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2022/4/29 19:30

放送作家オークラが語る。天才芸人たちと過ごした青春とコントの未来

バナナマンや東京03ら天才芸人たちとともに東京お笑いシーンの一時代を過ごし、現在は人気放送作家として活躍するオークラが、昨年12月に著書「自意識とコメディの日々」(太田出版)を出版した。今や芸人たちのコントライブを数多く手がけ、「第3のバナナマン」とも呼ばれるオークラ。本書には、彼が過ごしたお笑い界での青春譚が綴られている。今回は、本書の見どころに加え、コントの未来についても語ってもらった。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:kitsune)

 

●オークラ/1973年生まれ。群馬県出身。脚本家、放送作家。バナナマン、東京03の単独公演の初期から現在まで関わり続ける。主な担当番組は『ゴッドタン』『バナナサンド』『バナナマンのバナナムーンGOLD』など多数。近年は日曜劇場『ドラゴン桜2』の脚本のほか、乃木坂46のカップスターWeb CMの脚本監督など仕事が多岐に広がっている。

 

東京のコント師たちが築いたお笑いの一時代——「自分でムーブメントを作りたかった」

――オークラさんの半生と当時のお笑いシーンを振り返った一冊ということですが、本書を刊行するに至ったきっかけはありますか?

 

オークラ 大きなきっかけでいうと、佐久間(宣行)さんの『オールナイトニッポン0』に出演したときでしょうか。もともと、本に書いてあるような過去のエピソードを2016年から『Quick Japan』で連載をしていて、なんとなく本にしたいな、とは前から思っていたんです。そんな時に佐久間さんのラジオに呼ばれて、エピソードを話したらリスナーさんの反応がなかなか良くて。そこから、具体的に話が進んでいきました。

 

――連載のままではなく、大幅に加筆されていると伺いました。

 

オークラ そうですね。当時のシーンの全体軸を話したほうが面白いのかな、というのは考えて加筆したところはあります。大きなストーリーのほうがグッとくるのかな、と思って。あと、ちょうど新たに思うことがいろいろあった時期だったこともありますね。コロナはもちろん、若手芸人の台頭や小林賢太郎のこともありましたし。過去のことから現在のことまでいろいろ考えて書き直していたら、締め切りを大幅にオーバーしてしまいました(笑)

 

――そうだったんですね。実際に本になってからの反応はいかがでしたか?

 

オークラ 連載時よりも本になってからのほうが反応が良かったですね~(笑)。普段本を読まない方でも読みやすかったという意見も多くて、ありがたかったです。

芸人さんで読んでくれた人も多いみたいで。なんなら、普段密に仕事していない人のほうが多かった。若い芸人さんたちからも言われるようになりました。90年代後半からの東京お笑いシーンを書いたので、みんな興味を持ってくれたのかと思います。

 

――それこそ、本書には東京のお笑いライブシーンを語るのに欠かせない、重要な一時代のストーリーが綴られていると思います。やはり、その時代を生きてきたという当事者意識はありますか?

 

オークラ 「そこにいた」という意識よりは、当時は自分でムーブメントを作りたいな、という思いが強かったですね。もちろんメジャーなものではなくてアンダーグラウンドな範囲にはなりますが。

僕は昔から「はっぴいえんど」が好きで、「はっぴいえんど」が作った時代や伝説が語られた本を夢中で読んでいました。その影響で、当時から「こういう場所、歴史を作りたい」と思っていたんですよね。僕らが作った1つのカルチャーシーンが、何年後かに「あれはすごかったね」と評価されるような。だから、誰かが評伝として書籍化してくれたらいいな、と思っていたんです。だけど一向に‶一時代〟にならなそうだったので、自分で書きました(笑)。

 

「影響が強すぎて、みんな似たようなスタイルになっていましたね」ダウンタウンが示した漫才の型とは?

――オークラさんは大学生から実際にお笑い芸人の活動を始めたということですが、子どものころから芸人を志していたんですか?

 

オークラ 昔から意識していた訳ではなかったですね。そもそも当時は、芸人という職業にあまりリアリティがなかったんですよ。「芸人」を1つの夢とか目標と呼ぶような時代ではなかった。うちの親も「ふざけたことばかりしていたら吉本に入れるぞ」なんていう、よくある脅し文句で怒ったりしてね(笑)。

 

――なるほど。ではいつごろから?

