本・書籍
2016/7/1 6:03

【村上春樹に司馬遼太郎】電子書籍がいま伸びている理由

村上春樹のいわゆる「初期三部作」が講談社で電子書籍化され、7月1日にリリース。電子書籍業界にとっては、ユーザーが拡大するきっかけになりそうな話題作だが、村上春樹の小説の電子化1号を世に出し、大ベストセラー「火花」(又吉直樹)でも、電子書籍の記録的な売上をつくったのが文藝春秋。電子書籍担当部門の部長で、業界でもやり手で知られる吉永龍太さんに、やはり電子書籍業界に深くかかわる筆者が、連発するヒットの秘密をきいた。  ●インタビュアー:廣瀬有二(プロフィールはこちら

 

↑吉永龍太/株式会社文藝春秋、電子書籍編集部長。文藝春秋の電子書籍販売スキームを確立するとともに、積極的なコンテンツプランニングで売上を伸ばし続ける。Amazonをはじめとする電子書店や電子取次からの信頼を集める電子書籍業界のキーパーソン
↑吉永龍太/株式会社文藝春秋 電子書籍編集部長。文藝春秋の電子書籍販売スキームを確立するとともに、積極的なコンテンツプランニングで売上を伸ばし続ける。Amazonをはじめとする電子書店や電子取次からの信頼を集める電子書籍業界のキーパーソン

 

映画の宣伝でグイグイ伸ばした「64(ロクヨン)」

ブックビヨンド 廣瀬有二(以下廣瀬) いま、文春さんで売れている電子書籍はなんですか? 「火花」は相変わらずランキング上位ですが(※取材日は2016年6月27日)。

文藝春秋 吉永龍太部長(以下吉永) 「64(ロクヨン)」(横山秀夫)の合本が売れていますね。

廣瀬 「64(ロクヨン)」は、文庫の上下巻もそれぞれ電子化していますが、やはり2冊合せた合本が売れますよね、電子化だと。

吉永 そうですね。上下巻をまとめて一緒に買えるのが読者にとっては便利なようですね。

廣瀬 やっぱり、作品が映画化されると、書籍の実売のインパクトは大きいですよね。映画化が決まった時、プロモーションでテレビCMを打っているとき、映画がヒットして評判が広まったとき、の3つに分けると、どのタイミングがいちばん売れ行きに反映しますか?

吉永 宣伝でテレビCMが流れている時ですね。やっぱりテレビの影響は大きいです。

廣瀬 「64(ロクヨン)」も十分にすごいのですが、出版という枠を超えた社会現象にもなった又吉直樹さんの「火花」は、電子書籍の売れ方もすごかったですよね。

吉永 単行本の「火花」の発売は、2015年3月。もちろん、出版と同時に電子化したかったのですが、ちょっと時間がかかり、6月に電子化しました。それからしばらくして、芥川賞の候補になったときに、ものすごくニュースになり、単行本が品切れ状態になってしまったんです。その2週間で、電子は1万2000部DLされました。本当は単行本でほしかった人もいたとは思いますが、機会損失をかなり防げたということはいえます。

廣瀬 芥川賞受賞のときは、もっとすごいことになりましたか?

吉永 比べ物にならないですね。なにせ、単行本は、直近の数字で253万部発行です。実売はそれよりは少なくなりますが、たいへんなボリュームです。受賞以降、品切れにならないように増刷を繰り返していたけれど、最初のころは品薄状態が続いていました。電子がない時代だったら、取りこぼしていたお客さんも多くいるはずです。

 

まだ売れ続ける「火花」は16万ダウンロード

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廣瀬 電子は結局どれくらいになりましたか?

吉永 16万DLですね。紙と電子と合せた全読者に対して6%。そういう意味では、絶対的なDL数は多いけど、特に電子で売れたわけではない、ということも言えますが。

廣瀬 読者の属性は、把握できていますか?

吉永 ご存知の通り、AmazonやAppleの販売データから属性は取れないのだけれど、いろいろなリサーチを総合すると、意外と年配層が電子を多く買っているということがわかりました。又吉さんだから、若い人が買って新しい文芸ファンを開拓できた、という美しいストーリーを書きたかったけど、電子書籍では、実際、そういうものではなかったようです。

廣瀬 現在もランキング上位ですよね?

吉永 ふつうの本だと、売れ行きにはヤマがあって、その後はダラッと下がり続けるものだけど、この本は一定数売れ続けています。ネットフリックスのテレビCMの影響もあると思いますが、むしろ、上昇傾向にあります。

廣瀬 出版社にとって、貢献度が高い商品ですね。

吉永 「商品」とは言いません、「作品」です。

廣瀬 失礼しました。電子書籍、デジタルコンテンツならではの有効なマーケティングって、ありますか?

