フリフリのリボンやレースをデコレーションした一点もので街をブラつくおじいちゃん──。女装愛好家のキャンディ・H・ミルキィさんは現在72歳、そのファンシーな外見からは想像もつかない波乱万丈な半生を歩んできました。このほど、120分に渡るロングインタビューを敢行。女装のルーツ、恋愛、闘病生活、終活に至るまでの全てを激白してくれました。
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新聞配達の合間に古着漁り「姉のブラウスがうらやましかった」
──「メルヘンおじさん」の名に違わぬ装いですね! まず、今日のファッションポイントを教えてください。
キャンディ ずばり“LFR”です!
──え?
キャンディ “レース、フリル、リボン”のことです(笑)。大事なことなので最初に断っておきますが、私は「LGBTQ」ではありません。男性で女性が好き。帝塚山学院大学の小田晋先生によれば、「君はレースやリボンを愛好するフェチニズムの世界の人」とのこと。つまり、レースやリボンをこよなく愛していると。
──なるほど、それで今日もたくさんの装飾品が……。
キャンディ 全部自分で布を買ってきてはミシンで継ぎ足しているの。見てよ! 袖が二重になっているでしょ? これは、寒暖に対応するため。暑い日に取り外せるように二重構造になっているんだよ。なんといっても、一年中着られるようにするためにも機能性は大事! でも、周囲からは“違法建築”だと言われることが常なんだよね。
──“違法建築”!? これまたどういう意味なのでしょうか?
キャンディ 船の模型を趣味にしている周辺でよく使われる業界用語。「魔改造」というとわかりやすいかな。船の場合は水面に浮くかどうかの機能性を無視して、自らの理想を実現させるあまりにパーツをどんどん足してしまう。まさしく沈没しちゃうような代物なわけさ。私の洋服も最初はいたってシンプルでした。そこにレース、リボン、エプロン、ケープ、スカートを次々に取り付けてしまってね。
──足し算ばかりで引き算はない?
キャンディ そうそう。そもそも小難しい計算ができるタチじゃない。インスピレーションでリボンが欲しくなれば足すし、レースが欲しくなれば足すだけのこと。ほら、これも見てよ! レースの使い方も上手でしょう?
──確かに匠の技ですね。先ほど、機能性の話をされていましたが流石に冬場は寒そうな恰好ですね。
キャンディ ちゃんとインナーとして温かいババシャツを着ているのよ(笑)ほら、セーターも着ているでしょ?
──本当だ! 失礼しました……。ちなみにフリフリのお洋服は何着ぐらい持っているんですか?
キャンディ だいたい20着ぐらいかな……。古いのを潰して新しく生まれ変わらせたり、20年以上着たのにデコレーションして復活させたりと結果的に長く着ているものばかり。常に何かしらミシンで作っているかな。だって、しょうがないんだもん。女装を始めた頃から太っていて市販のかわいい服だとサイズがない。だったら自分でイチから縫うしかないじゃない? あるいはマタニティドレスをデコレーションするしかないよね? 生地にはお金がかかるけど、他に道楽もないからね。とにかく安い店を探して材料は全部使いきるようにしているよ。
──素朴な疑問を失礼します。洗濯はできるんですか?
キャンディ もう洗濯機に放り込んでジャボジャボ洗っちゃう。ネットになんか入れないよ。基本的に綿製品ばかりなので丸洗いしてパッと干しちゃう。シワが残ればアイロンをかけるだけだからさ。
──ピンク色のウィッグもかわいらしいですね。
キャンディ ありがとうございます。被っているナースキャップにマッチしているでしょ? 自宅には大量にウィッグのストックがあるの。というのも、昔「ひまわり」という名前の同人雑誌を制作していた時代に、カツラ屋さんの広告を出したのにその代金を払えないからと代わりに大量のウィッグが送られてきた。で、それを読者プレゼントに出したんだけどかなりの数が余ってしまって。
──よく見ると足元もフリフリだ!
キャンディ なんと、これ安全靴よ。つま先に鉄板が入っている。外歩くのに疲れにくいんだ。どうしても、靴のサイズが25.5cm以上になるとかわいいのがなくなる。だから、自分でリボンをつけちゃうの。
──頭から足先まで抜かりなしですね。いつから女装に興味を持っていたんですか?
