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2023/2/3 19:30

今年はライブ活動を! 早見 優がデビュー曲『急いで!初恋』から今までのミュージックヒストリーを語る!!

2022年にデビュー40周年を迎えた早見 優さん。アイドルの伝説的な当たり年として知られる「花の82年組」のひとりとして、石川秀美、小泉今日子、シブがき隊、中森明菜、堀ちえみ、三田寛子といった面々とアイドル全盛期を盛り上げた。

 

個性豊かな82年組の中でも、早見さんの「ハワイ育ちの帰国子女で英語が堪能」という才色兼備のキャラクターはひときわ輝いていた。歌うことが大好きで、ポップ、ロック、ジャズ、ミュージカルと活躍のステージを広げてきた早見さんの音楽史をたっぷり伺った。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:牛島フミロウ)

 

●早見 優(はやみ・ゆう)/歌手。日本生まれ。3歳から14歳までをグァム、ハワイで育つ。14歳でスカウトされ82年「急いで!初恋」で歌手デビュー。「夏色のナンシー」や「PASSION」などのヒット曲がある。バイリンガルと国際感覚を生かしTV、舞台などで活躍。上智大学比較文化学部日本文化学科を卒業。2008年にワインエキスパート認定。2018年4月にダンスフィットネスZUMBA®のインストラクター認定、AFAAプライマリー・フィトネス・インストラクター認定。NHK World「Dining with the Chef」やNHKラジオ「深夜便ビギナーズ」(毎月第三土曜日)のレギュラー出演中。2022年にはデビュー40周年迎え、ベストアルバム「Affection~Yu Hayami 40th Anniversary Collection~」を発売。

 

花の82年組について

――デビュー40周年おめでとうございます。振り返ってみて、どんな40年間でしたか?

 

早見優(以下、早見)「ありがとうございます。あっという間だったという気持ちもあります。でも、その間にプライベートでは子どももひとり成人してますし、私のミュージックヒストリーを考えても、ずっと音楽を続ける中でミュージカルをやったりジャズをやったりしてきて、今回40周年記念ベストアルバムを出したと思うと、あっという間ではなかったのかな、とも思います」

 

――40年の歳月を一口にはなかなか言えないですよね。

 

早見「アイドル時代のことを考えると、本当に濃い5、6年間だったので、そこはあっという間だなとは思うんですけど」

 

――早見さんのデビューは1982年、いわゆる「花の82年組」ですが、裏を返すとライバル同士ともとれます。皆さんとの仲はどうだったんですか?

 

早見「仲良かったですよ。当時は3か月に1回シングル曲を出しましたから、タイミングが合う同期のメンバーとは歌番組でよく一緒になっていました。歌番組も『ザ・ベストテン』(TBS)、『歌のトップテン』(日本テレビ)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ)『8時だョ!全員集合』(TBS)などたくさんありましたし、地方局でも一緒になったりもしたので、共演がきっかけで仲良くなったっていうのもあります」

 

――お仕事でご一緒するなかで仲良くなったと?

 

早見「一番の理由は、みんな年齢が近かったことですよね。同期でも、私たちが15歳くらいで、例えば相手が19歳、20歳だとそんなに仲良くはなれなかったと思うんです。40年経った今も仲良くいられるっていうのは、本当に宝物だなって思いますね」

 

――交友がずっと続いてるんですね。

 

早見「でも、あのころはプライベートでは全然会ってないんですよ。時間もなかったですし。仕事が終わるのが夜中だったので、帰って4時間ぐらい寝てっていう毎日でした」

 

――当時、早見さんは15歳じゃないですか。すごい生活ですね。

 

早見「そうですね、コンプライアンスが緩やかな時代でしたから」

 

――あくまで仕事の現場で会って、合間合間の時間で親交を深められたと。

 

早見「SNSとかがある今の方が仲良くなれそうですけどね。プライベートでは全く会ってないけど、毎日のように歌番組や何かの収録で会っていたので、『おはよう、学校行った?』『行った、早退』みたいな、割とカジュアルな会話を交わしていました。歌番組の本番を終えて、『お疲れ~、じゃあ明日ね』みたいな感じでした」

 

――クラスメイトとか、同じ部活の仲間に近い感覚なんでしょうか?

