〜玉袋筋太郎の万事往来
第3回 「Brift H」社長・長谷川裕也〜
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第3回のゲストは、南青山で靴磨き専門店「Brift H(ブリフトアッシュ)」を開業する、靴磨き職人の長谷川裕也社長。
2017年、靴磨き世界大会「ワールドチャンピオンシップ」で世界チャンピオンに輝き、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)にも出演したことのある長谷川社長に、なぜ靴磨きに着目したのか、路上から靴磨きを始めて南青山に店舗を開業するまでの経緯、日本の靴磨き業界の現状などを伺いました。(企画撮影:丸山剛史/ライター:猪口貴裕)
共通点は親がスナック経営者
長谷川 僕の母親が木更津でスナックをやっていたので、夜の仕事で育ててもらったんです。だから今回、玉袋さんとお話できるのがうれしかったんですよ。
玉袋 うちも実家はスナックだから一緒ですよ。
長谷川 そうなんですか!
玉袋 全日本スナック連盟も、自分が大人になってスナックが好きになったのもあるんだけど、俺を育ててくれた両親に恩返しできなかった悔しさがすごくあって。だったらスナックを応援したいなということで始めたんです。
長谷川 どちらでご両親はスナックをやってらっしゃったんですか?
玉袋 新宿です。
長谷川 ドラマが深そうですね。
玉袋 いやいやいや、社長に比べたらなんてことないです。今や“ゆうや”といったら手越祐也どころじゃないですから。注目は長谷川裕也社長ですよ。
長谷川 光栄です(笑)。
――親がスナック経営という共通点があったとは序盤から驚きですね。
長谷川 僕が小学1年生のときに両親が離婚して、気付いたら母親はスナックをやっていました。後に僕の妹も母親のスナックで働き出したんですけど、僕も母親の出勤前に、おしぼりの用意を手伝ってました。
玉袋 一緒だ。俺もやってましたよ。おしぼり畳んでくるくるっと回してね。そういう部分で言うと、最初から社長は接客業に向いていたんですね。しかも地べたから行くのがすごいなと思って。俺は新宿出身だから、小さいころは駅前に靴磨きの人がいっぱいいたんですよ。小田急の駅前なんて夫婦でやられている人もいましたからね。お父さんは太って棟形志功みたいなメガネをしてさ、そこを通るたびに子どもが増えていくのよ。みんなお父さんと同じ顔をしてるの。そしたら長男がグレて、すんごい髪型になってさ、そういうところに人生を感じたんだ。
――小田急の駅前を通るだけで、家族のストーリーが垣間見えていたんですね(笑)。
玉袋 「ガード下の靴磨き」という名曲もあるぐらい、靴磨きは戦後の苦しい時代に戦災孤児が始めるような、片隅にあったお仕事だったと思うんです。そんなイメージを社長は一変させた訳じゃないですか。もちろん靴磨きに職人になるまでは、いろいろ大変なことがあったとは思いますが。だって靴磨きを始めようと思ったときの所持金がすごかったんでしょう?
長谷川 2000円ですね。それで100円ショップに行って、315円で靴磨きの道具を揃えました。
――長谷川さん自身は靴磨きにどんなイメージを持っていたんですか?
長谷川 僕は木更津生まれ、木更津育ちなので、東京にいれば靴磨き屋さんって普通に見かけたかもしれなかったんですけど、見たことがなかったのでイメージも何もなかったんですよ。
玉袋 そうなんですか!
長谷川 単純に元手のかからない商売で、その日に始めてお金をもらえるのは靴磨きだろうなというだけの理由で選んだんです。
1足500円の路上靴磨きからスタート
玉袋 路上でお仕事した人しか分からない目線というのがあるんですよ。昔の新宿地下には靴磨きの人もいたし、ホームレスの人もゴロゴロいた訳だ。ちっちゃいころは、その人たちに近い目線だけど、そこから成長していくと自然と目線も上がっていく。そこで俺は経験として一回、ホームレスを体験してみたんですよ。わざと汚い恰好で新宿西口の地下にあるバスロータリーの近くでやってみようと思ったんだけど、どうしても座れないんだよ。
長谷川 どういうことですか?