キャンディ 振り返ると、物心ついた頃から女の子の洋服やおもちゃにばかり興味があった。だって、かわいいんだもん~(笑)。4人きょうだいで1人だけ4歳上の姉がいて私は末っ子。で、姉がレースやフリルでふりふりのブラウスを着させてもらっているわけさ。それを見て「うらやましいな……」と憧憬の念を抱きながらも「俺は男だから……」と葛藤していたのを覚えている。なんせ、私が着ていたのは兄貴たちのおさがりばかり。もうシャツもズボンもボロボロでしたもん。
──末っ子の宿命ですね。
キャンディ こちらに決裁権はなし。それで、小学生の頃から父親の意向で新聞配達のアルバイトをしていたんだけど、配達で寄った団地のごみ置き場に古着が出されているのを見つけるや女性もののブラウスなんかをよく持って帰ったもんだよ。今じゃ考えられないけど、昭和中期は散らかさなければごみ置き場を漁っていてもうるさく言われなかった。実際に電化製品や家具を持って帰る人も珍しくない時代だからね。
──なんて大らかな時代なんだ……というか小学生の頃に新聞配達をしていたんですか?
キャンディ これも今ではあり得ない話だよね(笑)。でも、我が家は男兄弟全員がやっていた。朝4時に起きて朝刊を配って、学校が帰るなり夕刊を配る毎日。遊ぶ暇なんてなかったよ。学校には「ウチの教育方針なんだ」と父親が強引に許可を取りつけてしまった。少し小金を持っていた少年時代だったかもね。
──ちなみに持ち帰った古着はどうしていたんですか?
キャンディ 自宅の縁の下に隠していた。当時はレジ袋もビニールじゃなかった時代。クラフト紙や新聞紙にくるんで保管していた。それがある日、近所の野良猫が縁の下に住み着いて子どもを産んでしまった。古着のおかげで居心地の良い寝床が作れたんでしょうね。「ミャーミャー」鳴き声がするから家族に「一番チビだから縁の下を見てこい」と言われてのぞいてみたら猫の家族がいた。巣の寝床にされたボロボロの古着を見て家族たちも「こんなボロを咥えてきちゃって……」とあきれ返っていたんだけど、古着を咥えてきたのは猫じゃなくて私なんだよね(笑)。
一家の大黒柱が女装に熱中したキッカケは松田聖子。充実した女装ライフの先に待っていた別れとは!?
──家族には内緒にしていた少年時代に女装はいつどこで楽しんでいたんですか?
キャンディ 主にトイレだった。姉の洋服をくすねて天井裏や引き出しの奥に隠していてね。家族がテレビを見ている間にコッソリ……1人部屋をあてがわれる高校生まで続いた。実家にいた頃は“隠れキリスタン”みたいな心境だったよ。
──そこから待望の外デビューまでの道のりは?
キャンディ 実はしばらく女装趣味を封印していた時期があったんだ。工業高校を卒業して定時制高校に進学しているんだけど、そこで、カミさんと出会って結婚してしばらくはご無沙汰になりました。
──え、高校を入り直したんですか?
キャンディ はい。あまり知られていないんだけど、高校は卒業後に別の高校に入り直すことができるんだよ。で、私もカミさんも周囲より3歳上同士で気が合った。お互いに年下だと思っていたら同い年でね。そのまま結婚して3人の子宝にも恵まれ、蒲田に夢のマイホームも購入。すっかり女装のことも忘れて一家の大黒柱をしていたっけな。
──順風満帆な生活を送る中で転機が訪れるのですね。
キャンディ ある日、何気なくつけたテレビに映っていたのが真っ白な衣装を着た松田聖子だった。何を歌っていたのかは思い出せないけど、歌番組のは間違いない。その純白のフリフリ衣装を見た瞬間に、頭の中で「バチン!」とスイッチが入る音がしたんだよ。まるでSF映画「戦国自衛隊」のタイムトンネルに入ったシーンのような感覚。その日から松田聖子の衣装が頭から離れなかったな……。仕事も手につかなくなるほど。そこで思いついた解決方法が「女装サロン」でした。まぁ、何の解決にもなっていないんだけどね(笑)。
──「女装サロン」とは文字通り?
