「足立 紳 後ろ向きで進む」第51回
結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
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6月1日(土)
台風が過ぎ去り、快晴。昨日の大雨がウソのよう。昨日の体育祭が週明けの月曜に延期になり、その場合だと出られない娘が恨み節を言っている。
娘は今日からリスボンに行くのだ。子ども映画教室というのに参加していて、その発表会的なものがリスボンであり、各国の子どもたちが作った映画をみんなで観るらしい。羨ましい。
準備が下手な娘と妻が大ゲンカしながら出発前にまだ支度をしている。
妻「○○は入れた?」
娘「知らない」
妻「あんたの荷造りでしょ」
娘は「知らない」と言ってスマホから目を離さない。なかなかに緊張感のあるやり取りをしている。こういった場合、妻の怒りの矛先が娘と同じように準備が苦手な私に向いてくる可能性があるのでさっさと退散したいが、退散したらしたで「逃げやがって」とやっぱり矛先は向いてくるので、隣の部屋で「どうしようか、どうしようか……」とずっと考えているという究極に無駄な時間を過ごす。
夕方になり、妻と息子とともに日暮里まで娘を送る。電車に乗ってから枕を忘れたと娘が言い出す。なんでもその枕じゃないと眠れないらしい。妻と娘がまた一触即発となりかけ、私と息子は少し離れた。
スカイライナーに乗る娘を見届け、帰りに閉店間際の半額を狙って池袋西武で大量の刺身とお寿司を買って帰宅して食って寝た。
6月2日(日)
朝から雨。姉がいないので息子が普段は貸してもらえない姉のマンガをのびのびと読み散らかしている。片づけとけよと言っても息子も私と同じようにそれはできず、整頓好きの妻の機嫌が悪くなる。片づけながら溜まった自分の仕事と私が手伝ってと振った仕事もしているのでさらに機嫌が悪くなる。どうにか妻も散らかった部屋で平気な人間に変わってくれないだろうか……。そうすれば我が家は誰もギスギスしていない平和なゴミ屋敷になるのだが……。
※妻より
こんなに物が多くて汚い家を「心地よい」とは考えることができません。お互いの折り合いがつかなくて未だに苦戦しています。『春よ来い、マジで来い』のゴミ屋敷だけにはしたくないです。
16時ごろ、周南「絆」映画祭実行委員長の大橋広宣さん&妙子さんご夫妻が来て(妻が一生懸命片づけていたのは、来客もあったからかと大橋さんたちがいらっしゃる直前で気づいた)、家で宴会。途中、ちょうど上京されていた別府ブルーバード劇場の森田真帆さんも来て、宴会はさらに盛り上がる。皆さん自他ともに認める特性持ちなので話はあっちこっちに行きつつ、めちゃくちゃ楽しかった。息子も特性集団の中が居心地よかったのか珍しく一緒に居間で話を聞いていた。
6月3日(月)
キネマ旬報のKさんと恵比寿でお茶。Kさんにはめちゃくちゃお世話になり、私のキネ旬案件はすべてKさんが企んでくださったものだ。『春よ来い、マジで来い』の連載からその書籍化、関わった映画もすべて取材してくださった。感謝してもしきれない。新天地でもどうかその編集魂をさらに開花させつつ、私を贔屓の引き倒しくらいに扱っていただけたら幸いだ。
Kさんと別れたあと、初めてお目にかかる脚本家の方と打ち合わせ。まだ新人だが、彼女の書いたドラマがとてもよかったので、脚本を書いていただけないかとお願いしに伺ったのだ。書いてくださるとのことでまずはホッとした。その後、『ありふれた教室』(監督:イルカー・チャタク)を観て帰宅。
6月4日(火)
午前中仕事。12時にNHKに行き、NHKラジオ『まんまる』に出演。鳥取で映画を作りたいことやら鳥取県のことなどを話す。
6月5日(水)
午前中、吉祥寺の映画館で『わたくしどもは』(監督:富名哲也)鑑賞。
観終わったあとネットで見つけたデカ盛りの寿司屋へ。不愛想な老人が2人でやっているちょっと変わったお店。寿司はマジに握りこぶしくらいにデカくて、下手したら2貫で満腹。それが10貫くらいあり大きな巻物もある(写真撮影厳禁なので、掲載できなくて残念です)。味はめちゃくちゃうまい。だが、あまりのデカさに大食いでならす私ですら胸やけ。寿司で胸やけなんて初めてだ。
