ライフスタイル
2018/11/24 17:30

旬食材の一汁一菜こそ豊かな食事…「昭和」こそ現代を生きる教科書かもしれない

いよいよ「平成」時代も残すところ、半年あまり。この平成30年間に比べ、2倍以上もの年月に渡った“激動の時代”が「昭和」。戦前、戦中、戦後、復興期、高度経済成長期と目まぐるしく移り変わった時代、そして人々の暮らしを、家庭の物から研究してきたのが、生活史研究家の小泉和子さんです。

 

多くの著作がある中で、今夏『ちゃぶ台の昭和』(河出書房新社)が新装版として出版されたのを機に訪ねました。昭和のちゃぶ台、つまり日々の暮らしを基点に現代のそれを省みると、小泉さんのさまざまな提言は腑に落ちるものばかりです。

 

本来は四角? 日本の家庭におけるちゃぶ台

———今回、この『ちゃぶ台の昭和』がまた新たに発売されたんですね。

 

小泉和子さん(以下、小泉):長く前から読んでいただいてきたんですけど、今回、新装版になって。表紙をお化粧直しして出させていただいたんです。


小泉和子『新装版 ちゃぶ台の昭和』
1998円/河出書房新社
初版は2002年。今年8月、表紙を新たに撮り下ろした新装版として刊行された。表紙をめくると、オリジナル版の表紙が現れる。「昭和」という時代における日本人の暮らしを、ちゃぶ台を通して振り返り、時代による食文化の移り変わりをまとめることで、昭和の家庭で大事とされてきたこと、現代に失われてしまったことを考察している。そのほか『昭和の家事』『昭和なくらし方』『女中がいた昭和』など、昭和時代の暮らしをさまざまな角度からまとめた著書がある。

 

———この本のテーマが「ちゃぶ台」なわけですが、思えば多くの家にはもう、ちゃぶ台はありません。

 

小泉:そうですよね、この本のなかで語っているけれど、ちゃぶ台はちょうど昭和とパラレルなんですよ。それまでの「銘々膳」に取って代わって、ちゃぶ台が使われ始めたのが明治30年代。本格的に普及するのは昭和のはじめからで、それが昭和の終わりには「ダイニングテーブル」に代わってしまったのです。昭和30年代から、だんだんにダイニングテーブルが憧れとなっていたんですよね。その根底にはアメリカ文化への憧れがありました。加えて、1930年に公団住宅ができたんです。団地の生活でダイニングテーブルが導入されて、ちゃぶ台が減っていったのはそこからですね。

 

———それで、今のようなダイニングテーブルに代わっていったんですね。この本は、そういった食卓のことがたくさん書かれていますね。

 

小泉:ええ、でも料理のことだけを書いている本はあるけれど、これは歴史からなにからひと通り書いてあるから、昭和のことがよくわかるでしょう。

 

———そうなんです、ちゃぶ台の“種類”まで書いてありますから! ちゃぶ台には丸のほかに、四角いタイプがあるとか。でも、ちゃぶ台というと「丸」のイメージが強いですけれど……。

 

小泉:実は、ちゃぶ台は「四角」が“正式”なんですよ。

 

———え、そうなんですか!?

 

 

小泉:丸のデザインは、元は中国のものなんです。丸窓とかそう。一方、日本はなんでも四角なんです。畳でもなんでも寸法が決まっていて、日本の住居はすべて四角で構成されているんですね。例えば家電も、東芝が最初に作った洗濯機は円筒型ですけど、あれは進駐軍のものをならった形で、結局売れなかった。もちろん高価だったってこともあるけれど。それを三洋電機が四角くして発売したら売れたんです。

 

———へえ、面白いですね!