 

早見「そんな感じです。収録の控室も、今みたいに個別の控え室じゃなくて大部屋だったので、新人の私たちはいつも出口のところに集まって、誰かがお菓子を持ってると『ちょうだい!』という感じでシェアして」

 

――同世代同士で過ごすその時間は楽しそうですね。

 

早見「はい、楽しかったです!」

 

デビュー曲秘話

――デビュー曲のお話を伺いたいと思います。ファーストシングルは『急いで!初恋』(1982年)でしたが、この曲の思い出は?

 

早見「実は、『急いで!初恋』のB面に収録された『潮風の予感』が本当はデビュー曲になる予定だったんです。デビュー前に資生堂のコマーシャルが決まったということで、『それに合わせてコマーシャルソングを作ったので、レコーディングしてください』っていうのが『急いで!初恋』だったんです」

 

――デビュー時にそういう出来事があったんですね。

 

早見「『潮風の予感』は、先生について何回も練習したんですけど、『急いで!初恋』は決まってすぐレコーディングして、練習もほとんどしないで歌ったのを覚えてます。新曲が出るとだいたい『おはようスタジオ』とか『ヤンヤン歌うスタジオ』(どちらもテレビ東京)で歌わせていただくんですけど、すっごい緊張しました」

 

――早見さんは住んでいたハワイでスカウトされて、デビューされるまでの間にどれくらい歌のレッスンをされたんですか?

 

早見「レッスン期間はあまりなかったです。10月にハワイから日本に来て、もう11月には『ヤンヤン歌うスタジオ』の中にあった近藤真彦さんの青春ドラマにチョイ役で出させていただいていたんです。同時にお芝居とか、たまに歌のレッスンがあったぐらいですね」

 

――お仕事やデビューが一気に決まって、一気にやるみたいな感じだったんですか。歌やお芝居をレッスンする準備期間は、もっとあるものだと思っていました。

 

早見「もっとあればよかったのにって思いますけどね」

 

――不安はなかったですか?

 

早見「でも、デビューの時は比較するものがないので、『こんなものかな?』って感じでした」

 

――たしかに。そうやってデビューされて、ご自分のレコードが出るというのはどんな気持ちでしたか?

 

早見「あまり実感がなかったです。テレビに出ている自分を今みたいに簡単に見られないじゃないですか。デビューしたという実感が初めて湧いたのは、シングルを買ってくださった方との握手会ですね。握手する時に初めて直にファンの皆さんにお会いして、話した時に感想をいただけるんです。『この歌いいですね』とか『歌ってる時の振り付けが可愛いですね』とか。その感想を聞いて『本当に届いてるんだな』って感じました」

 

大ヒット曲『夏色のナンシー』について

――早見さんの代表曲でもある『夏色のナンシー』(1983年)についても聞かせてください。作詞が三浦徳子さん、作曲が筒美京平さんという黄金コンビです。

 

早見「『夏色のナンシー』は5枚目のシングルなんですけど、それまでは割と大人っぽいバラードが続いたんです」

 

――早見さんのデビュー時のキャッチフレーズは「少しだけオトナなんだ」でしたね。

 

早見「アメリカに住んでいて、日本に来た時に『よろしくお願いしまーす!』みたいな感じじゃなかったんです。どこか大人びていて、声も低めだったので、そういうイメージになったのかなと思います」

 

――早見さんはじめ、82年組の皆さんはキャラクターも豊かでした。

 

早見「それまでの4枚のシングルはいろいろ試行錯誤があって、5枚目でコカ・コーラのコマーシャル出演が決まるんですけど、コカ・コーラのイメージに合わせて作っていただいたのが『夏色のナンシー』でした。この曲で覚えているのが、キー合わせの時にディレクターさんに『ちょっと半音あげよう』って言われたんです。すごく高くて、えー!? と思ったんですよ。でも『このほうが声がいいから』って、それからずっとそのキーで歌うことになりました。すごく辛かったなって思うんですけど、聴き心地がいいんでしょうね」

 

