エンタメ
2022/11/9 21:15

【オールナイトニッポン55周年】伊集院光、ウッチャンナンチャン、オードリーのANNはいかに誕生したのか。放送作家・藤井青銅氏が振り返る

今年、放送開始から55年を迎えたニッポン放送の看板深夜番組「オールナイトニッポン」(ANN)。半世紀以上にわたり、幅広い世代のリスナーに寄り添い、今や〝深夜ラジオの代名詞〟であるANNだが、その裏には番組を作り上げてきた多数の「放送作家」たちの存在が欠かせない。

 

先日、そんなANN放送作家のインタビューを収録したエッセイ『深解釈オールナイトニッポン ~10人の放送作家から読み解くラジオの今~』(扶桑社)が発売された。本書の中では、数々の売れっ子作家がめったに聞けないANNの歴史や裏話を明かしている。

 

今回は『深解釈~』にも登場している、放送作家・藤井青銅氏にインタビューを敢行。ラジオ出身スター・伊集院光の発掘から、現在担当する『オードリーのオールナイトニッポン』の誕生まで、その歴史を改めて振り返ってもらった。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:kitsune)

藤井青銅(ふじい・せいどう)/ 1955年生まれ。山口県出身。作家・脚本家・放送作家。第1回「星新一ショートショートコンテスト」入選。放送作家としては、『伊集院光のOh!デカナイト』『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』『オードリーのオールナイトニッポン』などの番組構成を担当。

 

作家を始めてすぐにANN特番を担当
「特別感はすぐになくなりましたね(笑)」

――藤井さんが最初に『オールナイトニッポン』(ANN)に関わったのは、いつになるのでしょうか?

 

藤井 この仕事を始めてすぐのころですね。僕は小説家をするかたわら『夜のドラマハウス』という番組でラジオドラマを書いていたんですよ。その時に、声をかけられて、オールナイトニッポンの冠がついた特番を担当したんです。『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』なんかのアニメ映画の特番で、月に1回やっていたんですよね。毎月やるもんだから、ANNの枠に携わっている特別感はすぐになくなりました(笑)。

 

――そうなんですか……!深夜ラジオといえばANNと、多くの方の憧れの存在だったかと思いますが……。

 

藤井 そう、けっこうみんな思い入れがあるようなんだけど、幸運にも、僕はすんなり始まっちゃったから! ただ、特番だから関わっている作家は何人もいて、大仕掛けのドラマをやったり、レポーターを派遣したりするので、いわゆるANN的なレギュラー番組とはまた違った雰囲気でしたよ。

 

――レギュラーで最初に携わったのはどちらの番組でしょうか?

 

藤井 『デーモン小暮のオールナイトニッポン』です。レギュラーをやるっていう特別な気分はなかったけど(笑)、デーモン閣下でANNというのは、面白いしいいなと思いましたね。そこで初めて作家としてブースに入ったんですよ。

 

――本にも書かれていましたが、藤井さんはそれまでラジオブースに入ろうとしなかったとか。

 

藤井 そのころ僕は、アイドル番組をけっこう担当してたんです。伊藤蘭ちゃんとか(松田)聖子ちゃんとか。その時に、声を出さない作家だとしてもアイドルの番組のブースの中に男がいたらファンは嫌じゃないかなって思って。オンエアにチラッと出る作家もいるんですよ。でも、そういうのが苦手だったんだよね(笑)。なので、今でも基本ブースの外から音声を聞くスタイルでやっています。

 

――では、デーモン閣下のANNのときにブースに入ったのには理由が?

 

藤井 ANNは作家がブースに入るべきだと思ったんです。意図的にやりましたね。僕が作家一年目の時にちょうど『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まったんですが、高田文夫さんがブースに入っていました。当時は作家があんなに喋るのは邪道だと言われていて、本来はパーソナリティーとリスナーが一対一で向き合うのが普通で伝統だと。一年目でそう教えられたけど、聞いていてすごく面白かった。教えられたことと違うけど面白い、なぜなんだろう?と考えて、モヤモヤもしましたね(笑)。

 

――ANNにとっては画期的なスタイルだったんですね。

 

藤井 なので、それを踏襲した形ですね。高田さんはどうして上手くいってるんだろうと、僕なりに分析して自分がブースに入るときに生かしました。5つくらい技を見つけましたよ(笑)。その後、『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』を担当したときは、もう少しOFFで声が聞こえたほうがいいんじゃないかと、意識しましたね。

