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もの語りをはじめよう
2025/2/17 18:00

第6回 古い野球カードと博士の笑顔/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

第6古い野球カードと博士の笑顔

 

 僕がJ-WAVEでナビゲーターを務めているラジオ番組『BEFORE DAWN』に、「ほとんどの努力は報われないのに、なぜ努力をしないといけないんですか?」という教会に持ち込んでほしいくらいの重い内容のメッセージが、先日届いた。

 

 たしかにそうだ。ほとんどの努力は報われない。頑張った全員の願いが成就してしまったら、成就で世界は溢れかえってしまう。

 

「今回、受験勉強をちゃんとみんな頑張ったので、全員合格にしました」なんてことは現実では起きない。同じような内容のメールが毎週のように届く。

 

 きっと、人が日々考え、悶々とする永遠のテーマなのかもしれない。僕は番組中に、あーだこーだと言いながら、いつも同じようなことを言って、お茶を濁す。「努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるというのはどうだろう?」ただそれだけのことを、毎回言っている気がする。

 

 

 高校のとき、「博士」というあだ名のクラスメイトがいた。

 

 彼は昼休みになると、保健室に行って、太いシャープペンシルのような注射器で、自分でお腹あたりに注射を打つ。彼は生まれつき、糖尿病を患っていた。

 

 彼が注射しているのは、インシュリンというやつで、毎日ほぼ決まった時間に打たないといけない。友達と呼べるほど親しくはなかったが、なぜか彼はときどき「保健室まで付き合ってよ」と僕を誘った。

 

 保健室のベッドに腰掛けて、慣れた手つきで注射を済ます彼を見ながら、「痛くないの?」とか「間違ったとこ打ったりしないの?」と毎回のように訊いていた気がする。

 

 彼は「ここあるじゃん、わかる?」などと言いながら、注射器を僕に見せて、詳しく説明してくれた。「博士」というあだ名は、彼が勉強が誰よりも出来たことと、銀ぶちメガネをかけていたところからついた。

 

 あるとき、彼のことを面白く思わないクラスの男子数名が、休み時間に彼の座席の周りを囲んだ。座ったままの彼は無言だ。他の生徒たちは遠目に様子を伺っている。僕も見てみぬふりをしてしまう。「やめてよ!」しばらくすると彼の悲痛な声が教室に響き渡った。

 

 彼の席を囲んだ男子たちが、彼の鞄の中の物を床にばら撒いていた。ある者は、彼の弁当を蹴飛ばし、ある者は教科書を遠くに投げ捨てる。

 

 その中のひとりが、彼のインシュリンの注射器を見つける。僕は思わず席を立つ。彼が必死にそれを取り返そうと手を伸ばした。「やめなよ!」と僕や周りの数人もそれには声を出した。が、注射器を持っていた男は、教室の窓から、それを校庭に向かってフルスイングで投げてしまった。

 

 彼はその光景を見て、卒倒してしまう。あとから彼に訊いたら、過呼吸を起こしてしまったらしい。

 

 結局、その事件は大問題になり、関わった生徒たち全員の親が学校に呼ばれる事態にまで陥る。彼はその後、しばらくして引っ越すことになった。担任からは父親の仕事の関係という話だったが、「本当は卒業までいたかった」という旨の電話を、数ヶ月後に僕はもらう。

 

 

 彼が三十歳で亡くなっていたという事実を知ったのは、卒業して二十五年経って、フェイスブックで繋がった同級生からだった。

 

 彼は西武ライオンズのファンで、二軍の選手までほとんどフルネームで言えた。将来は、西武ライオンズに関わる仕事に就きたいと、かなり本気で言っていたことを憶えている。保健室で、古いプロ野球カードを特別に見せてくれたときの、彼の笑顔は忘れられない。

 

 

「ほとんどの努力は報われないのに、なぜ努力をしないといけないんですか?」というメッセージには、「努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるというのはどうだろう?」と答えるしかない。

 

 彼はきっと、たくさん努力したかったはずだ。本当は野球選手を目指したかったのかもしれない。わからない。努力をすれば必ず叶う、とは言い切れない。ほとんどの努力は報われないだろう。でも、生きて、努力ができるということは、とても幸せなことだと思う。

 

 運があるとかないとか言っても仕方がないが、あえて言えば、努力ができるということは相当に運がいい。努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるのはどうだろうか。頭の良かった彼ならきっと、僕にそう諭すだろうなと思って、いつもそう答えることにしている。

 

 

【燃え殻「もの語りをはじめよう」】アーカイブ

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生