――その前の『love Light』、レコード大賞で新人賞をとった『アンサーソングは哀愁』(どちらも1982年)は、大人っぽくて静かな曲でしたけど、『夏色のナンシー』から雰囲気がポップで爽やかな感じに変わりましたもんね。

 

早見「『夏色のナンシー』のカセットテープを最初にもらって聴いた時に、すっごく爽やかで、一気にハワイの青空と海を想像できたんです。『こういう歌を歌いたかった』って強く思ったのを覚えてます」

 

――三浦先生と筒美さん、そして早見さんそれぞれの良さが完璧に出ている曲だと思います。コカ・コーラのイメージにもぴったりだし。

 

早見「ほんとに。その後、『渚のライオン』『ラッキィ・リップス』(どちらも1983年)とずっと筒美京平先生に曲を書いていただくんですけど、『渚のライオン』のカセットテープをもらって、ディレクターさんに『明後日レコーディングするから覚えてきて』って言われた時に、もう『夏色のナンシー』の期間が終わっちゃうんだと思ったのを覚えてます。寂しかったですね」

 

――すごく好きだったんですね、『夏色のナンシー』が。

 

早見「好きでしたし、初めてチャートインした歌だったので、歌う機会がものすごく増えたんです。いろんな番組で歌わせていただいたし、ようやくうまく歌えるようになってきたって思っていたんですが『あ~、もう新曲なんだ』って思いました」

 

――3か月ごとに新曲をリリースするしばりの辛いところですね

 

アン・ルイスさんからのアドバイス

――その後、『PASSION』や『CLASH』(どちらも1985年)など、ロックな曲調へと移っていきました。どういう経緯でその流れに?

 

早見「そのあたりからアン・ルイスさんにすごく可愛がっていただいていたんです。私、ライブがすごく好きなんです。ファンの方と同じ空間にいて盛り上がれるライブの雰囲気が好きなので、アンさんに『ポップな歌もいいんだけど、ライブでみんなで手を上げてわーっと盛り上がれる感じの歌を歌いたいんだよね』って言ったら、『早見はね、1年間休んで、私のコーラスについて勉強したほうがいい』とおっしゃっていただいて、『それいい!』と思って、マネージャーさんに相談したら『絶対ダメだ』と言われました(笑)」

 

――そうですよね(笑)。

 

早見「でも、アンさんからいろいろなアドバイスをいただいて、もう少しビートのきいた歌を歌いたいっていうお話をディレクターさんに話していた時に、ちょうど映画『KIDS』の主演のお話をいただいたんです。そのイメージに合わせて、中原メイ子さんに書いていただいたのが『PASSION』なんです」

 

――そういう流れだったんですね!

 

早見「私、レコーディングっていつも風邪をひいてたんです。タイトなスケジュールでしたから、夜中にレコーディングすることが多かったからかもしれません。でも、『PASSION』のレコーディングはコンディションがバッチリで、3回ぐらい歌ったところで、いつもは厳しいディレクターさんが『はい、オッケー』って言うんです。『本当に? マジで? えーっ!』ってすごく嬉しかったのを覚えてます」

 

――歌に関して、早見さんの「自分はこうしたい、こういう曲が歌いたい」というオーダーも通ったんですか?

 

早見「希望はけっこう言っていて、それが通る時もありましたし、なかなか通らない時もありました。歌を歌って、現場でファンの皆さんの反応とかを見ると『もう少しこういう歌が歌いたいな』とか、そういう気持ちはやっぱり出てくるので。『PASSION』の頃はハッキリと『この後はもう少しダンスっぽい曲を歌いたい』っていう風にはお願いしてました」

 

――ご自分のやりたいことが見つかると、提案もしていける状況になってたということですね。

 

早見「そうですね。嬉しかったですね、思ってるものができるっていうのは」

 

ジャズ、ミュージカルについて

――その後、ジャズやミュージカルに活躍の場を広げて行きます。どのようなきっかけで?