キャンディ 女装趣味の人たちが集まる「エリザベス会館」というサロンがあったのよ。その存在を知ってから半年ぐらいは入店できずに入口まで行っては帰ってを繰り返していた。やっぱり、勇気がいるじゃない? そんな中、4月4日に開催されていたパーティーに足を踏み入れた。受け付けから案内されるがままに更衣室で着替えてメイクをしたらビックリ! 鏡にうつる私の顔が姉にソックリなんだもん(笑)。そして、サロンのフロアに行くと同志の皆さんが拍手で出迎えてくれるわけ。流石に少しビビッてしまったよ。言葉では表現しきれないほどの光景が広がっていたんだからね。先輩方から開口一番に「アナタ4月4日にここに来たのは運命よ」って歓迎されてさ(笑)。
──どういう意味ですか?
キャンディ 3月3日は「桃の節句」、5月5日は「端午の節句」でしょ。その間の4月4日は私たちのようなマイノリティのためにある記念日。ベストプレイスを見つけてから坂を転がり落ちるように女装にのめり込んでしまった。
──それでさっき「何の解決にもなっていない」と
キャンディ 結局、週末のサロン通いが楽しみ過ぎて、水曜日ぐらいからソワソワして仕事が手につかなくなるの(笑)。でも、だんだんと活動の拠点が原宿に移っていく。当時、歩行者天国に竹の子族がいたんだよ。派手な衣装を着て踊っている雰囲気に惹かれて行くようなるんだけど、そのデビュー日にセーラー服を着て行ったの。馬鹿だよね~(笑)。
──さすがに浮いたんですか?
キャンディ そう(笑)。2回目はまた別の女装で行ったんだけどそれも若い連中からダメ出しを受けた。「おじさんそれじゃダメだよ」と言われながらも自分たちのお古を貸してくれてね。あまりに居心地が良かっただけに「エリザベス会館」から足が遠のいて原宿に通うようになっちゃた。毎週日曜日が楽しみだったよね。
──80年代サブカルのメインストリームにいたんですね。
キャンディ まさに30代。スーパーカブにコタツとコタツ布団を積んで行ったこともあったな。道路の真ん中にコタツを設置してみかんを食べながら誰それのバンド演奏を聴いて。かなりカオスな光景でしょ?
──もはや、どこにツッコミを入れればいいのやら……。
キャンディ 途中でスーパーカブからオフロードバイクに乗り代えて原宿には10年ほど通ったよ。ちなみに、“変身”していたのは「パレフランス」という建物のトイレ。懐かしいね~。
──家族にはバレますよね? 毎週ごとに父親が大荷物を抱えて外出しているんですから。
キャンディ ある日、カミさんに見つかっちゃうんだ。「子どもの教育上よくないから家に女装を持ち込まないでほしい。貸しロッカーでも借りて」と悲しい顔でお願いされてね。当時はロッカーよりも四畳半アパートの方が安かったからクローゼット代わりに近所の物件を契約しちゃった。今度はアパートの大家さんにもバレちゃうんだけど、「アパートに見知らぬ女の子がいると思ったら君だったのか!?」とビックリ仰天していた。
──近所だと子どもたちにもバレそうなものですが……。
キャンディ みんな気づいていたみたい。数年前に聞いてみたら「知っていたけどお父さんのことを嫌いになれない」と言ってくれて。みんな黙認してくれた。だけど、結局カミさんとは長く続かなかったね……。
──離婚する原因が女装だったんですか?
キャンディ そもそも女装がバレたのはマイホームを購入して引っ越したタイミング。荷解き中に「エリザベス会館」での写真が見つかってしまった。赤の他人なら私だと気づけないと思う。だけど、カミさんはすぐにわかったみたいね。子どもたちが寝てから「あなた変な趣味があるでしょ?」と聞かれるわけさ。この時ばかりは来るべき日が来たという心境。たぶん、100%理解してはもらえないと思ってはいたかな。実際に「何で私と結婚したの?」と質問されたのも女装=ゲイという先入観があったからでしょう。「お前のことを愛しているからだよ」とどれだけ伝えても疑念が晴れない。だから、一緒に「エリザベス会館」に行ったんだよ。
──そこで理解を得られたんですか?