玉袋 一度、目線が上になってしまうと、あの人たちの生活圏まで降りられないんですよ。ところが社長は若くして目線を落としたのがすごいと思うんだ。一回座れば、その目線に慣れちゃうかもしれないけど、315円で道具を揃えて、いきなり地べた商売だもん。最初はどこで始めたんですか?
長谷川 最初は東京駅で始めたんですけど、1年間やってみてお客さんが増えなかったので、新宿や赤坂など幾つか転々として、最終的に品川駅にたどり着いたんです。
玉袋 当時からこざっぱりした格好でやってたんですよね。
長谷川 自分なりにオシャレをしてやってました。
玉袋 俺が若いときに、新宿伊勢丹の向かいでやってた靴磨きのおじさんは、うちの近所だったから、よく風呂屋で会ったりしたんだ。そのおじさんは、夏になるとランニング姿でゴム草履だったよ。品川駅はどこでやってたんですか?
長谷川 品川駅の港南口です。初めて行ったときに、ホームレスのおっちゃんが拾った本を売ってたんですよ。
玉袋 いるね。拾子(ひろこ)から仕入れた本を売ってるんだよね。
長谷川 拾子って言うんですか。確かに拾っている人と、売っている人は違うんですよね。
玉袋 ちなみに、ある地域で、その元締めをやってたのが稲川淳二さんのマネージャーさんなの。そんな本を売る人たちと一緒にやってたんですか?
長谷川 まず、おっちゃんから本を何冊か買って、「警察は来るのか?」とか「他に靴磨きはいるのか?」と聞いたら大丈夫そうだったので、自分の正体を明かしたんです。それで「隣を貸してくれませんか?」と聞いたら快諾してくれたので、おっちゃんの隣で靴磨きを始めたんです。そこで約3年ですかね。
玉袋 そんなに長く!
長谷川 ただ最初に、午前中はダメだとか、1日3回撤去されたら帰れとか、18時になったら帰れとかルールがあるんだと言われて。なので毎日12時ちょっと前から18時ぐらいまで靴磨きをやってました。
玉袋 そのときの料金は?
長谷川 1足500円です。
玉袋 そのときに社長は幾つだったんですか?
長谷川 21歳から24歳ぐらいまでやってました。
玉袋 すごいよね。周りは大学生で遊んでいる年齢なのに。
――正直、路上で靴磨きをやる恥ずかしさはなかったんですか?
長谷川 恥ずかしいのは最初だけで、すぐに薄れましたね。よくお客さんに言われたのが、「役者さんを目指してるの?」みたいな。アルバイトだと思われていたんですよ。でも僕は本気で靴磨きをやっていて、舐められていると感じることも多かったので、いつか見返してやろうと思っていました。
――靴磨きをやりながらアパレル会社でも働いていたんですよね?
長谷川 靴磨きを始めて1か月後ぐらいから洋服屋でも働き始めました。二足の草鞋だったので、靴磨きのほうは毎週曜日を決めて、名刺を配って、出勤日をお客さんにメールしてました。
玉袋 アパレルの会社は副業OKだったんですか?
長谷川 一応、面接で靴磨きをやっていることは言ったので、OKってことだったんでしょうね。それで品川で始めて1年弱で行列ができるようになりました。
玉袋 口コミもあったのかな?
長谷川 それもありますし、1回来てくれた人がリピートしてくれたんです。最初は怪しい兄ちゃんがいるなって感じだったんですけど、ずっとやっていると、ちゃんとした靴磨き屋なんだなって認識されるようになりました。
玉袋 技術はどうやって習得していったんですか?