 

オークラ 芸人という職業を意識し始めたのは、やっぱりダウンタウンの影響がありますよね。『ガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)の放送が始まったのが、ちょうど高校生のころ。それを見て「自分自身がお笑い表現者になりたい」という堪えられない自意識が持ち上がって来たというか。僕だけじゃなく、そのころに啓蒙された芸人はやっぱり多いんじゃないかな。

 

――当時はダウンタウン全盛期ですよね。

 

オークラ 中学生のころまでは、とんねるずでしたけど、高校以降はダウンタウンに夢中でしたね。それまで自分は周囲をただ笑わせていただけでしたが、実は面白く見せるテクニックや言い回しがあることをダウンタウンを見て初めて学んだんです。もちろん、ハッキリとわかったわけではないですが、ちゃんと理論めいたものがあると理解できた。楽器を手に取ったときのように、これがあれば「俺でもお笑いができるのかな?」と意識し始めたんですよね。

 

――やはり、そのころはダウンタウンに影響を受けた芸人が多かったのでしょうか?

 

オークラ ダウンタウンが確立したツッコミとボケのスタイルは若手が真似やすく、お客さんも「漫才とはこういうものだ」と認識しているので、理解も早くウケやすかったんです。参考にできるお笑い教材も少ないので、みんな似たようなスタイルになってましたね。

 

――ダウンタウンのスタイルに則った若手が多い中で、そことは違った毛色のコント師の皆さんに出会っていく様子が本には描かれています。皆さん、周囲とはあえて違った芸風を目指していたのでしょうか?

 

オークラ いや、そんなこともないですね。例えば、おぎやはぎは、ダウンタウンのようなボケとツッコミがはっきりした漫才は、本人たちのノリと違っていて「できないよ~」と思ってやらなかったようですから(笑)。

そもそも、演技力が高く、見せ方のテクニックが最初から備わっているコンビは、型に則らなくても、自分たちの持って生まれたやりとりのまま、笑いどころもちゃんと伝えられていた。ただ、それができるコンビが一握りしかいなかったんですよね。

 

――現在は、昔よりもお笑いのスタイルが多様化していますよね。

 

オークラ そうですね。最近は、かなり細分化されて見せ方も変わってきていると思います。参考にできる先輩芸人のネタも多いですし、お客さん側の漫才リテラシーが上がってきているのもあって、オーソドックスな漫才じゃなくてもすぐ受け入れてもらえる環境があるのも大きいですよね。

 

バナナマンにすり寄った…?「夢を叶えるために、必要な才能に近づいたんです(笑)」

――本の中では、バナナマンさんやバカリズムさんなど関わりのあった芸人さんのことを、分析している様子も綴られています。そういった評価を読んだご本人たちの反応は何かありましたか?

 

オークラ 実のところ僕は、本に書いたような分析をずーっと本人たちの目の前でやっていたんですよ。だから、みんな「あ、オークラがいつも言ってたようなことね、ハイハイ」と普通に受け入れてくれたんじゃないかなって(笑)。勝手に知らない奴がいきなり評価してきたら腹立つかもしれないんですけど、長年直接話してきたことなのでね。

 

――改めて本に収められたことで、みなさんから何か感想は?

 

オークラ 特に大きな反応はないですよ(笑)。おぎやはぎくらいかな。照れくさそうに「面白かったよ…!」って言ってきたのはね。あとは、バナナマンの設楽(統)さんは表紙の絵を何枚も描いてくれました。

 

――そうだったんですね。本の中で、当時バナナマンのお二人に自分から‶すり寄っていった〟と書かれていました。それは「一緒にやったら売れる!」など野心があったからですか?

 

オークラ 売れたいという気持ちももちろんありましたが、それよりも、自分のやりたいことを実現するために、バナナマンと組みたいと思ったんです。そのころの僕は「シティボーイズのようなコントライブがやりたい!」という想いを募らせていた時期でした。明確に言うと、コントを繋ぐ音楽があり、お洒落な映像が流れるような『さまざまなカルチャーが融合したコントライブ』を実現させたかったんですよね。ですが、自分のパフォーマンス力だけでは、そういったコントを作り上げられないともわかっていた。なので、夢を叶えるために必要な才能に近づいて行ったという(笑)

 

――なるほど。ちなみに当時、そのようなコントライブを企画することはかなり大変だったんじゃないでしょうか?

 

オークラ 大変でしたよ~。まず、お金がないところに人は集まってこないんでね。お笑い芸人なんてダントツでお金持ってないですから。DTMも発達していなくて音楽はアーティストさんに生録してもらわなきゃいけないし、映像も今と違って自分たちで編集できないですし。やりたいと思って企画しようとしても、チラシすらまともに作れなかった。そういった意味では、あのころは大変でしたね。

 

――現在はどうですか?