 

早見「ジャズは、私がちょうど20、21歳ぐらいの時に、事務所から『もうレコードやCDが売れる年齢ではないので、方向転換しなきゃいけない』って宣言されるんです。それで、大好きな歌がもう歌えないんだって落ち込んでいたら、父から『じゃあ今からジャズを歌えば40、50歳ぐらいになったら一人前になれるよ』って言われたんですね」

 

――早見さんのお父様はジャズシンガーですよね。

 

早見「はい、亡くなりましたが井上良というジャズシンガーです。それで、そこから父と一緒にジャズを歌っていくんですが、『ジャズはエイトビートじゃなくて、フォービートだから』ってもう本当に何度も注意されて……あと、彼は割とスタンダードな歌い方だったので『メロディーを大切に』という風にも教わりましたね」

 

――ジャズは、それまで歌ってきたポップスやロックと唱法からビートから何から違うわけですからね。難しかったのではないかと思います。

 

早見「ジャズは小さいころから聴いていたので、割と耳馴染みがあったんですね。だから知ってる歌を歌えるっていうのは嬉しかったです。でも、『歌ってたら40、50歳になったら一人前になれる』って父は言ってたはずなんですけどね、あれ? みたいな(笑)」

 

――ミュージカルはどうですか。また全然違うジャンルですよね。

 

早見「ミュージカルは、もうレコードを出せないって言われて本当に落ち込んでいる時に、『グリース』っていう作品のオファーをいただいたんです。もう何がなんでも歌を続けたいと思っていたので、『こういう形で歌を歌えるんだ』と気づいたんです。特に『グリース』ってあまりミュージカルっぽくなくて、大林宣彦監督が映画を基にして演出されたんですが、『(早見さんが演じるサンディ役の)オリビア・ニュートン・ジョンの『Hopelessly devoted to you』(邦題/愛すれど悲し)とかの歌い方を聴きながら、本当にポップな感じで歌えばいいんだよ』って言われました」

 

――そういった大林監督のアドバイスもあり、歌を歌えるミュージカルもいいなっていう感じで新たな道を見つけたと。

 

早見「私はおばあちゃん子だったんですけど、小さいころにミュージカル映画を一緒に見てたんです。『雨に歌えば』とか、『イースター・パレード』『上流社会』とか。だから、ミュージカル自体はすごく好きだったんです」

 

――早見さんの歌手としての下地には、お父さんやおばあちゃんから吸収されたものがたくさんあるんですね!

 

40周年記念アルバムについて

――40周年記念アルバム『Affection ~YU HAYAMI 40th Anniversary Collection~』についても伺わせてください。歴代の名曲もさることながら新曲が3曲入っています。『今が一番好き!』は作詞に野村義男さんのお名前がありますね。

 

早見「その3曲をプロデュースしてくださったのが川原伸司さんで、よっちゃん(野村義男さん)のバンドTHE GOOD-BYEのディレクションをされていたんです。今回、川原さんが『キューティーモリモリの3人(早見さん、松本伊代さん、森口博子さん)で形になるものを作ると楽しいんじゃない? 曲は僕が作るから、詩はよっちゃんに頼んでみる』って提案してくださったんです。よっちゃんもOKしてくれて」

 

――川原さんのアイデアだったんですね。

 

早見「そう。私もデビュー当時によっちゃんの映画『三等高校生』(1982年)に出演させていただいたり、一緒になる機会が多かったのですごく仲良かったんです。でも、そこから何十年も会っていなかったんですけど、レコーディング当日によっちゃんが来てくれて、『あー、久しぶり!』って言った時、もう一気に10代に戻ったみたいでした。セリフを入れるアレンジもその場で生まれたりして楽しかったですね」

 

――皆さんのいい関係を感じる楽しい曲です! そして、二人のお嬢さんと早見さんで歌われている『make lemonade』。こちらは優しくて元気が出る歌詞です。

 

早見「アメリカに留学している娘たちが日本に戻ってくるタイミングで一緒にレコーディングできるねっていうことで、一緒に歌っています」

 

――作詞は早見さんとお嬢さんですね。

 