キャンディ 似たような境遇の人に話を聞いて、ある一定の理解は得られたと思う。それでも、「生理的に嫌だ!」と拒絶されてしまった。つまり、理屈じゃないんだよ! カミさん側が「NO」なら別れる方向に舵を切らなきゃならない。私の女装は変えられないアイデンティティだから。そこからしばらくはいつもの日常が続いたけど、ある日突然、東京の家庭裁判所から呼び出しがかかるの。かみさんから離婚調停を申し立てられたんだ。
思い出に埋もれながら死ぬのが理想。5年以上に及ぶ闘病生活
──一緒に住んでいながら離婚調停がスタートしたんですね。
キャンディ 半年間の調停のみで協議離婚。長男と次男は私、三男はカミさんの家に住むことになった。子どもの往来は自由にしていたので夕飯の献立でその日に寝泊まりする家を決めていたようだな。
──バツイチになってから恋愛はしていますか?
キャンディ 現在進行形で言い寄っているのは小学生時代の初恋の子。通称「錦糸町のおばさん」と呼んでいる未亡人。お互いにフリーのはずなのに手を握ることすら叶わないだなこれが!
──まさに難航不落ですね。
キャンディ 周囲からレクチャーを受けて手を変え品を変えでアプローチしているのに「暖簾に腕押し」。振り返れば、我が人生は成就しない恋が多い気も……。
──それは残念です……話を戻します! 昭和から平成にかけて活動内容はどう変遷していくのですか?
キャンディ 原宿のホコ天がなくなると秋葉原に移った。ただし、この頃はおとなしかった。とにかく仕事に一生懸命な50代でした。
──女装愛好家とはまた違った顔を見せていたんですね。
キャンディ 「グランドハンドリング」という業務に従事していたんだよ。その中でも「汚水取り下ろし作業員」を専業していた。仕事のイメージがつかないでしょう?
──全く見当もつきません。
キャンディ 飛行機のトイレに溜まった糞尿を抜き取る仕事。汲み取り式の便所ならホースつないで処理すると思うけど、飛行機の場合はおしりのところから管を引いてタンクに落として処理場まで運ぶ。それを25年続けてね。これが失敗すると大変なんだよ。全身で中身を受け止めることになるんだから……。
──失敗したことあるんですか?
キャンディ そりゃ、何度も。だから、絶対に口を開けて作業しちゃダメ。しかも、ほったらかしにすると事故扱いになって飛行機の運航に支障をきたしてしまう。政府専用機や米国の「エアフォースワン」として運航中の飛行機も担当したことがあるよ。
──失礼ながら、仕事人間だった時期があるなんて驚きです。
キャンディ 定年まで勤めた後にアルバイトとしても働いたよ。と同時に60歳以降は「キャンディ・キャンディ博物館」の館長として人生を捧げています!
──東京・柴又にある少女漫画『キャンディ♡キャンディ』(講談社)ファンの聖地ですね。
キャンディ 2017年に開設しました。きっかけは、東京・文京区にある「弥生美術館」で漫画家の陸奥A子先生の展示会での出会い。たまたま居合わせた人から世間話の流れで『キャンディ♡キャンディ』のグッズを展示しないかと持ちかけられてね。で、その方が経営している喫茶店「セピア」の2階で私物のグッズを展示することになったんだよ。
──それ以前にもグッズの展示はされていたと聞きました。
キャンディ もともとはマイノリティのイベントで知り合ったイタリア人男性と一緒に展示会をやろうとしていたの。作画を担当していたいがらしゆみこ先生のアシスタントをしていた人物で、部屋中に『キャンディ♡キャンディ』のグッズを並べているようなコレクターでもあった。それがビザの都合で帰国することになって断念。結局、私1人でやることに。記念すべき第1回は秋葉原にあるメイド喫茶の控室。
──いささかアンダーグラウンドな雰囲気ですね。
キャンディ それでも、それなりにお客さんが入ったの。蒲田にあるお好み屋さんや茨城県鉾田市の図書館でも展示会をしたっけな。展示会をライフワークにしていただけに喫茶店での展示に誘われたのは願ってもないことだったね。
──しばしばメディアでも取り上げられていますもんね。テレビに初めて出演したのはいつ頃だったんですか?
