ギャランティーク和恵の歌謡案内「TOKYO夜ふかし気分」第4夜
こんばんは、ギャランティーク和恵です。寒い日が続きますね。先日東京はずいぶんと早い初雪を迎え、あっという間に冬到来です。これから3月まで冬が続くんだ……と考えると気が遠くなります。はぁヤダ……早く春が来ないかしら。
そんな寒い季節がやってくる頃、東京では「酉の市」という商売繁盛を祈願するお祭りがあちこちで行われます。ワタシの店「夜間飛行」がある新宿ゴールデン街の隣に鎮座する「花園神社」で行われる酉の市もとても有名で、熊手を買う人たち、そして露店で買い物する人や見世物小屋を見にくる人たちで毎年大賑わいです。今年もそんな賑わいのなか、ワタシも夜間飛行のオーナーとして、お客様と一緒に熊手を買いに行きました。熊手は、毎年少しずつ大きくしていくのが習わしだそうです。今年で熊手を買うのは10回目なので、ウチの熊手も随分と大きくなりました。でも、大きくなってしまうのもそれはそれで問題です。ウチは3坪くらいのお店なので、これ以上大きくしてしまうとお店に飾れなくなってしまいます。その店相応のサイズってものがありますから。伊勢丹さんの熊手なんて相当大きいですよ。もしかしたらウチの店1つ分くらいあるんじゃないかしら……。新宿は、歌舞伎町にゴールデン街に二丁目といった水商売から、高級百貨店もあれば芸能事務所もありオフィス街もあり、多種多様な人種を受け入れてくれる街です。そんな新宿を「花園神社」は見守り続けてくれています。
ところで花園神社の境内の隅にひっそりと、もうひとつ神社があるのを皆さんご存知でしょうか? 「芸能浅間神社」といって、歌手や役者や芸人やタレントや芸術家など、「芸」に携わる人たちが多くお参りに訪れる有名な神社です。そこには、藤 圭子さんの名曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑があります。藤 圭子さんは、最近復帰アルバムが大ヒットし話題となった宇多田ヒカルさんの母親としても有名ですが、彼女も新宿にゆかりのある歌手の方で、デビュー曲「新宿の女」では、“流しのスタイル”(ギターを持って飲み屋を回り、演奏したり歌ったりする当時の職業)で新宿の繁華街を25時間もキャンペーンをしたそうです。25時間だなんてワタシは絶対無理……。だって、女装耐久時間はせいぜい12時間ですから。しかも夜限定。まぁ藤圭子さんは女装ではないので一緒にするのは失礼な話ですが、それでも25時間も歌い続けた彼女の根性はすごいと思います。
「流しのスタイル」というのは、いまはもうほとんど見ることが出来ない文化となってしまいましたが、ゴールデン街ではつい5年ほど前まで、流しのオジさんがお店をまわって歌っていた姿が見られました。でもそれはいわば「有形文化財」のようなもので、その当時の時代をタイムカプセルのように残し続けたゴールデン街だったからこそ存在出来たわけで、ほかの街の酒場で「流しのスタイル」を続けるのはきっと難しいはず。歌も酒場も、時代の気分とともにあるものですし、流行り廃りだってあります。1960年代から70年代にかけて、戦後の復興から高度経済成長に至るまでの貧しさと豊かさが隣り合わせだった激動の時代。夜の酒場にもそんな激しさや熱気があったのでしょう。そんななかで登場した藤 圭子さんの「怨歌(えんか)」と言われたあの軋みのようなドスの効いた独特の声が、あの時代の人々の心や世の中のムードとフィットして、彼女の1stアルバム「新宿の女」はオリコンアルバムチャート20週連続1位という特大ヒットになりました。
そして1970年代に入ってから人々の生活はどんどん豊かになり、東京の街も副都心計画により高層ビルが次々と立ち並びだします。そしてある時ふと気付くのです。私たちは本当に豊かになったんだ、と。さらに夜空を見上げると、星の瞬きの代わって等間隔に並んだ四角の灯りが浮かび上がっている……。その見たこともない光景にきっとその当時の人々は心を奪われたことでしょう。なんて東京の夜は美しいんだ、と。それは80年代のフィーリングでもある“アーバン”を描く象徴的な景色となり、夜のテレビ番組のセット、スナックの看板などでも、ビルに窓明かりのようなデザインが多く見られるようになりました。
【今夜の歌謡曲】
04.「東京迷路」藤圭子
(作詞/浅木しゅん 作曲/杉本真人)