早見「メインは私なんですけど、娘たちに見せたら『これは譲れない。ここは変えたほうがいい』とか意見をもらって。曲名の『make lemonade』って、アメリカでは人生で辛いことが起きた時に 『レモンをいっぱい放り投げられた』って言い方をするんです。そうやって辛酸を味わった時、考え方を変えて、美味しいレモネードを作っちゃえ(make lemonade)って、要するに、『ピンチがチャンス』のような意味なんです。小さいころ、私も言われてたし、子どもたちが小さい時に私も言ってたみたいなんです。たとえばクラブ活動を頑張ったけど、チームから外れちゃったら、『じゃあmake lemonadeね!』って言ってたんですね。子どもたちが『ママがいつもこれ言ってたよね、これテーマにしない?』って言ってくれまして、じゃあそうしよう! という感じで生まれた曲です」

 

――早見さんと娘さんたちの絆を感じさせる曲なので、ぜひみなさんも親子で聴いてほしいですね。さて、3曲目はアン・ルイスさん作詞の『Your Last Woman』です。

 

早見「今回、アメリカに住んでいるアンさんに曲を作ってってお願いしたら、『私は詩を担当するので、息子の美勇士に曲を書いてもらおう』って提案がアンさんからあったんです。美勇士君から上がってきたものを山川さんがちょっと素敵にアレンジしてくれました」

 

――3曲とも、それぞれに40周年らしいエピソードがあるんですね。それを知ってから聴くとまたひと味違いますね。

 

今年の活動予定について

――今年はこういうことやってみたいな、こういう年にしたいなっていうお考えってありますか?

 

早見「今年はデビュー41年ではあるんですけど、『夏色のナンシー』をリリースしてから40年目なんですね。だから昨年あまりできなかったライブ活動をしたいなと思っています。1回ではなくて、何回かできればいいなって」

 

――コロナ対策も整ってきていますし、また好きなライブをファンの皆さんと一緒に。

 

早見「同じ空間で歌いたいです。昨年7月に、キューティーモリモリで、博子ちゃんと伊代ちゃんと一緒にジョイントコンサートをした時のことなんですが、お客様が、私の娘と同い年ぐらいの20歳前後の方と親子でいらしてくださいました。その姿を見て、世代を超えて私たちの音楽を聴いてくれてるんだっていうのがすごく嬉しかったんです」

 

――ファン世代が親になり、子どもとコンサートに来るなんていいですね。

 

早見「今はサブスクリプションで音楽を聴く時代になっているので、若い人は、昔の歌だから……とかそういう感覚じゃなくて、あいみょんを聞いた後に松本伊代ちゃんや早見優の歌を聴いていただけると嬉しいなって思います」

 

――三浦さん、筒美さんをはじめ、素晴らしい作詞作曲家の作品ばかりですから、当時のヒット曲は今聴くとまた新鮮さを感じます。この40周年のベスト盤を通じて、新しい世代のお客さんにも届くといいなと思います。

 

早見「そうですね、ありがとうございます!」

 

【information】

Affection
~YU HAYAMI 40thAnniversary Collection~

デビュー40周年を迎える早見優のアニバーサリーアイテム第3弾! 早見優の魅力を詰め込んだCD3枚組。40年のヒストリーを感じさせる輝かしい代表曲の数々、今回初CD化のレア曲、そして新曲までを網羅した41曲、3CDアルバム。新曲は、野村義男作詞で松本伊代、森口博子と歌う「今が一番好き」、娘のありさ・かれんと作詞し一緒に歌った「make lemonade」、Annieことアン・ルイスが作詞の「Your Last Woman」の3曲。「ナチュラル」をテーマに優しさ、包容力も兼ね備えた肩肘張らない自然体の早見優を捉えた最新写真満載、スージー鈴木氏によるライナーノーツを掲載したブックレットも付属。

● 2022年10月12日発売
●定価:6600円(税抜価格6000円)
●音源同時デジタル配信

 

YU HAYAMI / LIVE 1984~1985

デビュー40周年を迎える早見優のアニバーサリーアイテム第1! 早見優の1984年と1985年のLIVE過去、レーザーディスクなどでしかリリースされていない映像2本と、カセットでしか世に出なかったそのライブを完全収録した音源をDVDCD初復刻。初々しくもエネルギッシュな早見優がここに!当時のコンサートパンフレット2冊も復刻!

 ●2022年4月20日発売
定価:1万6500円(税抜価格1万5000円)