吉永 うーん、きちんと話題になるプレスリリースを打って、メディアに取り上げられてもらう、ということでしょうか。

廣瀬 まあ、それは、ある意味、普通のやり方ですよね。

吉永 電子書籍の販促っていうと、セール施策が常道だとは思うんですが、それは、極力やりたくないです。メディアが取り上げたくなるリリースを打つということに神経を使っています。

廣瀬 具体的な例をお願いします。

吉永 4月に「64(ロクヨン)」と同じく横山秀夫先生の「刑事の勲章」という作品を電子書籍のみでリリースしました。これは、「オール読物」(※読は旧字体)で発表された作品で、たいていはそういう短編を集めて単行本にするのですが、この作品はたまたま宙に浮いていたんです。この作品がテレビドラマ化されることになり、「64(ロクヨン)」も好調なので、急遽電子で販売することにしました。どの電子書店でも売上上位にいます

廣瀬 フレキシブルな対応がすぐに結果に結びつくのは、デジタルコンテンツビジネスの楽しいところですね。

吉永 あとは、話題になった壇蜜さんのデビュー小説「光ラズノナヨ竹」にもふれさせてください。400字30枚程度の短編だけど、デビュー作ということであおり、ちょっとセクシーな著者近影の写真をリリースに添えたことで、取り上げてもらえる機会が増えたようです。

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電子書籍の担当に名乗りをあげたワケ

廣瀬 吉永さんが電子書籍に携わるまでの経歴を教えてください。「週刊文春」出身ですよね?

吉永 新卒でこの会社に入り、「週刊文春」とノンフィクションの単行本編集部を行ったり来たりしていました。電子の部署には、2012年4月に異動したのですが、自分の希望を通してもらった形です。2010年にiPadが上陸して、ムックをベースにした「原色美人キャスター大図鑑」というアプリを作ったんです。けっこうリッチな作りにしたのですが、これは表現手段として面白いなと思いました。それで、何かの機会に電子書籍に興味があるということを社内で言ったら、異動が実現しました。

廣瀬 2012年で電子の部署って、どんな状況でしたか?

吉永 当時は月に4,5冊、何か月か前に出た文庫本を電子化する程度。正直、つまんなかったですね。4年たって、いまは、全書籍の同時電子化を目指していて、それが実現できている作品もずいぶん増えました。そこに至るまでは、けっこう苦労はありました。

廣瀬 「黒船」なんて言われていたチャネルとの契約とかですか?

吉永 AmazonやAppleと出版社にとって前例のない契約を一からやりましたからね。まあ、その体験は刺激的で面白くもあったのですが。

廣瀬 条件交渉、激しかったんでしょうね。

吉永 契約に関することは、言えません(笑)。まあ、いろいろな国の方たちがこの応接室に来てましたね。言えるのはそれくらいです。

 

あの作家を口説いて大ヒットに

廣瀬 電子書籍がビジネスベースに乗りそうな手ごたえを感じたのはいつですか?

吉永 TBSの「半沢直樹」が大ヒットしたとき、作者の池井戸潤さんの作品は電子化されていなかったんです。池井戸さんが会社にいらしたときに、担当編集から時間をもらって、電子書籍について説明させていただき、ご了承いただけました。

廣瀬 文庫になっていた原作はもちろん、電子書籍も大ヒットでしたね。

吉永 テレビの放映は日曜だったじゃないですか。番組後、日曜の夜に電子書籍の売上がガーンとあがるんです。翌日まで読者は待ちきれなかったのでしょう。

廣瀬 もう、すぐにでも本を読みたくてたまらないんですね。

吉永 いまの読者は情報の入手量が非常に多いですよね。今夜興味持ってくれたものについての購買意欲も、別の情報が入るうちに、明日の朝にはなくなっちゃうかもしれない。そういう意味で、即買って即読める電子書籍ビジネスの可能性を感じました。

廣瀬 電子部門の手柄ですね。

吉永 いやいや。担当編集がいて、著者さんに会わせてもらって、という段取りを経ての結果です。いい編集者あってのことです。

廣瀬 謙虚すぎる気がしないでもないですが。電子書籍部門と紙の本の部門の関係は良好ですか? さすがに、いまどき、実売が減るから電子に消極的、という出版人は減ったかと思いますが?

