世界中を旅しながら、好きな文章を書いて暮らす。物書きや旅行が好きなら誰もが一度は夢見てしまう、そんな生き方を約2年間にわたって実践している女性がいます。「これからの暮らしを考えるウェブメディア」として2015年に生まれた「灯台もと暮らし」の創刊編集長であり、エッセイスト、トラベルライター、フォトグラファーとしても活動する伊佐知美さん。彼女は2016年4月から現在にいたるまで、文章を書きながら世界約40カ国100都市を旅し、“家をもたない暮らし”を続けてきました。
インタビューの前編では、伊佐さんが世界一周の旅に出た理由、そして約2年間の旅の道程で、“東京に家(拠点)がほしい”という本音に気付くまでの過程を追いました。後編となる今回は、そんな彼女が東京・三軒茶屋でついに見つけた家をご紹介します。
“旅と家(たびといえ)”を逆さから読んで、“えいとびたー”と名付けられたこの家は、伊佐さんとほか4人の旅人がともに暮らすシェアハウス。どんな経緯からこの暮らしが始まり、ここから一体どんなことが始まろうとしているのか……? 伊佐さんの気になる胸の内をたっぷりと伺いました。
家が欲しくてたまらないのに家を持つことが怖かった
「これってたぶん誰にも理解してもらえないと思うんですけれどね。私、つい最近まで家を持つことが本当に怖かったんです。理由はいろいろあるのですが、大きくいうと精神的な面と経済的な面で。例えばお金のことでいえば、ずっと旅暮らしを続けていると、すべての物価を航空券に換算するクセがついてくるんです。具体的にいうと、ベッドが4万円するとなったとき、同じ値段でタイへの往復航空券が買えるなって考えてしまったり。引っ越し費用に50万円払うなら、南米にでも行って1ヶ月くらい暮らせば語学学校まで通えちゃうなとか。今までは家賃がなかったから、その分がそのまま旅の費用に充てられていたけれど、もし家を持ったら固定費が発生するし、そこに帰る義務みたいなものが発生するなぁって思えちゃって(笑)。あと、その暮らしを契約期間の2年間ずっと続けてしまったら、いつかそっちの方が日常になっちゃうんじゃないかなって」
2年前に旅立った時点では、まだ結婚もしていた伊佐さん。誰かとともに帰る家があることの温かさや安心感を知っていたからこそ、踏ん切りがつかなかったところもあるようです。
「今は独身なので、もちろん最初はひとり暮らしをすることを考えました。でもその時点でも今でも、私の中で大きく決まっているのは、これからも旅と一緒に生きていきたいっていうことだけ。旅の拠点は欲しいけれど365日住むわけでもないですし、このタイミングで東京にひとり暮らしの家を借りるって、本当に自分が今やるべきことなのかなぁって。一般的には当たり前の暮らしなのかもしれないですけれど、それが自分に必要なことなのかどうしても分からなくて、何だか怖くなってしまったんですよね」
決め切れない気持ちに変化が起こったのは、昨年末のこと。同じ旅人でライターでもある友人・古性のちさんと、下北沢でAirbnb(宿泊施設や民泊のシェアサービス)をシェアしたときでした。
「彼女とは、下北沢の前にタイでも数日一緒に過ごしたことがありました。そして下北沢で10日間くらい一緒に暮らしたとき、気付いたんです。“旅人”っていう自分と似たような生活スタイルをもつ人と暮らすのって楽しいし、経済的にも合理的、その上自分の周りの人たちも集まれるから、なんだかわくわくが増える選択なんだなって。そこからまず、私と古性さんとで一緒に暮らしてみようかという話になりました。その後どこで暮らそうかと場所を考えたりしているうちに、もっと人が増えてもいいんじゃないかって思うようになって。それから12月末に、ふたりでシェアハウスを作ってみようという、具体的なイメージが決まったんです」
旅人による旅人のためのシェアハウスをつくる