キャンディ 「エリザベス会館」に通っていた時代。ただ、どうしてもプライバシーの都合もあるだけに店側が“自主規制”よろしく取材規制されちゃう。それで、だんだんと直接メディアの取材を受けるようになったんだ。たくさんのワイドショーに出せてもらいましたよ。中でも印象に残っている共演者は野坂昭如さん。ゲストで呼ばれた時に、野坂さんが自ら「俺も女装する」と言い出したの。銀座から衣装を運んでくるまでの時間に雑談した思い出です。しかも、楽屋のドアの向こうにいた新聞社のカメラマンがレンズを向けようものなら、「お前らな、変身しているところの写真を撮ったらダメなんだ!」と一喝。こちらの機微まで理解してくれていて感激した記憶しかない。しばらくしたら、大島渚監督も楽屋に入ってきて……。
──え、どんな展開なんですか?
キャンディ どうも、野坂さんと家族ぐるみの付き合いだったみたい。「野坂、今日は飲んでないらしいじゃないか? 大丈夫なのか?」と心配そうに尋ねるの。スタッフがすかさず「今日はお酒いらないと聞いています」とレスポンスしているのを聞くなり驚いたよね。あの頃の野坂さんのエンジンは酒がないと稼働しなかったらしい。酒を飲まないのを聞いて心配した大島監督がわざわざ駆けつけてくれたようなんだ。
──とんでもない大物がカットイン。本番よりも緊張しそうだ(笑)。
キャンディ 震えるどころじゃありませんよ。こっちは単なる女装を趣味にしているおじさんなわけですから(笑)。
──しかしながら、一時期テレビ出演が途絶えた時期がありました。
キャンディ でしょう? あれは『キャンディ♡キャンディ』の裁判の絡みで出演を見合わせることになっていたの。
──1995年に原作の水木杏子先生と作画のいがらしゆみこ先生による著作権裁判ですね?
キャンディ 「キャンディ」という名前だけでピリピリしていた。10年ほどテレビから離れていたかもしれない。時々、雑誌や新聞では取り上げてくれていて、中でも夕刊紙で取材を受けた記事を『5時に夢中!』(TOKYO MX)でイジってもらって拡散されたイメージ。
──マツコ・デラックスさんや有吉弘行さんなど芸能界にもファンが多い印象です。
キャンディ 昔からの友人のような扱いをしてくれるからうれしい限りだよね。
──とても元気に見えますが闘病生活を送っているんだとか?
キャンディ 5年ほど前に「突発性間質性肺炎」の診断を受けました。肺が線維化してスポンジみたいになってしまう病気。そして原因は不明。現状、特効薬がなく完治できない厚生労働省が指定する難病で困っちゃうよ。今日も酸素ボンベを積んだ赤いランドセルを背負ってきてね。カートで引っ張るよりも恰好もいいでしょう? ちなみに傘は杖の代わりに使っているよ。もう72歳ボロボロだよ~。
──平均生存率は診断確定後3~5年です。
キャンディ 24年が5年目。延命治療をしているだけに1年あるいは2年は長く生きられるかもしれない。ただ、1年目からの検査データを見比べると下降線をたどっていてへこんじゃう。歌手の八代亜紀さんも「間質性肺炎」で亡くなりました。私もいつお迎えがきてもおかしくないフェイズ。もう、注意のしようがないよね。
──そんな中でどのような「終活プラン」を考えているんでしょうか?
キャンディ 思い出に埋もれながら死ぬのが理想。基本的に物を捨てることはしたくない。ただし、死んだ後に遺品を処分する手配だけはしようと考えている。まだ、子どもたちにも話せていませんが……。一応、業者さんに託せるだけの蓄えは残しているつもり。あと、葬式はやらないでくれとお願いしているよ。
──その心は?
キャンディ だって、お金がかかるじゃない? だけど、さすがに「キャンディ・キャンディ博物館」だけは25年のうちに閉めるか誰かに引き継ぐか決めなきゃならない。
──形見分けになるのでしょうか?
キャンディ グッズのコレクションは欲しい人に譲ってもいいと思っている。もし、後継者がいなければ国内のみならず海外のファンを含めてバザーないしオークションをしてアパートや展示スペースの撤去費用の足しにすればいい。
──未練はある?
キャンディ もちろん! 特にやり残したことは思いつかないけど、生きていればまだやれることがたくさんあるよね? 今でも寝る前にデコレーションのアイデアを思いつくし……。とにかく、なんとか1日でも長く生きるのが今の目標です。一番有効なのは「死ぬ死ぬ~」とみずから騒ぎ立てることだと聞きました。しぶとく唱え続けていきますよ!
構成・撮影/丸山剛史 取材・文/多嶋正大