第5回 アーティスト業と呼ばれる人々
四ツ谷の路地を入ったところにある居酒屋で、某映画監督と飲み、「そろそろ行きましょうか」と店を出た。
目の前の横断歩道をとりあえず渡りながら、「二軒目どうですか?」と声をかけようと振り返ると、そこに監督の姿がない。周りを探してみたが、見当たらない。慌てて電話をしてみるが、まったく繋がらない。
しばらく待ってみたが、電話はかかってこなかった。仕方がないので、そのまま電車に乗って帰っていると、「ちょっと他で飲んできまーす!」と陽気なメールが監督から届いた。死んでなくてよかった、とだけ一応返信をした。
それにしても自由だ。全然イヤじゃないが、あまりに突然消えるので驚いてしまった。いわゆる「アーティスト業」といわれる職業に就いている方々は、とにかく桁外れに自由な人が多い。全員じゃないが、結構いると思う。
前に「飲み会の途中にお金も払わずに突然消える、面倒な人らしい」と評判の某ミュージシャンの男性と飲んだことがあった。
ふたりで白ワインを一本くらい開けたところで、「ちょっとトイレに行ってきます」と彼は席を立つ。「きた! 消える気だ!」と確信した僕は、トイレまでトボトボ歩いていく彼を凝視していた。お水をふたつ頼んだあとも、僕はカウンターに座りながらトイレから目を離さない。
「ガチャ」とトイレのドアが開き、彼はこちらにピースを送りながら、ニコニコ笑って千鳥足で戻ってきた。
「いい人じゃないか」僕は思わずそうつぶやいてしまう。そしてそのあとも、ふたりで白ワインのデキャンタを飲み干し、今度は僕がトイレに立つ。かなり話も合い、気も合ったので、二軒目どこにしようかなと思いつつ、僕はトイレから戻る。
すると、カウンターに座っていたはずの彼の姿がない。
「えっ……?」と呆然としているとバーテンダーに、「お連れの方が、お支払いを済まされて、帰られました」と告げられた。僕はすぐに彼に電話をかけたが繋がらない。お礼のメールを慌てて入れるが、返信はなかった。
「あのう……」とバーテンダーが恐るおそる僕に話しかけてくる。
「これを預かっております」そう言って、僕のテーブルの前に、CDを一枚、スーッと差し出した。
CDには付箋が貼ってあり、「今日は楽しかったです。新譜になります。自信作なんですが、面と向かってお渡しするのが恥ずかしいので、先に帰ります」と殴り書きのような文字で書かれていた。僕はもう一度電話をかける。
するとワンコールで彼は出た。「いま、タクシー乗りました」と彼。僕は奢ってもらったことと、CDを頂いたことのお礼を伝えた。「とっても、自信作なんで……、よかったらラジオでかけてください。すみません、また!」と、彼は一方的に言うと電話はすぐ切れた。
彼に対する噂は、半分当たっていて、半分ハズレていた。
桁外れに自由な人も、なんとか一生懸命ビジネスのことも考えようと努力していて、それはそれで、しみじみとしてしまった。自信があるんだかないんだか、律儀なんだか、不義理なんだか。
とにかく「なんだか」が一杯な気持ちになる。そのとき頂いたCDを、後々聴いたら本当に素晴らしくて、J-WAVEの自分の番組で本当にかけてしまった。
そういえば昨日、四ツ谷で消えた某映画監督から深夜に長い巻き物のようなメールが届いた。
巻き物を要約すると「この間はごめんなさい。楽しい夜だったので、思わず消えてしまいました。あと今度出る週刊誌に、燃え殻さんの小説の批評を書いたんだけど、読まないでください」とのことだった。それを読んで、僕はまたまたしみじみ、「なんだか」が一杯な気持ちになった。
イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生