いまや、至るところで目にするようになった「断捨離」という言葉。最初に提唱し、著書やテレビ・雑誌などのメディアを通じて広く一般化させたのが、やましたひでこさんです。
そんな正真正銘の“生みの親”が、日々思うこととは何なのか? 日常における、断捨離にまつわる気づきをしたためたエッセーをお届けします。第1回は夫婦の距離感とふたりが住まう部屋の“空気”に焦点をあてた「妻と夫の居場所」。第2回は断捨離が意味する「『引き算』の暮らし」。そして第3回は……?
モノと空間の居心地。
モノは片づけても、空間をおろそかにしてはいないだろうか。
モノを片づけても、空間をないがしろにしてはいないだろうか。
いいえ、それどころか、モノを片づけても、空間を意識することがすっかり抜け落ちている。
それが、多くの人が陥っている現状。
そうか、こんなことを書くと訝しく思われるかもしれない。けれど、こんな光景を至る所で目の当たりにすると、そう言わざるをえないのです。
リビングの壁際にずらっと並べ置かれた収納ボックス。
リビングの天井高くまで背が伸ばされた収納棚。
寝室にいっぱいに置かれた整理ダンス。
寝室の大半を占めるような洋服ダンス。
たしかに、それらがあれば、床に散らばったモノを納めて片づけることはできる。整頓された風体にはなる。
けれど、その収納ボックス、収納棚によって部屋の閉塞感が増し、その整理ダンス、洋服ダンスによって部屋に圧迫感が生じていることに気がついてはいない。
いえ、もしかして、それとなくは気づいているのかもしない。けれど、沢山のモノを収めて片づけるには、どうしてもこれら収納アイテムが必要だと思い込んでいるのだろう。
片づけ、すなわち、モノを揃えてしまうこと。
そんな思い込みが、自分の居場所を、どんどん狭く窮屈にしていることを意識できている人は少ない。
ただでさえ、十分な広さを確保するのが難しい日本の住宅事情。狭いリビングで、それら収納ボックスに自分の居場所を乗っ取られていることに気がつかなくてはいけない。
さして広くもない寝室に、大きなタンスがあれば、まるで自分が井戸の底で寝ているような感覚になることに気がつかなくてはいけない。
私たちが暮らす住まいという空間は、なにより、安全と健康が最優先されるべきであることは言うまでもないはず。
けれど、それをいとも簡単に忘れる不思議。
落下の危険
転倒の危険
住まいの安全を後回しにして、モノを留め置くために片づけと称して、収納ボックス、収納棚を並べる。
埃の堆積
カビ・ダニの温床
住まいの健康を後回しにして、モノを溜め込むために片づけと称して、タンスを置く。
モノと空間の安全と健康。
そのどちらが、自分にとって、より大切なのか考える必要がある。
モノと空間の居心地。
そのどちらが、自分にとって、より重要なのか考える必要がある。
そう、モノを片づけてしまうための収納アイテムも、空間全体から捉えれば、大きなモノの一つであることに変わりないのです。
モノを増やし続け、それを留め置き、しまい込み、やがて、しまいこんだまま、そのモノの存在さえ忘れてしまう私たち。
モノを溜め込み続けるために、収納にはまり、モノの居場所づくりには熱心に取り組むのに、自分の居場所づくりは忘れる。
片づけとは、本来、自分の居場所をより快適な空間へとクリエイトするためのもの。
だから、片づけをモノの片づけと思っていけない。
安全で健康
安心と元気
爽快感と開放感
それを自分の住空間に実現していくのが本当の片づけ。
空間をモノから自分に取り戻すための行為が断捨離。モノを絞り込み、モノを選び抜き、空間を清々しい居心地の良い場所にしていくのが断捨離。
モノを軸とした片づけではなく、モノを空間の主役にした整理収納ではなく、空間を軸とした片づけ、自分を空間の主役にしていくのが断捨離なんですね。
※「断捨離」はやましたひでこ個人の登録商標であり、無断商業利用はできません。
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