長谷川 何も知らないで始めたら、お客さんに「下手だから、ちゃんと勉強したほうがいい」と言われたんですけど、当時は靴磨きに上手い下手があることすら分からなかったんです。それで東京駅で昔からやっていた靴磨きの方を見に行ったら、明らかに違うんですよ。遠目から見てもピカピカに光っていくのが分かるんです。全く違うレベルなんだなと思って、後ろあたりを行ったり来たりして、家に帰って見様見真似でやってみたら、同じようにピカピカに光ったんですよ。そこから、どんどんハマっていきました。
玉袋 ビフォーアフターが自分の手で体感できるんだもんね。
長谷川 そうなんですよ。それから他の靴磨き屋さんはどうなのか気になって、実際に靴磨きをしてもらいました。有名どころだとホテルオークラの源さん(井上源太郎)、帝国ホテルにいるキンちゃん。他にも新宿や浅草橋にも行って、それぞれの方に靴を磨いてもらって技を盗んでました。あと友人で古着のバイヤーがいたので、10万円を渡して、「とにかく革靴をいっぱい買ってきてくれ」と頼んで、その革靴を磨いていました。
玉袋 千本ノックみたいなことをやったんだ。
長谷川 アメリカの靴を20足ぐらい買ってきてもらって、磨くだけじゃなく、煮てみたり、電子レンジでチンしたり、紙やすりで削ったり。当時は靴磨きの動画とかもなかったので、自分なりに実験をしてました。
玉袋 最初は何で拭いていいかも分からないもんね。
長谷川 確かに布一つとってもそうなんですよ。何がいいのかはやってみないと分からないんです。
玉袋 初めて出会う革もあるだろうし、それに合わせてピカピカにしていくのは大変ですよ。そのときのお客さんの態度はどうだったんですか? 中にはカチンとくるような人もいると思うしね。
長谷川 中には罵声を浴びせてくるような人もいましたけど、基本的には可愛がってくれて応援してくれました。
玉袋 ストーリーになりそうだよね。綺麗好きはもちろん、「この子に磨いてもらったら仕事の運が上がる」みたいなゲン担ぎもいると思うんだ。ちょっと汚れた靴を綺麗にしてもらって、靴磨きを終えて去っていく後ろ姿がいいじゃない。送り出す感じだもんね。
長谷川 みなさん磨き終えた後の姿がシャキッとしてるんですよね。
玉袋 俺がサウナに行くのと近いのかな(笑)。磨くサウナみたいな。
長谷川 どちらも整えてますからね(笑)。
世界一カッコいい靴磨き屋になるため南青山に開店
玉袋 品川駅での収入はどうだったんですか?
長谷川 けっこうよかったですね。22歳でアパレルを辞めて、靴磨き1本にしましたからね。
玉袋 22歳で生涯の仕事に出会えたのはすごい。社長の気付きですよ。
長谷川 今考えるとラッキーですね。
――そもそも靴磨きを仕事に選んだ理由は何だったんですか?
長谷川 もともと僕は靴磨き屋をやりたかった訳ではなく、いつか自分で会社をやりたいなと漠然と思っていたんです。それで18歳から英会話教材の営業マンをやって、20歳で辞めるときに、23歳まで会社を作ろうって決めたんです。アパレルを選んだのは、ファッションが大好きだったので、洋服屋で働きながら好きな洋服も買えるといいなぐらいの単純な理由です。それで洋服関連の求人に応募しているときに、お金がなくなっちゃって靴磨きを始めただけなんです。
玉袋 南青山の一等地にお店を出そうと思ったきっかけは?
長谷川 熱心なクレーマーがいたのもあって、警察が頻繁に来始めちゃったんです。結局、普段やっている場所から移動せざるをえなくなって、それをきっかけに辞めることになったんです。それで世界一カッコいい靴磨き屋をやろうと思って、南青山にBrift Hを開きました。
玉袋 足立区や荒川区だったら、こうはいかなかったよ。南青山でやるところがすごいんだ。品川でついたお客さんは、このお店にも来てくれたんですか?
