「電気自動車(EV)で尾瀬に行きませんか?」 そんなお誘いを受けたのは6月下旬。子どもの頃から「夏の思い出」で尾瀬の名前は有名だったし、映像を通して尾瀬がどんなところなのかは認識しているつもりだ。しかし、一度も行ったことがないがないままいまに至ってしまった。そんなときに舞い込んできたこの話。入っていた仕事のスケジュールを変更し、この一泊二日のツアーに参加することにした。
再生可能エネルギー+EVでCO2排出が限りなくゼロのドライブへ
ツアーの誘い手は東京電力。なぜ目的地が尾瀬なのかは後述するが、今回の旅先には、再生可能エネルギーの1つである水力発電の元となっている丸沼ダムも含まれる。同社は以前から再生可能エネルギーの活用を模索していたが、そんな矢先、福島原発の事故が発生した。それ以降、人々の意識は脱原発、再生可能エネルギーへと一気に向き始めることとなる。しかし、東京電力が元々、水力発電にも力を入れていたことはあまり伝えられていないのではないだろうか。
一方、EVはBMWの「i3」を利用した。このクルマ、基本はモーターによってだけ走行する“ピュア”EVで、2016年に最初のマイナーチェンジでバッテリーの容量アップが図られ、満充電で390kmが走行可能となっている。 ボディにはカーボンフレームを採用したり、内装には再生可能な素材を多用したりするなどi3はエコなイメージで形成されている。つまり、このイメージが東京電力の水力発電を主としたクリーンな再生可能エネルギーの方向性とピタリ符合したというわけだ。
ただ、EVと言えども、エネルギーの源である電力は、たとえばCO2を発生する火力発電を使う。単独でこそCO2が発生しないと謳いながら、使用するパワーソースはCO2を発生して生み出されている。それでは意味がない、という声が多かったのも確かだ。そこで東京電力が考案したのが「アクアエナジー100」という新プランである。これは水力発電100%のプランで、マイカーがEVであればこのプランによってCO2排出が限りなくゼロに近くなる。料金は通常プランよりも約2割増しになるが、このプランはそうした声にもしっかりと答えていこうという東京電力の意思の表れでもあるのだ。
もはや異次元の走り!! EVならではのドライブを体感
さて、尾瀬までのi3でのドライブはとても快適だった。EVならではの力強いトルクは、どの速度域からでも強力な加速力を発揮してくれる。長いことガソリン車に乗ってきた立場からすれば、これはもはや異次元の走り。しかも、回生ブレーキを併用することで、アクセル1つで相当な走行領域をカバーする。あらかじめ予想がつく範囲ならブレーキペダルを踏まずにクルマをコントロールできるほどだ。充電に30分ほどかかるけれど、休憩を取りながら計画的に充電していけば、疲れを取りながらドライブしていけるのだ。
こうして戸倉までi3で走行した。ここから先はクルマでの乗り入れができないため、尾瀬の玄関口である鳩待峠までは乗り合いバスを使って移動。そこから宿泊施設のある尾瀬ヶ原へ約1時間の道のりを徒歩で向かった。目的地までは遊歩道が整備され、それをたどっていけば迷うことは一切ない。途中のブナ林が木陰をつくってくれ、時折吹く風がとても爽やかで、尾瀬に来たことを感じさせてくれた。
尾瀬の夜は更けるのが早い。なにせ歓楽街はホテル内のバーのみ。それも8時過ぎには店終いしてしまう。というのも、翌日の朝食が6時から7時という、普段の生活ぶりとはまったく違う時間軸で動いているからだ。とはいえ、時間には余裕があったのでちょっと外へ出てみると、驚き!そこには真っ暗で何も見えない世界が広がっていた。この日はあいにくの曇り空で星も見えない。つまり、眼に映るものがなかったのだ。もしかすると、こんな光景を見たのは初めての体験だったかもしれない。
そして尾瀬探索へ――元はダム建設の計画もあった!?