その後、星のホールにて小松台東の舞台『デンギョー!』を鑑賞。
6月6日(木)
午後からハゲ病院。なんだか効果が止まっている気がする……。
夕方から現在編集中の映画の編集を担当してくれている平野さん、『ちゃわんやの話』(監督:松倉大夏)の松倉監督、俳優の松木さんと我が家で打ち合わせと称して飲んだ。
6月7日(金)
午前中仕事。午後、ポレポレ東中野にて『生きて、生きて、生きろ』(監督:島田陽磨)のトークイベント。島田監督、編集の前嶌氏と。前嶌は映画学校の同期でもある。その後、観に来てくれていた同じく同期の福島と3人で飲みに行った。同期と飲むのは楽しい。
6月8日(土)
妻、娘の高校のPTA会合。私はリスボンから帰って来る娘を迎えに成田まで。どこかの国の中学生くらいの男の子が作った映画がすごく面白かったと言っていた。なんでもたった1人で作ったらしい。その話をもっと聞きたかったが、イケメンのフランス人だかイギリス人の男の子とインスタを交換したとかいう話を興奮しながらずっとしていた。
6月9日(日)
『あんのこと』(監督:入江悠)、『胸騒ぎ』(監督:クリスチャン・タフドルップ)を観てから下北沢で『距ててて』(監督:加藤紗希)トークイベントに呼んでいただいたので向かう。
監督と主演を兼ねている加藤紗希さんは5月に大分県で撮影していた映画にも出演してもらい、そのご縁で呼んでいただいた。その映画のキャストスタッフも多く来てくれてうれしかった。
6月10日(月)
今日は私の誕生日だ。妻と『悪は存在しない』(監督:濱口竜介)、『チャレンジャーズ』(監督:ルカ・グァダニーノ)の2本立て。
夕方ダッシュで帰宅して息子の特別支援学級の面談。
ケ-キかプレゼントがいつ出てくるのかなと期待していたら出てこないまま夜になってしまったので、「ケーキかプレゼントない?」と聞いたら「ない」とのこと。
※妻より
家族全員から心のこもった誕生日カードを贈ったでしょ……娘息子にそれを書かせるのはとても大変だったのに……と思いますが、彼は“貰ったことへの感謝よりも、ない物への愚痴”の思考回路なので仕方ないですね……。
6月13日(木)
本日から上海に行く。上海国際映画祭でアジア新人部門の審査員をすることになったからだ。
正直、この話をいただいた時はびびった。映画祭の審査員なんて自主映画のものを一度やったことがあるだけだ。その時ですら大変だったのに、国際映画祭での審査員など務まるはずがないと思った。そもそも国際的な評価は皆無の私だ。だが、妻が「多分、この先の人生でこういうことは永遠にないからやれ」と言うのでやることにした。
私は英語が話せないし読めない。ついでに書けもしない。だから当然英語字幕は読めないが、同時通訳がつくという。そんな環境で映画を観ることもなかなかない体験だろうと、前向きに考えて引き受けることにしたのだ。
朝6時、まだ寝ている娘と息子に「行ってくるから、とりあえず今日は学校行きなさい」と言って家を出る。成田で妻が酒をガブガブ飲み、飛行機に乗り込んだ。人生初のビジネスクラスはとても快適で、これなら15時間でも乗っていたいと思ったが上海は近い。残念ながら3時間ほどで到着。通訳のクマさんと映画祭ボランティアの大学院生・キコさんが迎えに来てくれた。
ホテルに着くと、スターが同じ時間に着くのかと思うほど大勢の人が玄関前にいた。車から降りたらなんとその方々は私の出迎えだった。妻は大きな花束をいただく。スターでなくとも、ゲストは皆さんこうやって出迎えているとのこと。一瞬でもスター気分を味わった私はすっかり舞い上がって気をよくしてしまった。
部屋はスイートルームだった。新婚旅行は伊豆の民宿だったので、妻に少し恩返しができたかなと思った。ただ、明日からのスケジュールを聞くと、眩暈がしそうであり、またプレッシャーも襲ってきた。なので、美味いものでも食いに行こうとザリガニを食べに行く。他にもいろいろ食ったがどれも美味しかった。
夜、審査員の方々が集まって打ち合わせ。すでに私は緊張している。審査員という存在がいかにリスペクトをもって迎えられるのか、今日だけで十分すぎるくらいわかった。