 

小泉:四角くして、隅に寄せて置く、それが日本の住宅なんです。着物も直線構造だったり、とにかくなんでも直線的なのね。それなのに“ちゃぶ台が丸い”というのは、『サザエさん』が丸だったから。漫画を描くときに、(登場人物を描きやすいから)「丸」は便利なんですよね。『サザエさん』を分析してみると、中心である磯野家のちゃぶ台は丸いけど、ほかに丸いちゃぶ台の家庭はみんな、貧しかったり問題を抱えていたり、そういう描き分けはあったと思います。現代でも、日本は四角いものが多くて、部屋を立体的に使うことはあまりしない。そこは変わっていないんですね。

「漫画に描かれた家族と『お膳』」の項では、「ちびまる子ちゃん」や「巨人の星」の場面も例になっている。星一徹の“ちゃぶ台返し”はあまりに有名だが、実はアニメで書き加えられたシーンであり、漫画には描かれていない

 

意外なおいしさ! 陸軍直伝の自家製パン焼き器

———戦前・戦中・戦後と、昭和は3つの時代を経ているわけですけど、この本を読んでいて驚いたんです、戦前は、意外と贅沢なものを食べていたんですね!

 

小泉:あら、そう思う?

 

———映画とかテレビドラマで見る昭和の食事って、なんとなく貧しい感じに描かれているように思えて。カツレツとかコロッケとか。

本書の「家庭に入った洋食」の項。コロッケ、カツレツ、ライスカレーの洋食三点セットは、戦前の時点ですでに、一般家庭にも普及していた。一方、婦人雑誌に紹介されるような西洋料理は、庶民には縁遠い話だったようだ

 

———戦中も、パンなんて食べていたんですね!

 

小泉:戦中は、食べるものは惨憺たるものでしたよ。まずいものを食べたり飢えていたり。塩も醤油もないし、すべての食材の質が悪いから、パンもね。パンを最初に取り入れたのは軍隊です。携行食にするとおむすびは腐ってしまうから、パンを推奨したんですね。携行食といえば、中世までは「干し飯(ほしい)」といって、干した米を持っていって、食べるときに水をかけていたんですけど、その頃はおむすびが一般的になっていたから。

最初は、なるべく栄養価の高いパンを作って、という予定だったようですけど、そもそも軍隊に入る人たちは、1日6合も配給される白米が目当ての貧しい人が多かったものだから、パンは不興だったんですね。それで、パンの普及のためにいろいろ研究したようですね。この本に載っているのは自家製のパン焼き器で、木の板に鉄板や銅板を組み合わせて箱状に組み立てた物なんですが、新聞に作り方を載せたことで全国の家庭に一気に普及しました。それが戦中は、いい小麦粉がないから、代わりにふすま入りにしたりキビの芯や桑の葉なんて、とにかく代わりになるものを何でも使ったりして、パンを作ったんです。

 

———パンとは言っても、今食べるものとはまったく違うものだったんですね。

 

小泉:そうなんです。でも、このパン焼き器自体は意外とよくできていてね、これを今使ってパンを作ってみると、ものすごくおいしいの! 焼き上がりは蒸しパンのようになるんですけど、たった9分で焼けちゃうし、それにごはんだっておいしく炊けるし、食べたみんながこれを欲しがるくらい。だから、この本の写真ではおいしそうに見えちゃうんですよ(笑)

戦時中に大活躍した自家製パン焼き器と、すいとん。代用食を駆使していかに食い延ばすか、が主婦に課された命題だった

 

旬を大切にした一汁一菜

小泉:でも私は、戦前の食べ物は賢いと思いますね。

 

———今、逆に見直されつつありますよね。

 

小泉:この本にまとめたような戦前の食事は、ごはんを中心に偏り過ぎだとか、たんぱく質が足りないとか、そういった問題はあったけれど、基本的には日本人の食生活が一番良かった時期だと思います。名家でも日々の食事は意外と質素で、毎日ご馳走をたべていたわけではないし、東京もだいたい麦飯だったし。あの頃の食材を分析してみると、すべて季語になっているんですよ。つまり、旬のものを食べていた。これが理想なんだと思うんです。

着くなりお茶を出して迎えてくださった。「無農薬のお茶を取り寄せて、水出しにして飲んでいるんです。もう少し前までは、どくだみ茶だったんですけどね」と、日常的に口にするものから、自身の納得した食材を選ぶという小泉さんの姿勢が見て取れる

 

———いろいろな時代背景のなかで、食べ過ぎだったり加工し過ぎだったり、現代の食生活は見直さなければいけないですよね。

 