翌朝8時過ぎ、ツアーの一行は尾瀬探索へと向かった。実はここに今回の旅の狙いが隠されていた。というのも、実は尾瀬の約4割が東京電力の所有地なのだ。もともと水力発電のためにこの一帯を取得したとのことだが、観光客の増加や住民の反対などもあり、ダム建設は計画を断念。さらに国立公園特別保護地区に指定され、開発は事実上不可能となった。それでも、東京電力は土地を手放すのではなく、尾瀬の自然を保全するという立場で尾瀬の土地を守り続けてきたというわけだ。
ここで意外な話を聞いた。中高年の世代にとって尾瀬と言えば自然の宝庫として知らない人はいない。そう思っていたが、最近の若い人たちはこの尾瀬そのものをよく知らないのだという。というのも、筆者が音楽の授業で習った「夏の思い出」には水芭蕉を含む尾瀬の光景が歌われているが、最近の音楽の授業ではこの歌が歌われなくなってきているというのだ。つまり、尾瀬そのものを特に意識することがなくなれば、その知名度はどんどん下がる。最盛期には70万人が訪れていたが、いまでは30万人程まで減ってしまっているのもこうした背景があったのだ。
しかし、尾瀬ヶ原に入るとその風景は想像していた以上に素晴らしかった。広大な湿原のなかに木でできた遊歩道が延び、前後に燧ケ岳(ひうちがだけ)と至仏山(しぶつさん)がそびえる。周囲には池や白樺も点在し、時折吹く風が池の水面でさざ波や木々の揺れを作り出す。聞こえるのは風の音と鳥の囀りぐらい。その静けさは話す声もつい控えてしまうほどだ。この日はすでに尾瀬のシンボルとも言える水芭蕉は葉っぱが広がってしまい、本来のシーズンは終わってしまっていた。とはいえ、「ニッコウキスゲ」や「ヒオウギアヤメ」など、数々の花が咲いていたのは収穫だった。
遊歩道に見る、自然環境への配慮
自然風景以外で注目したいのが、遊歩道に使われている木材だ。よく見ると1枚の木材ごとに、東京電力や群馬県、福島県、新潟県など設置した団体名と、設置年が刻印されている。木材である以上、一定期間が経てばやがては朽ちてくるのだが、長持ちさせるためのニスなどの化学薬品は一切使わない。環境に影響を与えないよう、最大限の配慮が徹底されているのだ。もし、尾瀬を訪れることがあれば、遊歩道の木材を確認してみるといい。
国の重要文化財にもなっている「丸沼ダム」
尾瀬の魅力の一端を味わったあと、次は水力発電の元となっている丸沼ダムを目指す。来た道を戻るわけだが、帰る方向は途中から上り坂となり、最後は結構キツイ階段状の坂を上らなければならない。途中に休憩用ベンチがあるのがとてもありがたかった。ここで休みを取りながら何とか乗り合いバスの乗車口に到着。普段の体力のなさが露呈してしまった格好だ。
さて、いよいよ最後の目的地である丸沼ダムに到着。ここは普段は無人なんだそうだが、今回は我々の取材対応のため、扉を開けて施設内への立ち入りも許可していただいた。
丸沼ダムの正式名称は「丸沼堰堤(えんてい)」と呼ぶ。昭和39年に定められた河川法によって、高さ15mを超えるものを「ダム」と呼び、それを下回るものを「堰堤」と呼ぶのだそうだ。ただ、過去の河川法ではその区別が曖昧で、昭和39年以前に建設されたダムについてはダムと堰堤の名称が混在しているのだという。ここでは一般的に呼ばれている「丸沼ダム」としたい。
その丸沼ダムは昭和3年に建設が始まり完成は昭和6年。当時の資材不足を反映して、コンクリートが少なくて済む「バットレスダム」となっている。現在、日本には8か所でこの方式が採られ、実際に運用中のものだけに絞れば6か所。そのなかでも丸沼ダムは、「ぐんまの土木遺産」として指定され、国の重要文化財としても登録されている価値ある施設となっている。
ダムらしからぬ!? ユニークな放水方法
施設内に入り、そこで目にした光景はなかなかの素晴らしさ。丸沼を東西に分けるように堰堤が延び、ここで高低差を作り出している。面白いと思ったのは放水の仕方だ。ダムの放水と言えば、ダムの中腹から勢いよく放出する様子を思い浮かべるが、この堰堤では上流から水を取り込んで下流の沼底から排水する仕組みを採る。そのため、ダムらしい迫力は感じない一方、沼で釣りをしている人たちにとっても不安を感じさせることがない。これにより、丸沼堰堤の近くは絶好の釣り場として使うことが可能。青々とした水面が美しい。この日も大勢の人がボードに乗って釣り糸を垂れていた。
そしていよいよダムの中へと入っていく。施設内へ通じる扉を開けると目に飛び込んできたのは70段以上の階段。ダムの最下部まで階段が続き、その様子はまるでタイムトンネルのようだ。ここを慎重に降りていき、外へ出るとダムの全景を見渡せる場所へ到着。幅88.2m×高さ32.1mの施設を目の当たりにするとその迫力も十分。これが1世紀近くも延々と水を溜め続けてきたのかと思うと、その歴史の重みにも圧倒されてしまった。
丸沼ダムの見学を終え、一通りの取材は終了。帰りに立ち寄った片品村役場では、観光案内所でダムの詳細なスペックが記載してあるダムカードを配布している。特に片品村内で宿泊を伴った場合は限定カードとなり、これはダムマニアの間では静かなブームを呼んでいるほどだという。訪れた日は村役場の一角に新たな道の駅「尾瀬かたしな」のオープンの準備している最中だった。ここにはもちろん、EV向けの充電施設も準備されている。尾瀬の魅力をたっぷりと堪能できた2日間だった。