審査員は中国の方が4人とメキシコの方が1人と私だ。1本観終わったら少しの時間でもディスカッションしましょうと審査員長の方がおっしゃった。
打ち合わせ後、まだ始まってもいないのにプレッシャーからくる疲れと、セレブな気持ちを少しでも味わっておこうと妻とホテルのマッサージに行って、死ぬほど癒される。
6月14日(金)
朝、審査員用の写真撮影。いろんなポーズをして写真を撮っていただき、まるでモデルにでもなったような感じで死ぬほど恥ずかしかった。
今日からノミネートされた作品を観ていく。東京国際映画祭では審査員たちがP&Aという上映でマスコミやら関係者やらと観たりしていることが多い印象だったが、上海国際映画祭は審査員だけでシアターを借し切って観る。大勢の人と観たいなあと思ったが仕方ない。むしろこういう形のほうが多いようだ。
今日は2本。イランとインドの映画を観た。試写室に籠って、こんなに真剣に映画を観たのはいつ以来かと思うほど、ちゃんと観た。いや、ちゃんと観ようと全身全霊で頑張った。
2本観て、審査員の皆さんと軽くディスカッションをして疲労困憊でいるところに妻のスマホに日本のママ友からLINE。息子が学校帰宅途中でケンカをした模様。妻がすぐ電話して確認すると、ママ友は細かく状況を教えてくれた(息子は電話を持っていないので連絡手段がなかった)。
疲れが新たな疲れで吹き飛ぶというのか、とにかくこういう時に息子のそばに居てやれないことで、不安で頭がいっぱいになる。私はマンガ『お父さんは心配性』ばりに不安症なのかもしれない。日本に帰るのは23日だが、今日は私の長野在住の友人Mが家に泊まることになっているので、彼に電話すると、息子は学校から帰って来るなり友人にケンカの経緯を話したようだ。だが、その内容を「父ちゃんと母ちゃんには絶対に言わないでくれ」と言ったそうで、その後に迎えに来た祖父とともに祖父母の家に行ったとのこと。
友人は「すまんが約束してしまったから言えない」とのこと。私は息子が私の友人に、いろいろと吐き出せたことと、その内容を友人が約束だからと私に言わなかったことの2つをうれしく思った。親よりも赤の他人のほうが負の気持ちを吐き出せることもあるだろう。夜、祖母に電話して息子と話す。少し落ち着いた様子だったので安心する。
その後、映画祭プログラマーの徐さんと中国のプロデューサーのグーさん(なんと日本映画学校の同期だった。内田けんじ監督の『鍵泥棒のメソッド』をリメイクされた方)と、東京国際映画祭の安藤チェアマン、プログラマーの市山さん、小西さんと食事。妻が50度のなんとかという酒をうまそうにガブガブ飲んでいた。
6月15日(土)
朝、オープニングセレモニーのリハーサル。午後、ノミネートされた映画を今日は1本だけ観る。日本映画だったのでリラックスして観ることができた。
夕方からレッドカーペットを審査員の皆さんと歩く。舞台袖には通訳も入れないとのことで、そこにいた日本人は私と役所広司さんのみという状況。役所広司さんはいろんな人に囲まれていらした。挨拶に伺うべきなのだろうが、当然向こうは私のことなど知るはずがない。それでも伺うべきと逡巡していると、なんと役所さんがつかつかとこちらに歩いて来て、「頑張って」と声をかけてくださった。自分からご挨拶にいけなかった私は死ぬほど恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちだった。
このことを妻に話したら「あんたには心底がっかりだわ……」と言われてしまった。自分が自分にがっかりしているのだから励ましてほしかったが、そんな甘えが通用する人ではなかった。
レッドカーペット、オープンニングセレモニー終了後の夜の10時くらいから中国フランスフィルムナイトというパーティーに出て、とにかく食べることだけに専念していた。妻は高そうなワインをここぞとばかりにガブ飲みしていた。深夜の2時くらいにホテルに戻り気絶した。
6月16日(日)
午前中、審査員の記者会見に出席。脚本についての質問を受け、私の答えをボランティアスタッフのキコさんが「クールだったわ」と褒めてくれてうれしかった。ボランティアスタッフがこうしたことをゲストに言う距離感が素敵だ。