 

すでにテレビで大人気のウッチャンナンチャンを起用
「ウッチャンは企画を説明して回すのが上手かった」

――『ウッチャンナンチャン~』のときは、作家さんがもう一人ブースに入っていらしたそうですね。そう考えると、それまでのANNの雰囲気とはなかなか違いがありそうです。

 

藤井 そもそも、80年代の終わりくらいまで、人気のコンビでも、パーソナリティーにはどちらか1人だけを起用するって考えがありましたね。たけしさんがそうですが。

 

でも、ウンナンは2人でやるってことになって。90年代に差し掛かって、今までの「一対一で向き合え」っていう時代が変わってきていると感じましたよ。一対一となると、もう〝圧が強い〟と思う世の中になっていた。そこで、3~4人くらい、みんなでワイワイガヤガヤ放送する雰囲気のほうがいいと思ったんです。

 

――なるほど。当時すでにテレビで人気だったウッチャンナンチャンは、どのように起用されたんですか?

 

藤井 ウンナンやダウンタウンなど、いわゆるお笑い第3世代の数組の中で、誰がいいか話し合ったことは覚えています。例えば、ダウンタウンは、すでに完成されていて、関西のノリと僕らが上手くできるのだろうか、と考えたりしましたね。その中で、ウンナンとは一緒になって番組を作っていけそうだと考えたんだと思います。

 

――実際にやってみていかがでしたか?

 

藤井 上手く僕らの企画に乗っかってくれたのが、良かったですね。例えば、ウッチャンは企画を説明して回すのが上手かったから、台本にも沿りつつも面白く進行してくれたんですよね。

 

――みんなで作り上げるスタイルがお二人にも合っていたんですね。

 

藤井 そうだと思います。企画先行で盛り上げてくれて、ポンッと台本を渡せば面白く広げてくれましたね。

 

伊集院光が、今でも持っている藤井氏のアドバイスメモ
「今となっては恥ずかしいですよ (笑)」

――『ウッチャンナンチャン~』と同時期には、当時まだ無名だった伊集院光さんのANNが放送されていました。伊集院さんとの出会いを教えてください。

 

藤井 伊集院さんとは、渋谷109スタジオでやっていた『激突! あごはずしショー』の公開オーディションで出会ったんですが、その放送後に打ち上げに行ったりしてたんですよ。お互いに仲良くなろうって気持ちがあってね。そこで話していて、僕たちも「この人面白いからなんとかしてあげたいな」と思ったんですよね。

 

――当時伊集院さんは、まだ20歳前後だったかと思いますが、どういったところに魅力がありましたか?

 

藤井 やっぱり喋りじゃないですかね。「ギャグオペラ」ってネタもやってましたけど、その間の繋ぎのトークが面白くて。落語で言うマクラの時、ネタに入る前の自由な話の部分が面白いなと。それはラジオでいうフリートークになりますから、そこを見て可能性を感じたんじゃないかと思います。数人だけが面白いって言ってる状態から、ディレクターの安岡喜郎さん中心に会社に話を通して、番組が成立したわけです。

 

――すごいことですよね。本にもありましたが、伊集院さんは今でも藤井さんが書いたアドバイスのメモをお持ちだとか。

 

藤井 いやあ、なんで僕はあんなことをしたのかね~(笑)。今となっては恥ずかしいですよ。僕は彼のオールナイトニッポンには関わってないですけど、それを渡したのはオールナイトの後に始まった『伊集院光のOh! デカナイト』のときだと思います。ここで本当に売れれば……!という勝負どころの時期で、みんな応援していました。ただ僕は、ラジオスターになるだけではもったいない、若いうちはいろんなことをやったほうがいい、と考えていたんです。ですが、テレビに出ると「ラジオを捨てたのか」と言ってくる人も中にはいるので、そういう意見は気にしないで欲しい、というのは先に伝えたかったんですよね。

 

――若くして売れていく方にとっては、大切なアドバイスですね。

 

藤井 そんな気持ちが、ついつい文字になってしまったのかもしれないですね(笑)

 

