければどうなってたかわかんないから、それこそ。
――一歩道を間違えればって話ですね。
井筒 そこまで言うか(笑)。そんなこと言ったらヤクザに怒られるよ。彼らの社会は普通社会より厳しいし、そこで男を張って這い上がっていくのは命懸けだし、懲役覚悟だし大変です。それは今回の取材でよくわかったよ。
――ヤクザを社会的にどんどん追い詰めていったせいで、もっとタチの悪い無秩序な悪が幅を利かせ出したというのは確実にありますよね。
井筒 そうだと思う。社会自体に行儀も何もなくなってしまったからね、本当。いろんなヤクザ経験者が言ってるけど、みんなある時期、不良ってやりたくなるんだと。そこには、親の門地や家族の事情があったり、国籍や学歴の事情があったり、職域の差別もあるし、そこから生じるあぶれ者、はぐれ者には頼るところがないのは当たり前だと。だから、「そういうのをウチも預かってるようなもんだ」と、会津小鉄の高山(登久太郎)さんが言ってたんです、『朝生』(『朝まで生テレビ!』)で。そういう子たちをどこの誰が受け入れてくれるのか、彼らはどうやって生きてくんだと。だったら、うちらで人生の行儀見習いを仕込んで何が悪いんやと……まぁ、何の所為だろうと、社会から消えろと言われたような若い子たちの人生を誰が面倒見てくれんですかと。そしたら、司会の田原(総一朗)さんが「その通りです」って言うたもんね。
――先ほど、『無頼』はある意味でホームドラマだという話がありましたが、そもそもヤクザ社会自体が、親がいて、子がいて、義兄弟がいて、そのまた下に子がいてと、いわゆる擬似家族の世界であったりはしますよね。
井筒 うん、渡世の義理としがらみで繋がった偽家族ですね。いきなりビジネス企業の部長と課長と平社員じゃないんだよね。
――そういうところもテーマになっていたかなと思いました。
井筒 でも結局、何より一番影響を受けたのは、『ゴッドファーザー』と『仁義なき戦い』で、僕らはハシカのように熱を出したわけですよ。
――劇中でも小木茂光さん演じる組長が、主人公に「『ゴットファーザー』っつーの観たか」って訊いてましたね(笑)。
井筒 で、「あのカタギだった三男坊が肚括って親の仇討つとこが……いいですよね」って(笑)。あれはボクが72年当時に思ったことです。まっちゃんの言ったことが19歳の青春で感じたことで、本当は「『ゴットファーザー』と『仁義なき戦い』に捧ぐ」ってタイトルに出したかったくらいだから(一同笑)。
その翌年に『仁義〜』シリーズを見て20歳、まさしく失われた世代だったんですよ。大学進学率が30%くらいだったと思うけど、高卒でもロクに就職もないし。働くっていってもアルバイトが関の山で、そう簡単に町工場にも勤めに行けない。「若干名募集」なんて書いてあったけど、そうはいかなかったね。まぁ、自分も初めから就職する気はなくて、いかにして遊んで暮らすかしか考えてなかったんです。小説家? 詩人? どうしたら食えるんだと。だから、『仁義なき戦い』のチンピラたちにギーンと来たわけよ。でも、ギーンと来たものの、そのままやったら鉄砲玉に使われて終わりやなーって、じゃどうすんねんみたいな、生き抜くヒントをその映画で探してたんですよ。それで、ピンク映画でもやってみるかーって。
たぶん、この『無頼』も今の時代に生きあぐねてる若者たちにヒントになるんじゃないかな。この失われた30年を必死に生きてる40代までの中年たちも。バイトに明け暮れる東京暮らしで自分の夢を忘れてしまった人も。映画が生きるヒントになればなって思います。任侠道に生きろとは言いませんよ。遊び人は卒業して、堅気の夢を見つけろと。国家なんか頼るなと。仲間の大切さとか。そして、誰のために生きるのか、人生のテーマを見つけて、誰と共に生きるのか、そんなことを探るヒントになるんじゃないかなと。
――そういう意味では、今の時代における、かつての井筒さんにとっての『仁義なき戦い』みたいな映画になればなと?
井筒 まさにそう。1973年に夜明けの道頓堀のドブ川を見つめていた無職者のボクみたいな若者たちに観せたい(笑)。それが一番正直なとこかな。
【作品紹介】
無頼
監督:井筒和幸
出演:松本利夫(EXILE) 、柳ゆり菜、中村達也、ラサール石井、小木茂光、升毅 、木下ほうか
主題歌:泉谷しげる 「春夏秋冬〜無頼バージョン」
12月12日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開