午後から中国映画を2本観る。その後ディスカッション。いつの間にか妻が他の審査員の方々ととても仲良しになっている。妻は少しばかり英語が話せるし、コミュニケーション能力が高いから自分からどんどん話しかける。そりゃ仲良しにもなるだろう。私は「なんだこれ?」と思いながら指をくわえてそんな様子を見ていた。
夕方、子どもたちとテレビ電話をする。娘はいたって元気。息子もあえてケンカの話には触れずにたが、元気そうであった。息子にはその後、喧嘩した友達のママとのやり取りを話し、向こうの子も謝っていると説明する。明日は学校を休まないとのこと。こうして話すと、連れてくればよかったと心底思うが、今回は遊んでいる暇がないのでいたしかたない。
取材を1本受けたのち、20時半から『百円の恋』を観客と一緒に鑑賞。中国リメイク版が大ヒットしたからというのもあるだろうが1000人の会場が満席。上映中もお客さんは大笑いしたり身を乗り出して観ていたりとかなりの熱気であった。上映後のQ&Aもたくさん質問が出たうえに、終了後にはステージに観客の一部が駆け上がって来てサイン攻めにあい、私を誰かと間違えているのではないかと思ったくらいだが、正直気分がとてもよかった……。
6月17日(月)
朝から中国映画を3本観る。3本観ると、終わったころには夕方になっていた。
夜、メインコンペの審査員の方々も会して審査員と映画祭のスタッフたちとのパーティーに行く途中、エレベーターで審査委員長のトラン・アン・ユン監督と妻と3人きりになってしまった。「アイ・ラブ・『ブルーパパイヤ』」とだけお伝えすすると、にっこりとほほ笑んで握手してくださった。
慣れぬパーティーが続き、私は疲労困憊していたが、妻はワインをおかわりしまくって楽しそうだ。
部屋に戻って「あー、俺、英語の勉強をまた始めるよ」と妻につぶやいたら(以前、フィリピン人のお姉さんに家庭教師に来てもらっていたのだが、半年ほど習ったところでコロナでなんとなく終了となってしまったのだ)、「お前は絶対やらねえよ。英語だけじゃねえ。お前は今まで言ったことを何ひとつやってない。吐いたツバ飲みまくり。お前が口だけ野郎ってことはよく知ってる」とベロンベロンに酔っぱらっている妻が言い出した。
カチンときた私は「娘の弁当も作っているし、何もやってないわけないだろ!」と言い返す。「出た。二言目には娘の弁当作ってる。お前、それしか言えないのかよ、ニワトリ野郎が」と返って来た。
そんなあまりにもくだらないことから、チョー大ゲンカに発展。酔っ払い相手にケンカしてもしょうがないのだが、ムカついてムカついて「わかった。じゃあもうコンビ解消だな。解散でいいんだな」と言うと、「心はとっくに解散してんだよ、バカヤロウ。会社も解散させるから、金のかからない解散の仕方調べやがれ!」と妻がのたまう。
「わかったよ! 調べてやるよ! 後悔すんじゃねえぞ!」と怒鳴って私はスマホで「会社の解散のさせかた 倒産のさせかた」などと検索しまくって、妻に「調べたぞ! 見ろよ! 早く読めよ!」とスマホを突き出すと、妻はベッドで爆睡していた。私は怒りの持って行き場が見当たらず叫んだが、どうしても腹立ちはおさまらず、妻が買いこんでいた酒を風呂にドバドバと流して復讐したつもりになったが、ただただ虚しいだけだった。明日も3本映画を観なければいけないのに何をしているのだろうか……。
※妻より
酔ったから言ったとかではないです。足立は私が怒ると、「酔ってるから」とか「生理だから」で片づけようとしますが、そういうことではなく、ただただ、ため込んでいたものが爆発するだけです(酒癖が悪いのは認めますが)。
夫が頑張っているのはわかるのですが、彼はひたすらにプレッシャーに弱く、口から出るのは弱気な言葉や後ろ向きな言葉(日記のタイトル通り!)、他人への甘えばかりなので聞いていられず怒りがわいてきてしまいます。
それに夫が口だけなのは確かで、有言不実行を絵に描いたようなところがあります。自主映画を撮る、家族のドキュメンタリーを撮る、ノンフィクションを書く、社会を知りたいからバイトを始める、2階にいる難民仮申請中のSさんのドキュメンタリーを撮る、偉そうなことは言うがすべてが「まあ、いつかそのうちね」という感じで何も行動に移さない姿を何十年も見続けていると(なんなら私にやってくれと振ってきます)、夫の「何かやる」という言葉がすごくカチンときてしまいます。そこにネガティブで後ろ向きな姿も重なって爆発してしまったのです。
