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2018/10/12 17:00

今なお利用者は、9割以上が日本人! 観光バスの代名詞「はとバス」の70年を調べてみた

昭和23年(1948年)創業、今年で70年を迎えた「はとバス」。平和と観光の時代を先取りし、以来、紆余曲折がありながらも、首都圏の観光バスの代名詞とまで言わしめるほどの地位を築きましたが、その歴史とはどんなものだったのでしょうか。はとバス広報室・峰岸智美さんに話を聞きました。

 

 

↑はとバス広報室・峰岸智美さん。関東甲信越の日帰りツアーや宿泊ツアーなどを企画するチームを経て、現職に。

 

 

復興もままならない、戦後すぐに創業されたはとバス

――まず、驚いたのは今から70年前、昭和23年(1948年)に観光バス会社を始められたということです。当時はまだ戦後間もなく厳しい時代ですから、観光のニーズはまださほど多くなかったのではないでしょうか。

 

峰岸智美さん(以下:峰岸) そうですね。確かにクルマ自体が少ない時代で、運転手もいないですし、燃料もままならない時代でしたので、決してスムーズな創業ではなかったようです。

 

ただ、弊社の創業者・山本龍男という人物が、「観光で日本を立て直すことができないか」「観光バスというものを東京に走らせたい」ということを目指して会社をおこしました。

 

――それまでは観光バスは日本にあったのでしょうか?

 

峰岸 戦前に、東京乗合自動車の「東京ユーラン乗合自動車」というものがありました。定期路線のバスに、観光をセットとした乗り合いのものですが、戦時中になくなったようです。

 

その後、東京乗合自動車を統合した東京地下鉄道出身の山本が、都内観光バス事業の再興を目指し、弊社を創業しました。ですから、影響は受けているようですが、はとバスの創業は、この時代では大胆な試みだったことは間違いないです。

 

↑山本龍男がおこした新日本観光(現・はとバス)の創業時のチラシ。社名に「自動車」を入れる意見もあったそうですが、山本がバスに限定せず、他の観光事業も視野に入れてやめたそうです

 

 

利用者122万人オーバーとなった1964年!

――創業時のはとバスの利用者は、どんな方が多かったのですか?

 

峰岸 当初はアメリカ人と富裕層の利用者が多かったようです。初年度に利用された方は860人。そこから数年間は、少しずつ増えていき、年間で3~4万人でしたが、1964年の東京オリンピックの年、弊社として最大となる122万人が利用してくださった記録があります。

 

――これはいまだに超えられいないんですか?

 

峰岸 はい。現在の東京観光のご利用人数はが約92万人ですので、いまだに超えられていません。東京オリンピックの際は、選手の輸送などを行ったほか、一般向けに、オリンピック閉会後、施設を見学するコースなども実施し、この評判が良かったようです。このコースだけで1日に30便出ていました。

 

↑東京オリンピック時のはとバス。大改造された東京の景色を122万人もの人たちに案内した

ヨーロッパにオーダーし、船便で納車される現役バス

――いわゆるバスガイドさんのイメージというのは、はとバスから始まったものですか?

 

峰岸 女性のバスガイドを採用した会社は別にあったそうなので、弊社が最初ではないです。ただ、弊社では創業時から女性のバスガイドを乗せて走っていまして、そこもはとバスに親しみを持っていただくきっかけにはなったのではないかと思います。いまもすべてのコースに女性のバスガイドが乗車していますよ。

 

――これだけの歴史となると、バス自体のカタチも変わっていったのではないかと思います。

 

峰岸 そうですね。創業当初のボンネットバスは燃料が確保できず、ガソリン車を天然ガス車に改造し、ガスボンベで走らせるということもありました。

 

これが改善され、1953年に外国人向け定期コース用として箱形バスを採用。さらに観光バスの需要が急増し、1958年に55人乗りバスを24人乗りのサロンカーに改造し、クッキングセットを完備した「走るパーラー」という高級車も出てきました。

 

この後、二階建てバスが登場したり、「シアターシート」という座席が映画館のように少し斜めになっているタイプが出たりするなど、年を追うごとに改良を重ねていった歴史もあります。

 

――余談ですが、はとバスのバス自体はどうやってメーカーに製造依頼をするのですか?