高層ビルのあいだに追いやられて時代に取り残されていくゴールデン街のように、80年代に入るころには藤 圭子さんも歌手として時代に取り残され、行き場をなくしているようでした。藤 圭子さんは79年に一度歌手を引退されています。時代の変化とともに、彼女にも歌手としての迷いがあったのかもしれません。けれどもすぐに歌手活動を再開、「藤 圭似子(けいこ)」という不思議な名前でカムバックしました(すぐにまた元に戻りましたが)。彼女の持つ情念深く重々しいイメージを、改名により払拭しようと試みたそうです。そんな彼女の不遇な時代の中で生まれ86年にリリースされた佳曲「東京迷路」は、言うなれば“藤 圭子meetsアーバン”。サウンドはこの頃によくあるクリスタルなシンセが心地よいライトメロウなバラードで、ジャケにも高層ビルを背景(というか合成)にしてアーバンを演出しています。しかし歌詞の内容は変わらずドスが効いていて、自分の体を売ろうが死のうが生きようが私の勝手でしょ? とやさぐれる女を昔の自分と重ねる、という70年代初期に良く描かれる世界で、歌唱も昔のままの藤圭子といった感じですが、それでも挑もうとした80年代のアーバン・フィーリング。実はこの曲、ポリドールからリリースする前に自主出版で制作していたらしく、そこに再起を図る彼女の意気込みを感じずにはいられません。
ゴールデン街から副都心の高層ビル街へと渡り歩いて迷子になった新宿の女。時代に愛された歌手は、いつか時代から裏切られてしまうものなのかもしれません。そんな宿命に抗うように挑んだアーバンな時代に、藤 圭子さんの居場所は果たしてあったのか……。その後の彼女の苦悩は計り知れませんが、最期の悲しい訃報に胸が苦しくなったことはいまでも覚えています。店を閉めた後、花園神社と浅間神社にお賽銭を投げて、始発が走り始めた新宿の駅へ向かって靖国通りをトボトボ歩いていると見えてくる、朝靄の中でぼんやりとそびえ立つ副都心のビル。トタン屋根のゴールデン街だって、副都心のビル郡だって、どちらもいまとなっては同じ「遺跡」のようなものだと感じるのです。
<和恵のチェックポイント>
1986年にポリドールよりリリースされたシングル。しかし、ポリドールからリリースする前に自主制作で同じ内容のレコードを出しており、そちらのジャケットは演歌歌手によくある白バックのバストアップというシンプルな写真なのですが、ポリドール盤のジャケットでは、背景にビルの写真が無理やり合成されています。このビルは摩天楼的な高層ビルというよりは日比谷公園前のオフィスビルという感じではありますが、アーバンなイメージを押し出そうとする努力が垣間見れます。
曲は内藤やす子の「六本木ララバイ」のような3連ロッカバラード。詞の内容は、やさぐれた女に昔の自分を重ねて見ているというものですが、歌というのは時間芸術なので、散々やさぐれたこと歌っていても、「~というあの子」と他人ごとにしてしまえば、本人はやさぐれとは無縁のアーバンでいられる、というからくりが楽しめます。ちなみにワタシがイメージするアーバンとは、「肌寒い夜にコートの襟を立てポケットに手を入れて、都会の夜の街にひとり。寂しいようで、でもどこか心地よい気分で歩いている」という感じ。それがワタシが思う「アーバン」。この曲をアーバンにさせているのは最後の「ロンリーナイト」を連呼する部分です。いつもの藤圭子節ならば悲痛な叫びに聴こえるはずですが、この曲ではさわやかな歌唱に聴こえるのもアーバンの魔法でしょうか。アーバンっていいですね……。
渋谷公会堂での「デビュー一周年記念リサイタル」から、1979年12月26日の新宿コマ劇場での「引退リサイタル」まで、4つのライブを5枚のCDに収録、さらに「藤 圭子」担当ディレクター榎本 襄氏選曲によるスタジオ録音8曲を1枚のCDに収録した計6枚組のCD-BOX「藤圭子劇場」も要チェック! 152ページの小冊子には、CDに収録されている本人や司会のトークのほか、ギャランティーク和恵さんも絶賛した「新宿25時間キャンペーン」特集記事や写真も掲載しています。
「藤圭子劇場」
1万円(税抜)
CD6枚組/152ページブックレット付き
※Sony Music Shop及び通販各社による通信販売限定販売
【インフォメーション】
ギャランティーク和恵さんが昭和歌謡の名曲をカバーする企画「ANTHOLOGY」の第3集「ANTHOLOGY #3」が、2016年11月9日(水)より配信中&CD発売中です。詳しくはANTHOLOGY特設ページをご覧ください。
「ANTHOLOGY #3」
発売中
配信:600円 日本コロムビアより
CD:1000円 モアモアラヴより
iTunes store、amazon、ほかインターネットショップにて
<曲目>
01. 燃える秋(作詞:五木寛之 作曲:武満徹)
02. 窓あかり(作詞:山口洋子 作曲:梅垣達志)
03. クリスマス・イブ・シック(作詞:阿木燿子 作曲:筒美京平)