長谷川 それが全然来なかったんですよ。品川では500円でやってたんですけど、Brift Hを開店するにあたって値段をどうしようか考えて。当時、一番高かったのが先ほど話した源さんで1200円だったんです。僕は青山に専門店を開いて、従業員も雇ったので、1500円、3500円、6000円と3つのコースで始めて。路上時代のお客さんからすると一番安いコースでも3倍ですから、すごく高く感じますよね。なので雑誌の記事などで僕のことを知っていた方が、やっと専門店がオープンしたということで来てくださりました。
玉袋 軌道に乗ったのはいつごろですか?
長谷川 実は軌道に乗ったって感覚は一度もなくてですね。常に潰れそうだけど、何とか持ちこたえているうちに13年目を迎えたんです。
玉袋 車でもそうだけど、新車を買ってもさ5年で乗り換えるみたいなシステムにされちゃって。もともと日本人は物を大切にするって考え方だったのに、今は大量消費の時代になっちゃってさ。そこに居心地の悪さを感じて、スナックを始めたところもあるんだ。キャバクラの女の子なんて勉強もせずに、ただ座って、俺には背中に売上のグラフしか見えない。そんなの面白くない。ちゃんとお客さんと接して、喜んでもらって長続きしていく形、お客さんとの関係を作っていくのが商売の基本だと思うんだ。そういう意味では社長のやっていることは時代に抗っていると思う。でも、それが今の時代に良いカウンターになっているんです。
長谷川 コミュニケーションは大切にしていますし、それを楽しみに来てくださる方もいらっしゃいますからね。
玉袋 靴を見れば人が分かるって言うけど、靴はストーリーだよ。
長谷川 靴選びで、その方のセンスや思考が分かりますし、履き方で「この人はバタバタしてるな」とか生活も見えてくるんです。一概には言えないですけど、尖った靴を穿く人は性格も尖ってますし、丸い靴を履く人は性格も丸い傾向があるんですよ。
玉袋 靴一足でプロファイリングができるんだね。
靴クリームは化粧品会社に発注!?
玉袋 以前は地べたに座って磨いていたのが、今はバーカウンターのような場所で、お客さんの顔を見ながら磨くようになって。その目線を変えたのも社長の閃きですね。
長谷川 これは僕の発案ではなく、お客さんから「お客さんに座ってもらって磨いたほうがカッコいいじゃん」と言われてやり始めたんです。このスタイルだとスーツも着られますし、所作も綺麗にできますし、何より靴磨き自体も完璧な技術を提供できるんです。立って靴を磨くことで一石三丁以上ありますね。
――立って磨くスタイルは海外にもあるんですか?
長谷川 ほぼないですね。今は日本が靴磨き先進国なので、世界が日本を参考にしているんです。去年、ロシアで靴磨きの大会があって、その審査員に呼ばれたんです。それで会場に入ったら、自分で言うのもなんですが「長谷川が来た」みたいな感じでどよめきがあったんです。みんなから握手を求められたり、写真を撮られたりして、有名人の気分を味わいました(笑)。YouTubeなどで僕の靴磨き動画を世界中の人が見て、知ってくれているんですよね。
玉袋 靴磨き職人の男女比率はどうなんですか?
長谷川 圧倒的に男性が多いです。ちょこちょこ最近は女性も増えていますけどね。靴好きの女性はたくさんいますけど、男性のほうがマニアックに好きになる傾向があるんです。女性は常に新しい靴を欲しがる方が多いですけど、男性の場合は数を持つというよりは、長くエイジングしながら育てて愛着のある一足を作るというのがあるので、靴磨きと相性がいいんですよね。
玉袋 社長はお店だけじゃなく出張もやってるんですよね?
長谷川 ちょこちょこです。お店をやる前からのお客さんが多いですけどね。お店を持ってない時代に、バイクでお客さんの家に行って磨いていたんですよ。お店を始めてからも、ずっとお付き合いさせてもらっています。年に1、2回お伺いして、家の靴を全部磨いていくんです。
玉袋 そういう専門のプロが一人いたらさ、お客側としてもうれしいんだよね。
長谷川 安心ではありますよね。
玉袋 社長は靴のクリームも開発したんでしょう?
