いまや、至るところで目にするようになった「断捨離」という言葉。最初に提唱し、著書やテレビ・雑誌などのメディアを通じて広く一般化させたのが、やましたひでこさんです。そんな正真正銘の“生みの親”が、日々思うこととは何なのか? 日常における、断捨離にまつわる気づきをしたためたエッセーを毎月1本、お届けしています。第7回の本稿では、“いい加減”で“思いつくまま”の旅路で思うつれづれに思い巡らしています。
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やましたひでこの「断捨離」連載まとめ
バンクーバーからビクトリアへと巡る旅に出ている
そうか、巡るというよりは短い滞在を愉しんでいるといった方が適当かもしれない。世界各国の移住の人々がおおらかに集う大きな都市バンクーバーと、いまだ英国風の情緒が色濃く残る小さな街ビクトリアと、ぞれぞれの魅力を味わう日々。
この滞在、誘われるままにやってきた結果のこと。別にとりたてた目的があった訳でもなく、お誘いを受けたので、その場で「イエス」と返事をしたまで。おまけに、親しい友人ふたりを誘うと、そのふたりもまたその場で「イエス」。そうして、何も考えない女三人の珍妙な12日間の同宿が続くことに。
羽田からチェックインする直前にスーツケースにパッキング、まあ、これだけの荷物でなんとかなる。到着すれば、あとはお迎えの友人がなんとかしてくれるはずだしと、まるでよそ事、他人事のような有様。
滞在予定の民泊のコンドミニアムの名前はもちろん、住所も知らず、まるっきりのお任せ。とにかく、自分たちはパスポートを手にして飛行機に乗りさえすればいい。そして実際、張り切って準備をしてくれたバンクーバー在住の友人のプランにしたがって、あちらこちらに連れて行ってもらえばいい。
思えば、ずいぶんといい加減になったものだと。それが、いいのか悪いのかはともかくとして、以前の私ならば考えられないこと。
ガイドブックを繰り返し調べ、宿泊ホテルのグレードにこだわり、実際はどこまでこのガイドブックの通りなのかと不安を覚え、ホテルの値段の高さに呆れ、荷造りも念のためにと増えるばかり。まして、海外渡航ともなれば、言葉もままならず、食事の心配、なによりトイレの心配も無用に募らせていたもの。
いったいどこに旅支度の高揚感があったのだろうか。
ああ、それも遠い昔の私自身の有様、いまでは、そのかつてのそんなお粗末な自分が微笑ましく映るほど。
見知らぬ土地へのいざないは、行ってみなくては分からないことばかり。行ってみてはじめて分かる。いいえ、行ってみたところで分からないことがあるだろう。
要するに、格好をつけて言うならば、過剰な期待を手放したゆえの今。けれど、実のところは、とってもいい加減になったと言うべきなか。
期待をしてはいないので、がっかりすることもないと同時に、期待以上の出逢いに驚き感動することもない。それはそれで残念でもありますね。
そう、結局は、旅の準備時に高揚感がないのは同じことだから。
ところで、この短い滞在型の旅の面白さは何かといえば、現地での生活が体験できることにある。それはどこまでも疑似体験ではあるのだけれど。
ダウンタウンにあるコンドミニアムの窓辺でバンクーバーの街を見下ろしながら、ランチはどこのレストランへ出向こうかしら、夕食はどこの国の料理でお腹を満たそうかと思いあぐねるのもまた一興。
毎日出る洗濯物を、日本では考えられないような大きな洗濯機で洗う。それから、同じように大きな乾燥機で乾かす。ありえないスピードでシワひとつなく仕上がる洗濯物に、ひどく感動してみたり。
そうですね、洗濯物が乾かないことほどストレスになることはなく、フラフラと室内にぶら下がる生乾きの衣類ほど鬱陶しいものはないのだから。
ああ、この洗濯機と乾燥機を、この同じように大きな食洗機も、日本に持って帰りたい、と、非日常の異国での旅の最中にも、日常を照らして考える思考の癖はあいも変わらず。
バンクーバーからフェリーで1時間半をかけて向かったビクトリアでも、それは同じこと。
海辺に位置する瀟洒なコンドミニアムを見上げながら、ここで暮らせたらどんなに素敵かしらとは感じる。でも、実際、毎日毎日、海を眺めながらの「のんびり生活」は私には向かないことはよく知っている。することもなく昼間からビールを飲んで、ただ漫然と過ぎていくことは目に見えているような。
旅と滞在が違うように、滞在と生活は違う。海外生活には憧れはするけれど、それが海外であっても日本であっても生活を営む大変さはつきまとう。
とはいえ、こんなふうに自分の日常を振り返る余裕がもてることこそ、この短い滞在の意味なのかも知れない。
※「断捨離」はやましたひでこ個人の登録商標であり、無断商業利用はできません。
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