吉永 以前よりは少ないことを信じてますよ(笑)。

廣瀬 文藝春秋といえば、大物作家の初電子化を実現させていますよね。司馬遼太郎さんの電子化のときは、私もエキサイトしました。口説くの、たいへんだったでしょう。

吉永 司馬先生の作品を管理する司馬遼太郎財団は東大阪にあるのですが、何度も交渉に行きました。電子書籍そのもの、あるいは、そのビジネスを理解していただくところから始めて、少しずつ。それで受け入れていただきました。

廣瀬 売れていますよね。私もけっこうポチッとしました。

吉永 たとえば「竜馬がゆく」は文庫でずっと売れ続けていました。そこに電子書籍をラインナップに入れたら、紙の売上は減ることも増えることもなかった一方、電子書籍はばーっと売れたので、トータルで読者数は8倍になりました。これはAmazonさんでの話なのですが、いい実例が作れたと思っています。

廣瀬 明らかに、そこにニーズがあったのですね。逆に言えば、電子書籍にする前は、たいへんな機会を損失していたということですね。

吉永 そうですね。でも、作家さんによって、電子書籍化に対し、ネガティブ、とまではいかなくても、慎重な方はいます。

廣瀬 大ヒットを連発していながら、電子化にうんと言わない作家さんはまだまだいますよね?

吉永 電子化に踏み切らない理由は、だいたい2つのパターンです。ひとつは書店への配慮、もう一つは日本の電子書籍の現状をよくわかってらっしゃらない。後者に対しては、説明を尽くすしかないですね。特別な説得方法なんてないです。電子書籍が、とにかく嫌だと言う方もいらっしゃいますが。

廣瀬 村上春樹さんの小説作品を最初に電子化したのも文春さんでしたね。

吉永 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」です。2015年の12月、文庫本の発売と同時に電子化しました。

 

ついに村上春樹の小説が電子書籍化

タザキ カバーデータ

廣瀬 この電子化も話題になりましたよね?

吉永 プロモーション費はある程度使える状態にあったのですが、メインに選んだのは新聞広告でした。全5段で、キャッチは「村上春樹小説作品、待望の初電子化!」。電子書店員さんのコメントも載せさせていただきました。

廣瀬 電子書籍で新聞を広告媒体に選ぶって、若干ひねくれていますよね。

吉永 いやいや、DL数が増えることを期待しての新聞出稿じゃないんです。この広告で業界の内外へのメッセージを送りたかったという側面もあったのです。

廣瀬 電子書籍が、また読者のニーズに応えられるものになった、ということですね?

吉永 他出版社へのアピールもあります。この後、もっといろいろな出版社から村上春樹さんの小説が電子化されて出ることになっていくでしょう。でも、最初にそれをやることは大事だと思っています。

廣瀬 そして、7月1日に、いよいよ、いわゆる初期三部作の電子書籍が講談社から配信開始ーー「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」。村上春樹ファンなら、垂涎もののコアな作品がまとめて発売になります。このリリースも、電子書籍が広まる契機になると思いませんか?

吉永 そうなってほしいです。電子書籍業界、出版業界が盛り上がってくれればいいなと。一冊でも多く村上春樹さんの本が読まれるということは、私たちにとってもうれしいことです。

 

新しいチャレンジが市場を開拓する

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廣瀬 いままで小説の話を中心にしてきましたが、ジャンルを問わず、電子書籍の将来性をどう考えていますか?

吉永 もっとユーザーを広げるためには、新しいことをやらなくてはいけない。ありもののコピーじゃだめですね。

廣瀬 デジタルファースト、というか、デジタルオリジナルの企画がカギを握るということですか?

吉永 「キャンパスクイーンコレクション」は電子書籍限定で世に出しました。キャンパスクイーンなんで、被写体は大学生。でも彼女たちが大学生じゃなくなったら、ヒキがとたんに弱くなってしまう。そんな時こそ、電子書籍です。

廣瀬 カメラマンは根本(好伸)さん! 大物! けっこう原価、かかりませんか。利益は出るのでしょうか?

吉永 「週刊文春」にも掲載したので撮影費用を雑誌にある程度もってもらい、ロケは社内や近辺、うちのビルの屋上でやるなどで、浮かせています。工夫次第ですよ。

廣瀬 やりようですよね。従来のやり方だと合わない、そこをどうするか考えることを放棄したら、それまで。

吉永 他編集部からのデジタルオリジナル企画の相談、提案は、確実に増えていますよ。現時点で考えれば大物作家を一人口説いたほうが売上には貢献するでしょうが、新しいものを作るという動きは止めちゃだめだと思っています。

廣瀬 同感です。チャレンジし続けるスタンス、見習います。今日はどうもありがとうございました!

 

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