病状の急変により、長期の入院が確定した著者。10日から2週間と言われていた入院期間は、歩けないこともあり、一時帰宅の許可さえでない状態となりました。これは脳梗塞を発症した、40代フリーランスライターの記録です。
【過去の記事はコチラから】
40代フリーランスが脳梗塞で倒れて起こったこと【01・異変】
40代フリーランスが脳梗塞で倒れて起こったこと【02・入院生活】
様態の変化により、入院期間が長くなることが決まり、この先の生活を真剣に考えなければならなくなりました。このとき、かけていてよかったと感じたのが入院保険です。
20代のころ、いざという時に収入がなくなっては困ると考え、ちょっと厚めに入院保険をかけていました。この保険給付で入院費をまかなえます。また国が定める「高額療養費制度」では、一般的な収入の場合は8万台を上限に免除してくれます。リネン代や入院中の食事代の一部など適用されないなど制約はありますがこの制度のおかげで入院費は10万円前後に抑えられます。
問題は生活費です。筆者宅は家族5人。生活費は固定費だけでも数十万円はかかってきます。選択肢は2つです。1つは入院保険を生活費に回して大部屋に入院する方法。この場合はスマートフォンを使った音声入力ができないため、ほとんど仕事はできません。そして、もう1つが入院保険を個室の差額ベッド代に当てて、治療とリハビリと並行して仕事をする方法です。個室なら好きなだけ音声認識ができます。
また、フリーランスの仕事は席の取り合いという部分があります。仕事を断るとほかのライターに流れ、戻ってこないことが多くあります。それでなくても入院により、取材や発表会レポートなど、対応できない仕事も増えている状態。数か月後に退院してすぐに生活していけるだけの仕事が確保できるとは思えませんでした。そこで、個室に入り、入院中にできる仕事、もらえる仕事は積極的に受けていく方法を選びました。
iPhoneで音声入力とフリックを駆使
入院してしばらくは右手がまともに動かなかったため、すべてを左手で行う必要がありました。片手での原稿の書き方は、スマホのフリック入力と音声入力です。メインで使ったのはiPhoneです。iPhoneの音声認識では句読点や改行なども入力できるのがポイント。音声認識の精度はGoogle音声認識のほうが高い印象でしたが、句読点などが音声で入力できないうえ、不要な半角スペースが文節ごとに入ってしまうため、原稿書きには使えませんでした。
原稿書きの手順は、まずiPhoneで音声入力して、フリック入力で修正していきます。それをクラウドアプリ経由でパソコンに取り込んで、Wordやテキストエディタに貼り付け、パソコン上で最終的な確認修正を行い、納品するという流れです。クラウドアプリは当初「Evernote」を使っていましたが、使い勝手が良かったのが「DropBox Paper」。
Wi-Fi環境下ではほんのわずかなタイムラグで同期できました。iPhoneの音声入力では変換候補が表示されず、認識するとそのまま確定するという欠点もありますが、これは他のアプリでも多いため、同期のしやすさで使い続けました。1行15文字と文字数計算がしやすかったのもポイントです。
その後、原稿書き用の端末をiPhone 7 Plusから片手でのフリック入力がしやすいiPhone 5sに変更。原稿の入力速度はアップしていきました。
回復期リハビリテーション病棟で徹底リハビリの日々
入院生活は約2週間の投薬(主に点滴)と経過観察が終わったあとは、リハビリをメインにおこなう、回復期リハビリテーション病棟に転院します。治療が優先の急性期病棟でのリハビリ時間は40分(2単位)を3回(歩くことを目指す理学療法士、生活改善のために手のリハビリを行う作業療法士、顔の動きや会話などを主に見る言語聴覚士が各1回ずつ)が上限で、すくないときは1日40分のみということもありました。しかし、ここでは1日最大3時間のリハビリが受けられます。
脳梗塞では血液が流れてこなくなった部分の脳細胞が死にます。そしてその部分が司っていた機能も一緒に失われます。リハビリは足や手を繰り返し動かすことで脳の元気な部分に再びその仕事を教えていく作業です。多くの経験と深い知識を持つ療法士さんはまさにリハビリのプロ。最初は優しく、回復が進んでくると厳しく、ときにはちょっと痛く、麻痺した右手、右足の動きを促してくれます。
その結果、一時はほぼ動かなくなっていた右手、右足は、確実に回復していきました。入院から2か月後には車いすを下りて、杖を使いながらですが自立歩行を獲得。さらに手も肩より上に上がるようになっていました。
その間も仕事は続けています。毎日のリハビリの合間の 空いた時間を仕事でこなしていきます。リハビリは身体が回復していくにつれてハードになっていくため、思い通りに仕事が進まないこともありましたが、左手でのフリック入力の速度は速くなっていきました。2か月が経過したころには2000字ぐらいの短い原稿ならフリックだけで書けるようにもなっていました。
さらに自分でも驚いたのが、右手が不自由になったことで左手がドンドン器用になっていったことです。入院から1か月後には左手で箸を持ち食事ができるようになっていました。さらにノートPCのキーボードです。仕事柄、両手での入力速度はかなり速かったのですが、片手では再びキーを見ながらの入力に戻っていました。それが退院のころには左手だけでかなりの早さでタイピングできるようになっていました。
4か月の入院から退院へ
突然の手足のしびれから約4か月。ついに退院の日が来ました。短い距離なら杖がなくても歩けるまでに回復しました。ただし、長期間車いすだったこと、そして通常の筋トレやリハビリでは簡単には動きを取り戻せない小さな筋肉が数多く眠っているため、安定性に欠け、疲れやすい状態です。これは日常生活の中でゆっくり取り戻していくことになります。
また、右手もかなり回復しましたが、キーボードをタイピングできるのはもう少し先になりそうです。これらは通院リハビリでゆっくりと回復を目指していくことになります。
今回の病気では不幸中の幸いが数多くありました。入院保険をしっかりとかけていたこと、失語症などを含む高次脳機能障害が出なかったこと、そしてなにより、入院中を支えてくれる友人、仕事仲間、家族に恵まれていたことです。そしてiPhoneをはじめとするデジタルツールの数々が入院しながら仕事をするという生活を支えてくれました。
後遺症を抱えた状態での日常生活はまだまだこれからです。しかし、家族持ちのフリーランスに休みはありません。再発しないよう生活を見直しながら社会復帰していこうと思います。
監修:南町田病院 脳神経外科 原島 克之医師
http://www.mmhp.jp
【過去の記事はコチラから】