長谷川 靴磨きをやり込んでいくと、理想形のクリームが出てくるんです。かといって靴クリームの会社に注文しても、似たようなものしかできてこないので、あえて化粧品会社に発注しました。
玉袋 えー!
長谷川 普段はオーガニック化粧品を作っている会社にお願いしているんですけど、全く違うアプローチで作ってくれるんです。商品化までに3年ぐらいかかっちゃったんですけど、良いものができました。これは靴クリーム独特の匂いが一切しないんですよ。
玉袋 本当だ! グローブみたいな匂いがしないね(笑)。
長谷川 この靴クリームからオリジナル商品がスタートしまして、日本で一番古いワックス工場が浅草にあるんですけど、そこにお願いしているワックスもありますし、鏡面磨き布は大阪の染め物工場に作ってもらっています。靴磨き職人目線で、その商品に合った会社に道具を作ってもらっているんですよね。僕らは靴を光らせてナンボみたいな商売なので、究極の光を作るためのハイスペックグッズです。
――クリームには、いろんなカラーがあるんですね。
長谷川 色はベースだけ作ってもらって、全て僕が調合しているんです。その粉を混ぜて、シェイクして、それをスタッフが瓶詰めしています。そこはハンドメイドですね。
玉袋 スエードの靴はどうするんですか?
長谷川 まず金ブラシで綺麗にするんですけど、この金ブラシも日本橋にある創業300年ぐらいのブラシ屋さんに作ってもらっています。
玉袋 いちいち逸品ってのがいいね。
長谷川 金ブラシとは思えないほどの柔らかさで全然痛くないんです。
玉袋 おーーーーー! すごい。
長谷川 これを使うと細かく毛が取れるので、スエードも綺麗になるんですよね。
玉袋 こういう道具を見るだけで惚れ惚れしちゃうんだよな。
――この道具はプロ仕様ではないんですか?
長谷川 本当に良い道具は簡単に綺麗にできるので、一般のお客さんにもお勧めです。
玉袋 対象物を愛しているからこそ道具にもこだわったりする訳じゃないですか。そこが素敵なんだね。
日本の靴磨きは世界最高レベル
玉袋 今、社長の下に従業員は何人いるんですか?
長谷川 10人です。事務スタッフが1人と9人が職人です。独立したスタッフも何人かいて、僕としても応援していますし、もっと増やしていきたいですね。
玉袋 お客さんも靴がピカピカになると喜ぶし、磨いている側もそれを見てうれしくなるし、お互いに気持ち良いよね。それに気付いた若者が、この業界に入ってきて、ますます日本の靴磨き業界のレベルを上げると思うんだよな。
――日本の靴磨きのレベルはどんな感じなんですか?
長谷川 トップだと思います。まず日本は靴作りのレベルが高いんですよ。イタリアやイギリスなど靴作りに定評のある国の老舗でも、現場のトップって日本人が多いんです。その人たちが日本に帰ってきて、オーダーメイドの靴屋をやっているんです。たとえばロンドンにはオーダーメイド靴屋って5軒ぐらいしかないんですけど、東京には50軒以上ありますからね。そのぐらい日本は靴のレベルが高いんです。それもあって靴の修理も日本が世界一ですし、東京は目の肥えたお客さんが特に多いので、僕ら靴磨き職人のレベルも上がりやすい土壌ができているんです。それぐらい日本人は靴にこだわりが強くて目利きで探求心があるんです。
玉袋 ワクワクしちゃう話だね。
――2017年、社長が世界チャンピオンに輝いた「ワールドチャンピオンシップ」はどんな大会なんですか?
長谷川 世界中から選ばれた3選手に同じ靴と道具が配られて、唯一持っていっていいのは布だけなんです。それで20分の制限時間で、誰が一番美しく光らせられたか、全体的な光沢のバランス、所作などの合計点で評価が決まるんです。
――世界中から熟練した職人が集まっていると、素人目じゃ差は分からないですか?
