先ごろ、ノーベル文学賞を受賞し世界を驚かせたシンガー・ソングライターのボブ・ディラン。1962年のデビュー以来、半世紀以上にわたって音楽だけでなく多岐にわたる文化活動を通して、人々に影響を与えてきました。今回の話題を受けて、「ボブ・ディランという名前はよく聞くけど、どんな曲をリリースしているのだろう?」という興味を持った人は多いんじゃないでしょうか。
1941年、アメリカはミネソタ州生まれ。つまり現在75歳ですが、いまも精力的にライブ活動を続けています。「ネヴァー・エンディング・ツアー」と銘打ったワールドツアーで年間の1/3はステージに立っており、日本へも今年4月に来日、計16公演も行い喝采を浴びました。
そんなボブ・ディランの、人となりから代表曲まで、どうやってその世界観を楽しめばいいのか、数多くの雑誌やライナーノーツの執筆を手がける音楽ジャーナリスト・伊藤なつみさんに教えてもらいました。
――まずはボブ・ディランの経歴から教えてください。ミュージシャンとして、さまざまな賞を受賞していますよね?
伊藤:1962年にアルバムでデビューして以降、50年以上のキャリアを持つシンガー・ソングライターです。楽曲の他にも映画などの創作活動を行っています。これまでグラミー賞にアカデミー賞、ピューリッツァー賞までもらっていますから、ノーベル文学賞が決まったときは絶対に受け取るだろうとは思っていました。
――ノーベル文学賞のニュースでは当初、音信不通とのことで世間を騒がせましたが、どのような人物像なのでしょうか?
伊藤:ボブ・ディランというのは芸名で、今やこれを本名として改名しているくらい自意識の高い方ですし、これまでの活動や言動を振り返ってみても、やはり“目立ちたい”とか“有名になりたい”という気持ちが強いのではないでしょうか? ノーベル文学賞の件についてはうれしくて仕方がない気がします。だからあの騒動にも納得というか。“すぐに返答するのは、欲しがっているみたいでカッコ悪い”とか思ったんじゃないでしょうか。基本的には自由人ですし、ふたご座だから二面性が強いのかな。
それに、どちらかというと破天荒な人間だと思います。表向きには吟遊詩人とかカリスマ性ばかり取り上げられて、「文学の最高峰」に位置するミュージシャンのように言われていますけど、蓋を開けてみると……かなり気分屋さんで、女性に関するトラブルもかなりあったようですし(笑)。ただ、そういった“人間臭さ”がいろいろな楽曲や創作活動へ良い影響を与えていることは、間違いないでしょうね。また有名な曲でも、ライブではサビまで歌わないと分からないほど大胆にアレンジするところも魅力です。そうやって歌い方の幅がとても大きく、日によってさらに変わるのは本当に“詩人”だなあと思いますね。
何より発表しているアルバムはもちろん、楽曲数がものすごく多いし、未発表曲も数知れずで、しかも常に歌詞にも深い意味を込めた素晴らしい歌を発表し続けている才能に溢れたミュージシャンだと思います。現在75歳ですが、今年も日本でライブを行ったほどツアーを重視して第一線で活躍していて、表現者としてのモチベーションも高いのでしょうね。
――かなり人間味のある方なのですね。ではその音楽性を楽しむ上で、どのような楽曲から聞いていくとよいのか。伊藤さんのオススメをお願いします!
伊藤:デビュー当初からアメリカの伝統音楽のメロディや歌詞を継承や引用していて、特に初期のころは、知れば知るほど面白みが増すような曲作りをしています。まずはきっかけだと思うんです。ボブ・ディランのことは知らなくても、カバーソングやCMソングとして耳にしたことはあると思います。日本でも影響を受けているアーティストも数多くいますよね。
伊藤なつみさんおすすめボブ・ディランはじめの10曲
アルバム「欲望」より
「Hurricane」
「子供の頃に聴いて衝撃を受けた曲です。殺人の冤罪で捕まったボクサーの話で、事件から裁判の様子までを歌にしていて、ストーリーテラーとしての魅力はもちろんありますが、こんな事実を基にして書くこともできるのかという驚きがありました。その後ボクサーは自由の身となり、デンゼル・ワシントン主演で映画化されています。訴える言葉や歌の強さに加え、ヴァイオリンが感情が渦巻くハリケーンのように激しくなっていくところが、ドラマチックですごくカッコいいです」
アルバム「ビリー・ザ・キッド」より(1973年)
「天国への扉」
「エリック・クラプトンやガンズ・アンド・ローゼズのカバーで知った方も多いのでは? ディランが映画『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』に出演し、その流れから音楽を担当。チョイ役だったものの、子供の頃に映画スターに憧れていた彼は大喜びだったそう。死に際の歌ながら、温かみのある歌い方が印象的で、“ママ、このバッジを外しておくれ” “ママ、僕の銃を地面に置いておくれ”という歌詞に、当時ベトナム戦場の兵士の姿に重ねて聴いていた人もいたそうです」
アルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」より(1964年)
「オール・アイ・リアリー・ウォント」
「アコースティック・ギター1本とハーモニカだけによる、フォーク・シンガー的な作りによる1曲です。カントリー風の歌い方にヨーデルのような裏返る声、それに笑い声も入っていて、リラックスした雰囲気を感じさせるナンバー。その一方で、世の中に溢れている問題をシンプルな言葉にして歌い、最後には“本当にやりたいことは、君と友達になりたいんだ”と導いていく歌詞も好きですね」
「マイ・バック・ペイジズ」
「山下敦弘監督作品で、妻夫木聡さんと松山ケンイチさんの共演による映画『マイ・バック・ページ』を観た時に、映画のタイトルをボブ・ディランのこの曲から付けたと知って聴き直し、やっぱりいい曲だなと再認識しました。“あの時の僕は今よりずっと老けていて、今の僕はあの時よりもずっと若い”という歌詞が有名ですが、ディランは23歳の頃にこれを歌っていたわけですよね」
「タイム・アウト・オブ・マインド」より(1997年)
「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」
「オルガンも入っている温かい雰囲気の曲で、ちょっとボブ・ディランっぽくないようなラブソング。ダミ声に近いしゃがれた声で歌っていて、それがかえって味になっているという。聴いてきて、不思議と優しい気持ちになれる歌です」
「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」より(1963年)
「風に吹かれて」
「ピーター・ポール&マリーが歌って世界的に大ヒットし、アメリカの公民権運動の賛歌とされたのをはじめ、その後もプロテストソングやスピリチュアルソングとして広く親しまれているスタンダードナンバー。トラディショナルソングを下敷きにしていて、歌の最初に“どれだけ〜すればいいのか”という問いかけが続き、最後に“その答えは風の中に舞っている”と収めていくレトリックな手法も有名になりました」
「くよくよするなよ」
「私は、シンガー・ソングライターのおおはた雄一さんが、自分なりの意訳をつけて歌っているヴァージョンが好きで、そこからまたボブ・ディランの歌を聴き直したりしました。この歌はディランと当時付き合っていたガールフレンドが、2人の間のいざこざを機にイタリアのペルージャに留学してしまい、それが寂しくて書いた曲だそう。そういう背景を知ると、親しみが湧いたりしますね」
「はげしい雨が降る」
「当時のアメリカは公民権運動やキューバ危機といった問題を抱え、このままアメリカとソ連が核戦争になってしまうのでは、と、危惧された頃の歌。ディラン本人は“はげしい雨”というのは“核”のメタファーとは明言していませんが、そのように取れる書き方をしていて。“僕は伝え、考え、語り、ささやき/山にこだまさせれば、皆に伝わるだろう”といった歌詞も、ディランを象徴するフレーズだと思います」
「血の轍」より(1975年)
「ブルーにこんがらがって」
「最高傑作と言われるアルバム『血の轍』に入っている曲で、歌詞が大好き。いろいろなことを歌いながら“ブルーにこんがらがって”という結びになるわけですけど、意味が通じない箇所があって。曲解説を探してみたら、“絵画は一部だけ見ることもできるし、全体を見ることもできるので、絵画のような曲にしたかった”とのこと。“時間の概念を排除し、登場人物を1人称から3人称まで変化させ、リスナーには誰が話しているのかはっきりしないけど、全体を眺める時はそんなことはどうでもよくなる”と。この話を知って、さらに好きになりました」
「追憶のハイウェイ61」より(1965年)
「ライク・ア・ローリング・ストーン」
「上流階級の女性の転落を皮肉った曲で、堕ちていった人をディスっているんですね。こういう辛辣な歌は今でこそヒップホップをはじめ数多ありますけど、当時は珍しく、しかもディランがフォークからロックへと移行しつつある中で、シングル曲で6分を超す長さにもかかわらず大ヒットした曲なんです。ベトナム戦争が激しくなるアメリカでは反体制的な思想を持つ曲として注目され、ロックが若者に多大な影響をもたらすようになった代表曲とも言われています」
――ありがとうございます! これでボブ・ディラン入門はバッチリですね。詩と音楽の世界に浸ってみたいと思います!
取材・文=三宅隆
写真協力=ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
Profile
伊藤 なつみ
音楽ジャーナリスト/編集者として、洋楽・邦楽ともにさまざまなジャンルにわたって多くのミュージシャンをインタビュー。現在は「FIGARO」「SPUR」「装苑」などの雑誌やCDにライナーノーツを執筆するほか、音楽やイベントのプロデュースも担当。
【URL】
何気ない日常を、大切な毎日に変えるウェブメディア「@Living(アットリビング)」