6月18日(火)
朝、6時前には目覚める。怒りでほとんど眠れなかった。頭をすっきりさせるためにホテルのジムに行きサウナに入る。部屋に戻ると妻はいなかった。着替えて朝食を食べに行くと、妻が1人で食べていた。しょうがないので妻の向かいに座ると、妻は黙って食べている。互いに黙って朝食を食べた。
その後、インド、中国映画を3本観る。これですべてのノミネート作品を観終わった。身体の芯から疲れたが、得難い体験だった。夕方、子どもたちとテレビ電話。2人とも元気だ。
20時から審査委員会。受賞作を侃侃諤諤と話し合いながら決めていく。決められる側からすると、今後の人生に大きな励みになったりするから簡単には決められない。ピリピリとした空気も流れたりしたが、23時くらいにはなんとか決まった。部屋に戻ると妻はボランティアのキコさんと明日観光できる場所のリサーチ、車の手配などのやり取りをしていた。
受賞作に対するコメントをすぐに書いてほしいとのことで、私はそれから1時間くらいかけてコメントを書いて、先ほど会議をしていた部屋に持って行くと、映画祭のスタッフたちはまだ作業をしていた。規模の大小にかかわらずこうしたスタッフの方々のおかげで我々ゲストは楽しい時間を過ごせているのだと謙虚に謙虚に思った。
6月19日(水)
映画もすべて観終わり、この日は昼まで何もないので、うやむやのうちに妻と表面上の仲直りをして午前中はホテルの近くでマッサージを受けた。初めて中年男性に足の爪のケアをしてもらう。すこぶる気持ちがよい。午後から、中国の様々な媒体の方に取材していただき、自分の無知を曝け出す。
夕方近くにすべての取材が終わったので車を手配していただき、南京歩人街に降りて、上海に新しくできたという写真美術館フォトグラフィスカに向かう。私は極度の方向音痴なのだが、一昨日の夜、「お前は何もしない、口だけ野郎」と妻から言われたのがとてもとても癪だったので、俺がルートを調べるから何もしなくていいよと言って、グーグルマップで調べたところ、徒歩86分と出る。一瞬迷ったが、上海の街をブラブラ歩くのもよかろうと妻に「86分だけど散歩がてら歩かない?」と聞くと「いいよ」とのことで歩き出す。
途中シトシトと雨も降ってきたが、まあそれなりな会話をしつつ2時間半後、目的地に到着とスマホに出る。が、どう見ても目的地ではない。周囲の方に尋ねても要領を得ないが間違えた場所に到着していることは確実で、妻が通訳のクマさんに電話してやはり自分たちがまったく違う場所にいることがわかる。そして今いる場所がうまく伝わらず次第にイライラの矛先が私にくる。お迎えの車がフォトグラフィスカで待機中とのこと。一体我々がどこにいるのかもわからないので、お迎えの指示もできない。
18時から徐さん、グ-さんと食事の約束をしていたのに、タクシーも捕まらず今いる場所もどこだか全然わからず、とりあえず徐さんやクマさんにGoogle mapの位置情報と写真を送りまくって、今いる場所を当ててもらい、車の手配をしてもらうと私は耐えに耐えていたうんこをしに近くの建物に飛び込みトイレを借りた。
トイレから戻るとタクシーが到着しており乗り込むとドッと疲れが出たが、徐さんとグーさんに連れて行ってもらった『茂隆餐庁』が最高に美味しく疲れは吹っ飛んだ。
6月20日(木)
最終日。この日は夜のアジア新人部門の授賞式までオフだ。娘や息子の土産を買いにまた南京歩行路を散策。そして買い食い。
16時にホテルに戻り、取材を受けてから授賞式。
アジア新人部門というのは、自身の作品が2本までの監督の作品がノミネートされており、日本からはかつて小林聖太郎監督の『毎日かあさん』が作品賞を受賞していたり、安藤桃子監督や斎藤工監督が監督賞を受賞したりしている。