海外を旅するときは、2~3ヶ月間日本を離れることも珍しくありません。ふたりだけでひとつの家をシェアしても、長期間家を空けてしまうリスクは残りました。でも、身の回りにいる親交の深い旅人たちをもっとたくさん集めてみれば、自分たちの思うような、持続可能なシェアハウスができるかもしれない。そこで伊佐さんたちは、一緒に暮らせそうな友人らに声をかけることにしたのです。
「私と古性さんを含めて、最初のメンバーは全部で5人です。声をかけたひとり目は、私たちの共通の友人でWebメディア『TABIPPO.NET』編集長のルイス前田くん。彼はこれまでに二度も世界一周をして、昨年はアメリカ横断を仕事でもしちゃうような人で、最近は実家の成田から東京の会社まで通っているのを知っていました。家が欲しいはずだから『一緒に借りない?』と誘ってみたら『いいよ!』って言ってくれて。もうひとりは、anan webで『移動する同棲生活』という連載をしていたライターの前田麻衣さん。彼女は私のライティング講座に通ってくれていた女性で、私がアシスタント募集をかけたところに応募して下さっていたのですが、同じ“旅人属性”だし、もしかしたら一緒に暮らせるのかも?と思いました。なんかこれ、多分常識ハズレの行為なのは分かってるんですけれど、ちょうどアシスタントの最終選考があったので、面接で『アシスタントよりも一緒に暮らすのどう!?』って口説いちゃったんです(笑)。麻衣ちゃんのパートナーで一緒に同棲生活をしてきた『IMAGINAL』代表の脳内アーティスト・稲沼竣くんも一緒に快諾してくれました」
家探しはメンバー探しとほぼ同時進行。以前『灯台もと暮らし』の取材で知り合った不動産関係者を頼りに世田谷近辺で2~3軒を回ったそう。年末にスタートして年内に内見というスピード感でしたが、伊佐さんたちのワクワクする気持ちが運を引き寄せたのかもしれません。三軒茶屋から徒歩2分、2階建70平米の一軒家という、ドンピシャな物件を早々に見つけました。
「家賃は約20万円だから、光熱費を含めても費用は大体ひとりあたり5万円程度。1Fにも2Fにもキッチン、浴室、トイレがある不思議な二世帯住宅で、全面DIYしてOK、という願ってもいない条件でした。全員フリーランスで旅人っていう人たちなので、契約の締結までは少し時間がかかりましたが(笑)、最終的には契約することができました。初めて5人全員が顔を合わせたのは、実は契約の当日。世の常識で考えたら『大丈夫か!?』って思われると思うし、私もそもそもシェアハウスは初めてなので、不思議な気持ちはあったんだけど」
メンバーには出会って間もない人もいれば異性もいます。一般的な感覚でいえば躊躇しそうなところですが、みんながふたつ返事で快諾したのはなぜだったのでしょう。
「それはきっと、メンバーに“旅”っていう共通項があったからかな。いろんなライフスタイル、ライフステージ、人生経験を持っている人がいるなかで、私のように30歳を越えて旅の優先順位を高くして生きられる人って、実はとても少ないんです。まずその時点で、みんなが同じ価値観を共有できているという認識はありました。古性さんが言っていたんですけど、それってもう“キレイな熱帯魚とか普通の魚がたくさん泳いでいる広い海で、自分と同じウーパールーパーを見つけたようなキモチ”なんですよ(笑)。それに旅してる人ってね、細かいことを気にしたら生きていけないので、色んなことを許せるようになってくるんです。みんなそういう生活を年単位で経験している人たちだから、最初から仲間意識がありました。
実際楽しいんですよね。『今度の6月にちょっとみんなでベルリン行こうよ』なんて誰かが突然言い出しても、『いいね!じゃあ何日に現地集合にする?』って返事が即返ってきますから。普通だったら仕事どうするの?とか、お金は?とか、絶対なるじゃないですか(笑)」
こうしてシェアハウスを作ると決めた当初から、伊佐さんやメンバーたちの頭の中にはさまざまな構想が浮かんでいたといいます。その構想とは……?
ここに“住むこと”をビジネスにできないか?