小泉:だいたいが、日本食なんて手間がかからないんですよ。出汁をとるのがやっかいだとか、糠みそが大変とか、なにも大変じゃないのに、生活習慣が変わるなかでそう思うようになってしまった。それが日本人を劣化させていると思うんです。

小泉さんお手製の梅干し。しっかりと酸っぱいが、ふくよかな果肉からは梅の香りと滋味が口いっぱいに広がる

 

最近見直されている「ぬか漬け」。記事トップの写真は、小泉家に80年近く伝わるぬか床。なんともいい塩梅の塩気と香りに仕上がったきゅうりの浅漬けをいただいた。発酵食品をとるように意識されているんですか?との問いには「とくに意識はしていないです、それが普通ですから。あれば食べるだけ」という答えが。けして特別な、たいそうなものではないのだ

 

日本人が一番幸せだった時期、そして現代日本人が向かう先

小泉:日本人全体が一番幸せだったのは、いつだと思います?

 

———うーん、戦前でしょうか?

 

小泉:私はね、日本人全体が一番幸福だったのは、昭和30年代くらいだと思うんです。というのはね、戦前は、小作人制度があって貧富の差は大きかったし、男性は兵隊にとられたし女性の権利は低かった。戦前が良かったというのは、都会にいてお金がある人ね。そういう人は、女中をおいたり豊かな暮らしをしていたんです。でも女中になるほうは貧しかったわけですよ。

 

———昭和30年代というと高度成長期のはじめのころですか。戦前は、たしかに貧富の差は大きくあったようですし、辛い境遇にあった人も多かったのかもしれないですね。

 

小泉:それが戦後、制度がすべて変わりましたよね。戦争を放棄して、小作人制度が廃止されて、民主主義になって、男女同権になって。戦後、昭和20年代のうちは、まだ飢えたり貧しかったけれど、昭和30年になると「“戦後”が終わった」と経済白書が発表したり、団地ができたり、炊飯器が発売されたり、そういったことに象徴されるような時代になりました。家電が一気に普及したのも、小作人制度がなくなったからですよ。昭和40年代に入ると、公害が一気に問題化していきましたから、昭和30年代半ばから40年代前半がもっとも幸せだったと思います。

 

———戦争の恐怖もなくなったわけですから、一番安心して暮らせるようになったのかもしれませんね。

 

小泉:まさかのちに、よもや憲法を改正しようという人が出てくるなんて思わないですよ。“戦争にとられる”とは、ものすごい恐怖なんですよ。だから戦争を生き延びた人たちはもう、戦争なんて絶対反対だし、兵隊にとられないことがどんなに幸せなことか、みんなひしひしと感じていたんです。

 

———私も戦争の経験はしていませんが、二度と戦争をしてはならないということを、小泉さんのご意見を伺ってさらに思いを強くしました。次の世代にも伝えていかないといけませんね。

そうして昭和40年代は公害が出始めて、必要以上に利便性や生産性を求めるようになってしまったのですね。

 

小泉:その後は工業化が進み過ぎましたね。例えば扇風機だって、戦前はよほどの金持ちじゃなければ買えなかったものが、経済成長期にはあれもこれも買える、ってなって、それが行き過ぎたのが、現代なのかもしれません。

戦前のような生活の仕方は便利です。経済はもうこれ以上進歩しなくてもいいから、暮らしも、食生活からしっかり立て直したらいいんじゃないかと思いますよ。

 

【プロフィール】

生活史研究家/小泉和子さん

1933年、東京生まれ。登録有形文化財・昭和のくらし博物館館長、NPO法人・昭和のくらし博物館理事長。重要文化財熊谷家住宅館長。家具道具室内史学会会長、工学博士。家具室内意匠史および生活史研究家。朝香宮邸など文化財建造物の家具インテリアの修復復元や、吉野ヶ里など復元建物の内部復元も手がける。
昭和のくらし博物館 http://www.showanokurashi.com/
熊谷家住宅 http://kumagai.city.ohda.lg.jp/

 

GetNavi webがプロデュースするライフスタイルウェブメディア「@Living」(アットリビング)

at-living_logo_wada