各作品の監督やプロデューサー、出演者が作品ごとのテーブルについており、私と妻も審査員のテーブルに座る。私は脚本賞のプレゼンターを中国の作家・朱文さんとすることになっており、何度も原稿を読み直しつつ、すでに受賞作を知っているので、テーブルで発表を待っている作り手の方々を複雑な思いで見つめていた。
自分もそうだが、賞をもらうということはとても励みになるし次につながる。何百本の応募作の中から11本しかノミネートされないので、ノミネートだけでもすごいのだが、ノミネートされたからには賞は欲しい。
名前を呼ばれ、歓喜の声をあげる受賞者の方々を見ていると、涙腺がゆるゆるになってしまうと同時に、私自身もこの舞台に立ちたいなあと心底思った。
授賞式後、映画祭スタッフやボランティアの人たちと労をねぎらいあった。妻は多くのボランティアの方々と一緒に写真を撮っていた。
6月21日(金)
映画祭は23日のコンペティションの発表まで続くが、残念ながら私と妻は今日で上海を離れる。
朝6時にホテルのロビーで通訳のクマさん、ボランティアのキコさんと待ち合わせたが2人とも来ない。おそらく疲れに疲れ切って寝坊しているものと思い、映画祭のスタッフの方に車を手配してもらい空港に向かう。空港でキコさんから電話がある。やはり寝坊してしまったとのこと。我々の何倍も疲れているだろうから当然だ。ほんとはクマさんとキコさんに最後に会いたかったが、また会えるように頑張って作品を作ろうと思った。
しかし、審査員なんてできるのだろうかと半信半疑で上海まで来たが、終わってみるとあっという間だし、とても楽しかったし、素晴らしい体験をさせていただいた。声をかけてくださった徐さんや関係者の皆さまには感謝しかない。ついてきてくれた妻にもだ。皆さんありがとうございました。
※妻より
あーあざとい……。対面では言わないくせに人目に触れるところでは書くんですよ、彼は……。
15時ごろ自宅到着。久しぶりに会う息子が学校から戻っておりニヤニヤしていた。たくさんのお土産を買ったが、銃のお土産がいちばん喜んでいたと思われる。
夜、娘がバイトから帰って来る。人形のお土産を気に入っていた。
妻も私も疲れていてすぐに爆睡。明日は私が息子の中学体験の付き添いだ。帰って来た翌日に入れるんじゃなかったと思ったが、その機会しかなかったので仕方がない。
6月22日(土)
息子と中学体験。息子が通う塾にいる場面緘黙の先輩が通っていることや、勉強が苦手という子が多く通っているイメージの中学だったのだが、個人面談で息子の特性を話すと「ウチでは厳しいかもしれない」と言われ、がっかりして帰った。ただでさえ映画祭の疲れがあるのに、疲れが倍増した感じだ。
6月25日(火)
大阪へ行き、「ブギウギ」に出演してくださったメッセンジャー黒田さんとトークイベント。黒田さんにほぼほぼしゃべっていただきなんとか乗り切る。その後、見に来てくださった「ブギウギ」の福井チーフディレクターと福岡プロデューサーも含めて4人で美味しいお好み焼きを食いに行った。
6月26日(水)
大阪から戻り、モダンスイマーズの舞台『雨とベンツと国道と私』を観に行く。そのままユーロスペースで二ノ宮隆太郎監督『若武者』を観て、二ノ宮監督とトーク。トーク後、来てくださったお客さんも含めて飲みに行く。
6月27日(木)
秋に撮影予定のドラマの俳優さんとお会いする。ファンなので緊張した。情報解禁はまだまだ先だがお楽しみにお待ちいただけたら幸いです。その後、紀伊国屋ホールにて劇団ラッパ屋『七人の墓友』鑑賞。
6月28日(金)
11時から下北沢で打ち合わせ。これは実現したら私的にはかなり驚きの企画だ。まさかこれを映像化したいという人が現れるとは思わなかった。企画が成立したわけではないが、楽しみにお待ちいただけたら幸いです。その後、本多劇場にてナイロン100℃『江戸時代の思い出』鑑賞。
6月29日(土)
午前中、息子と『マッドマックス フュリオサ』(監督:ジョージ・ミラー)鑑賞。2度目だが、毎度のこと2度目のほうが面白い。息子は150点とのこと。
【妻の1枚】
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【プロフィール】
足立 紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。