 

オークラ 今は今で、大変なこともありますよ。まず、芸人、アーティスト、映像作家、みんなの利害関係が一致しないと成り立たないので。それに、個々に仕事を発注するだけでなく、もっと親密な共有が必要になってきますから。

 

――今後、お笑いと融合させていきたいカルチャーは何ですか?

 

オークラ 今だと完全にラップですよね。言葉数の多さはコントに落語的に通じるものもありますし。ただラップしているだけでは安っぽくなるので、その方法は考えなければいけませんが。あとは、芸人だけでなく役者やアーティストなど、別ジャンルの人たちとは、都度関わっていきたいですよね。

 

テレビから配信の時代へ――コントの新たな見せ方と未来とは?

――最近は、テレビのコント番組が減ってしまった印象があるのですが、どうでしょうか?

 

オークラ そうですね。今はいかにお金をかけずに面白い番組を作れるか、というのが主流なので、コント番組ってめちゃくちゃお金がかかるので、難しい状況にはあると思います。ただ、NETFLIXやAmzonプライムの台頭もあるので、そのうち反動で「もっとデカいものを作ってもいいんだ!」っていう流れが来るはずだとは考えていますけどね。まあ、その他にも原因はいろいろあります。

 

――例えばどういったことでしょう?

 

オークラ 僕が『はねるのトびら』の作家をやってたころは、フジテレビで、1日12時間の会議を毎週やっていたんですよ(笑)。いまは、働き方改革でそんなことはできないし、若い子を拘束できないですしね。でも、コント番組って、それぐらいしないと間に合わないんですよ。

 

――今後、テレビでコント番組が復活できる新たな見せ方はありますか?

 

オークラ 毎週同じフォーマットのコントをただただやり続けるわけではなくて「最終回があるコント番組」が現実的かなと。シーズン〇の〇〇話までと決まっていて、ちょっと人間ドラマがあって、最後にラストの演出もある。コント番組ってずっと続けていると、どんどん数字取らないといけないから、コントのパッケージを借りたバラエティ番組になってしまうんですよ。そこを打開するための策が必要ですからね。

 

――ちなみに、ライブ配信や動画など、テレビ以外のコントの見せ方についてはどうお考えですか?

 

オークラ 配信のフォーマットの中で、急激に新しいものが生まれてきているので、そこでの広げ方は研究していかないといけませんよね。テレビコントと違って、1万人が見れば十分採算が取れたりする場合もあるので。先日も、東京03の「稽古場単独公演」という配信形式のライブを開催しました。

 

――手応えはどうでしたか?

 

オークラ 商売としては成立したのでさらに改善できる可能性を感じました。配信だとお客さんがなかなか入ってこないことがあるんですよ。例えば、家に帰ってきて疲れてるときにバラエティ番組ならいいけど、じっくりコントを見たいって気持ちになるのも難しかったりとかね。少し敷居が高い。そこの広げ方はもっと考えないといけないな、と感じました。

 

――なるほど。今後、配信形式でやってみたいことはありますか?

 

オークラ 小劇場で公開しているような映画作品がありますが、配信であればそれよりも安い予算で映像作品は作れると思うので、挑戦してみたいですね。今は、劇場に足を運ぶっていうのが難しい時代ですから。演劇的すぎず、バラエティすぎず、でも何万人が見てくれるような、ちょうどいい作品が作れるといいですよね。そうすれば、若手にもテレビに出なくとも、こういった居場所があることが示せると思うので。

 

――配信以外で、今後やりたいこと、新しくやろうとしていることはありますか?

 

オークラ 近いうちに、日本武道館でコントライブをやってみたいですね。まだやりたいな、くらいではありますが、実現できたらいいですね。

 

――すごい!それは楽しみにしています。本日はありがとうございました。

 

【IFORMATION】

自意識とコメディの日々

1994年、ダウンタウン旋風が吹き荒れる時代。「コント愛なら誰にも負けない」。芸人から作家へ転身したオークラは、バナナマン、東京03、おぎやはぎ、ラーメンズ―新たな才能たちと出会い数々のユニットコントを生み出していく。SAKEROCK、佐久間宣行との出会いから、いつしか夢となった「カルチャーとコントの融合」を舞台で、テレビで、その実現に向けてチャレンジは止まらない。『ドラゴン桜2』の脚本を担当し、「コント愛」が多くの場所に広がった今、オークラの自意識はどこへ向かうのか?天才たちの側で見た誰も知らないストーリー。オークラ初のお笑い自伝。