長谷川 日本人が上手すぎるので、正直、海外の人はたいしたことがないんです。なので歴然と差が出ますね。ただ、ワールドチャンピオンシップの決勝はロンドンで行われるんですけど、決勝までは書類審査なんですよ。そこが僕はちょっとアンフェアだなと感じたので、三越伊勢丹さんと一緒に靴磨き大会をやっているんです。
玉袋 日本が靴磨き大国だってことを、どんどん世界に発信してほしいね。
長谷川 仰る通り目を向けているのは世界ですね。ただ日本も都市部以外では同じ状況なんですけど、海外で靴磨き専門店が成り立つかは難しいところなんです。たとえばフランスだと、靴を染め変えて違うものにする職人の地位が高かったりするんです。「パティーヌ」と言うんですけど、それが職業として成り立っているので、国によって靴磨きのイメージも違うんですよね。
――どうして日本の靴磨き職人のレベルは高いと分析しますか?
長谷川 ヨーロッパの職人に顕著なんですけど、スタイルを変えないんですよ。このやり方でやると決めたら、前の大会で負けているのに、次の大会でも同じスタイルで来るんです。プライドがあるのかもしれませんね。日本人は「この布に変えてみよう」とか柔軟にスタイルを変えますからね。
玉袋 お子さんが3人いるそうですが、靴磨き職人のパパをどう見ていますか?
長谷川 「パパは世界一」って言いふらしているそうなので喜んでいるんじゃないですかね。真ん中が女の子なんですけど、「私も将来、靴磨き職人になる」って言ってるんです。内心、うれしいんですけど、普通を装っています(笑)。
玉袋 まだまだ女性は少ない業界かもしれないけど、お嬢さんのような靴磨き職人になりたい女性が増えると、女性ならではの繊細なスタイルが出る可能性もあるかもね。一度でいいから靴を磨いてみたい人はいますか?
長谷川 チャールズ皇太子の靴は磨いてみたいですね。伝統的なファッションのシンボル的な方ですし、同じ靴を何十年も履いているそうなので、どんな靴なのかも見てみたいです。
――いい革靴に寿命はないんですか?
長谷川 パーツが交換できるように作ってありますし、ちゃんと履いて、手入れをしていれば捨て時はないと思いますね。
――今後の展望を聞かせてください。
長谷川 靴磨き職人の地位を高めて、もっと認知されて、「靴磨きっていいね」と思ってもらえれば、靴を大事にする人も増えると思うんですよね。そうやって足元文化を作っていきたいですし、子どもたちにも靴磨きを伝えていきたいです。
玉袋 たとえば学校を回って、靴磨きを教えてさ、それでお父さんの靴を磨いてみようなんてなったらいいね。俺も子どものときはオヤジの靴を磨かされたことがあるもん。師匠の靴も磨いたことがあるけどさ、間違えたクリームを塗って台無しにして、すごく怒られたことがあるよ(笑)。それも良い思い出からさ。親子の絆もピカピカになるよ。
長谷川 今、三越伊勢丹さんと協力して企画しているのが、アンダー18歳の靴磨き大会なんです。これが開催できれば、子どもたちも靴磨きを練習して、親も応援するじゃないですか。競技にすると違う層が興味を持ってくれるので、いろんな形で靴磨きを流行らせていきたいですね。
玉袋 大会で子どもが靴磨きをしている姿を見たら、感動して親は泣くよ。絶対に実現してくださいよ!
玉ちゃんが世界最高の靴磨きを体験
Brift H
長谷川裕也
1984年生まれ。千葉県出身。製鉄所、英会話教材の営業マンを経て、2004年から路上で靴磨きを始める。2008年6月16日、「日本の足元に革命を」をモットーに東京・南青山の骨董通りに「Brift H(ブリフトアッシュ)」を開店。世界で初めてカウンタースタイルを導入、お客様の目の前で靴磨きをする靴磨き店として日本のみならず世界から注目を集める。2017年、靴磨き世界大会「ワールドチャンピオンシップ」で世界チャンピオンに輝く。
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )
<出演・連載>
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