M‐1以前から光っていたオードリー・若林のトークセンス
「最初から、話してくるエピソードが面白くて」

――さて現在、藤井さんは『オードリーのオールナイトニッポン』を担当されています。 藤井さんは、オードリーのお二人が『M-1グランプリ2008』で活躍される前から関わりがあったとお聞きしました。

 

藤井 M-1の3、4年前『フリートーカージャック』(ラジオ日本)という番組をやっていて、若林(正恭)さんに出演してもらっていたんですよね。その縁があり、M-1の後にすぐANNをやってほしいと声をかけたんです。ちなみに、当時「M-1も青銅さんがアドバイスしてたんだ」って言いだす人がいそうだったので、ことあるごとに「私はM-1に全く関係ないです」って言っていましたね。業界って無責任なのでね、勝手に噂になってしまうことがある(笑)。特に本人たちの耳にそんな話が入るのが、すごく嫌だったので、いろんなところで先回りして無関係宣言をしていました。

 

――そうだったんですね。実際に『フリートーカージャック』時代には、若林さんにどんなアドバイスをなされていたんでしょうか?

 

藤井 トークの進め方についてですね。一度話す内容をザックリ聞きながらアドバイスしていました。慣れていないころは、トーク中に大事なポイントや説明を端折ってしまうことが多いんです。なので、本人にしか分からないことを掘り下げて、分かりやすい順番に並べ変えて……というのを本番のブースに入る前にやっていました。

 

――リスナーさんへの分かりやすい伝え方の部分ですね。当時から、若林さんのトークセンスは感じられていましたか?

 

藤井 感じましたね。まず最初から話してくるエピソードが面白くて。最初に番組で取り上げたのが「お父さんが『黒ヒョウ』というタイトルのHPを開設した」って話。その次が、春日(俊彰)さんの自宅で開催したトークライブ「小声トーク」について。

 

――今でも伝説の有名なエピソードですよね。

 

藤井 それ、面白いね!って言って根掘り葉掘り聞いたのを憶えています。たんに僕が知りたかった。ただ、もしかしたら別の話をしていた中で、ポロッと出てきた話題だったかもしれないですね。本人にとっては何気ないできごとだったというか。芸人さんって、どうしても話にオチをつけたがるから、ラジオはそんな話ばかりじゃなくていいんだよってことは、若林さんにも話しましたね。

 

――若林さんは藤井さんのアドバイスで、トークの概念が変わったと仰られていたようで。

 

藤井 そんなにコレと言ったことを教えたつもりはないんですけどね。もともと彼には、観察力と表現力があったので、それが研ぎ澄まされていったのだと思います。

 

若林のアシストがあることで……
「春日トークがすごく面白くなっているからいい」

――春日さんのトークははいかがでしたか?

 

藤井 春日さんは、今トークがかなり上手くなりましたよね。彼はもともと観察力が弱いタイプだと思うんです(笑)。それが悪いわけではなく、個性です。世の中のことや周囲のことをあまり見ていない、気にしていないタイプ。でも、そういう人なりのトークで僕はいいと思うんですけどね。観察力を底上げするのは難しいものだから。ただ、10年以上もやってきて他の表現力やスキルが磨かれて、上手くなったんだと思います。

 

――春日さんがお話されているときの若林さんのアシストも絶妙ですよね。

 

藤井 あれがないと辛いかもね(笑)。春日トークは単独だとふにゃふにゃだけど、若林さんが入ってくるとガッと強くなる。結局、出来上がりとしては春日トークがすごく面白くなっているからいいんですよね。2人ともどんどん面白く進化しているよね。

 

――リトルトゥース(リスナー)もどんどん増えて、番組の勢いも増している印象です。

 

藤井 ラジオファンは裏切らないんです。イベントも来てくれたり、本も買ってくれたり、長く応援してくれる。武道館で10周年ライブを開催しましたが、有料のテレビのイベントだったら、1万2000人も集まりませんから。

 

――幅広い世代に愛されていますよね。

 

藤井 日向坂46とオードリーがやっている番組なんかから興味を持った、若いリスナーも増えているようです。いいことですよね。別のところからきて、ANNを聞いてもらって、面白いと思ってもらえることは嬉しいです。僕はもう歳なんで何にも関わらないかもしれないけど(笑)、そうやって番組が長く続いていってほしいと思います。

 

――これからもぜひ聞かせて頂きたいと思います。本日はありがとうございました。