 

峰岸 現在も一般車は9割が日本メーカーのものを使っています。ただ、二階建てバスは2009年に国内メーカーの製造が中止になりました。しかし、はとバスにとって、二階建てバスは欠かせないものだったため、長い年月をかけ海外のメーカーと交渉をしました。2016年に日本の規格に合う車両の製造・輸入に成功し、現在はヨーロッパ製のアストロメガという車両を使っています。

 

↑創業当初のボンネット型バス。GHQによる厳しい燃料統制があったため、天然ガス車に改造して運行

 

↑1953年登場の箱形バス。この車両は外国人観光客向け

 

↑1963年に登場し、「月光仮面」の愛称で親しまれた「シアターシート」。以降、ラウンジ式やカラオケを備えたタイプなど大幅に進化していった

 

↑東京オリンピックの翌年・1965年に登場した「走るパーラー」の屋根を取り払ったタイプ。好評を博したが、引退後は「こどもの国」に寄贈された

 

↑1982年に初登場となった二階建てバス。ベンツのエンジンを使い、ボディはドレクメーラーのものを使用

 

↑2016年に導入され、今も現役で走る二階建てバス。スウェーデンのスカニア社製エンジンを使い、ボディはベルギーのバンホール社製のもので、アストロメガと呼ばれるモデル

 

↑試しに屋根を開けていただきましたが、実に開放的で気持ち良い眺めでした

はとバスの利用者は9割以上が日本人

――これまでの70年間で最もご苦労された時代はいつですか?

 

峰岸 90年代ですね。バブル崩壊を経て、弊社の売り上げがかなり落ち、どん底に陥りました。そこで、社内の意識改革を行い、観光コースのラインナップを色々と変えたりして、なんとかV字回復に至りました。

 

――いまは外国人の観光客が増えていますが、はとバスでの外国人観光客の割合はどれくらいですか?

 

峰岸 外国人はまだ1割に届くかどうかという感じです。

 

――そうなんですか? では9割以上は依然日本人の観光客の方が利用されているんですね。

 

峰岸 はい。利用者の方のうち4割が首都圏の方で、あとが地方の方が多いですね。観光コースによっても利用者の方の年齢はまちまちですが、40代以上の方が多いです。

 

↑はとバスには宿泊するものも含めると常時1000以上の観光コースがあります

 

 

ホストクラブを巡るはとバスツアーも!?

――オススメのコースは何ですか?

 

峰岸 気軽にご利用いただくのでしたら、オープンバスで走る1時間のコース。東京のランドマークを首都高速を使って巡ることができます。東京で暮らす人で、クルマを持っていない方は多いと思うのですが、そうなると首都高速はなかなか走る機会がないですよね。そういう方が手軽なレジャーとして、降車もないこのコースを利用すると結構楽しいと思います。あとは、神奈川県横須賀市の猿島巡りや川崎工場の夜景巡りのコースも人気があります。

 

――いわゆる定番の観光名所だけでない、マニアックなコースもあるんですね。

 

峰岸 はい。あとはホストクラブやニューハーフショーなども。

 

――ホストクラブですか!?

 

峰岸 はい。はとバスの初期にはおいらんもありましたし、個人ではなかなか入るのに勇気が要るような場所も観光コースとして案内させていただいています。

 

↑ホストクラブ、ニューハーフショー、ものまねショーといった斬新なコースも!

 

 

「新しいものをいかに早く取り込むか」がテーマ!

――2020年の東京オリンピックに向けて、特に東京はどんどん変わっていっていますが、はとバスは将来をどう見据えていらっしゃいますか?

 

峰岸 創業当初からこれまでの70年間、「新しいものをいかに早く取り込むか」ということをずっとやってきていますので、これからの未来も変わらず、引き続き面白いものはどんどん取り入れて発信していきたいです。東京オリンピック、ラグビーワールドカップなどの追い風に合わせて、さらなる80周年、90周年、100周年に向けて走っていきたいと思います。

 

 

はとバスと聞くと、その地域以外に住む方が観光として利用する先入観がありましたが、本文でのお話にもあったように、気軽に利用できるコースがたくさんあります。デートや懇親的な集いの際はもちろん、一人でも楽しめる企画が満載。今度の休みは、はとバスを利用しての遊びも視野に入れられてはいかがでしょうか?

 

 

撮影/我妻慶一