“旅と家”を逆さから読んで“えいとびたー”と名付けられたこの家、この暮らし。実はシェアハウスを作ると決めた当初から、伊佐さんやメンバーたちの頭の中にはさまざまな構想が浮かんでいたといいます。
「自分たちが旅をしていたとき、すごく困ったのが、東京の宿やAirbnbはやっぱり高くて、泊まるところがなかなか見つからなかったこと。私たちはここを広い意味での旅人のためのシェアハウス、これからの“旅をしながら暮らす人”のひとつのモデルケースにできたらいいなって思っているんです。たとえば誰かが3ヶ月旅に出るなら、その間、東京に短期間の住まいが必要な別の旅人が住めばいい。もちろん誰でも良いわけではなくて、各メンバーが信頼を置いている知り合いに限り、というのが最初はいいかなとは思っていますが……。
あえて“えいとびたー”と名前をつけてロゴを作って、連続イベントなどを始めてみたのも、この新しい生き方、住まい方、働き方をビジネスに繋げていけたら、もっと持続可能な旅ができるかもしれないという思いがあるからです。せっかく三軒茶屋徒歩2分という好立地でDIYもできる物件なので、もっと楽しいことを仕掛けられたらいいなって」
そもそも旅人ばかりが集まったシェアハウスなので、入居当初は伊佐さんが知人からもらった必要最低限の家電製品しかなかったこの家。どの部屋をどのメンバーが使うかも一応は決めてありますが、5人全員が揃う機会は伊佐さんいわく「滅多にない」ので、今後家の中がどんな風に変わっていくのかはまだ誰にも分かりません。
「個々が自分の家具を買って自分の部屋を独自に完成させるというよりも、DIYで壁にディスプレイ棚を取り付けたり、開閉式のテーブルを作り付けてコワーキングスペースを作ったり……といったことを考えています。一応自分の部屋はあるけれど、そこでイベントをすることもあれば、代わりに誰かが住んだりってこともあるという。今のところ、光熱費はその月に家にいる・いない関係なく等分ですが、食事やその他の家事についてはあまり細かいルールを決めていません。まだ暮らし始めたばかりだから大きな問題は起こっていないけれど、メンバーの誰かがすごくガマンをしたりするのはイヤだから、言いたいことはちゃんと言えるようにコミュニケーションをとっていきたいかな」
旅先でも日常のなかでも人と関わっていたい
海の見える街でアトリエのある家に住んでみたい。前回のインタビューでそんな夢を語っていた伊佐さんですが、始まったばかりのこの暮らしは、それとは全く違う形をしていました。
「もちろんそういう家もいつかは建ててみたいんです。だから“えいとびたー”は終の住処というイメージで作ったわけではありません。でも今のところ私にとって、東京のこの家は自分が戻ってきたい場所。自分でもなんで一人旅ができるんだろう?ってたまに不思議に思うくらいなのですが、実はすごく寂しがりなんですよね。以前東京で普通に暮らしていたころは、寂しくなると終電間際でもどこかに遊びに行けたし、そこで誰かに会えた。でも一方で私はひとりの時間もすごく必要なタイプで、初めての本を書くとなったとき、孤独にならなきゃ書けないかもしれないと思ったんですよね。それが世界一周の旅に出たひとつの理由でもありました。知らない街で四季の移り変わりを見て、知らないごはんを食べて。そうやって本当にひとりになれば、もしかしたら創作意欲が刺激されるんじゃないかって期待した部分もありました。
それはたしかにそうで、これからも必要な時間なのだけれど、これからずっとそれだけを続けるイメージは持てなくて。なんでかっていうと、ひとりで過ごす時間は『ただただ静かな人生』だったから。景観や自分が触れる物がどんなに美しくても、人と関わらないと、私は劣化していくのかなってすごく思ったんですよね」
いつか海の見える丘の上にお気に入りの家を建てたとしても、そこにはたくさんの人を呼びたい。そう語る伊佐さんにとって、家とはもしかすると“人”そのものなのかもしれません。
「今後どんなことが起こるかは未知数だけれど、“えいとびたー”は今の時点の自分にとって、いちばん理想としていた形になったと思います。この物件はちょっと珍しくて契約期間が5年もあるのですが、それまで同じメンバーが住み続けているかどうかも今は分かりません。今後三軒茶屋の駅の周りに再開発の話も出ているので、10年後にはこの建物そのものもなくなっているかもしれませんしね。ただ今は、この新しい暮らしにすごくワクワクしている状態。私は海外のドミトリーをよく利用してきたのですが、こういうスペースにいろんな人が出入りすることで、新しい何かが始まるっていう場面をたくさん見てきました。私もそもそも頭の固い人間なので全く心配がないわけではないですけれど(笑)、そういう暮らしを自分の家で一度やってみるのもいいかなって」
【プロフィール】
編集者/伊佐知美さん
1986年新潟県生まれ。Webサイト「灯台もと暮らし」創刊編集長。エッセイスト、トラベルライター、フォトグラファー、オンラインサロンの主宰、イベント登壇といった活動に取り組む。2017年に「灯台もと暮らし」での移住者への取材をもとにした初の著書『移住女子』(新潮社)を上梓。同年秋には、オンラインコミュニティ「旅と写真と文章のSlackコミュニティ」を新たに立ち上げた。
灯台もと暮らし http://motokurashi.com/