第1回 「もの」語りをはじめよう
実家にはだいたい、芥川賞と直木賞受賞作品があった。父が気づくと買ってくるからだ。父が読書家だったというわけではない。とにかくミーハーだった。
「今回の芥川賞と直木賞はこれだ!」そう言って、テーブルの上にトンと二冊置かれる。妹と僕は「ああ……」ぐらいのリアクション。母は「もういいわよ」くらいの反応だが、父だけは毎回、「これがいま一番すばらしいものだからな」と一言付け加えた。
出版社が号泣して喜ぶほどの賞至上主義者。もちろん買ってきた二冊を読んでいる姿は見たことがない。「買って満足、次またよろしく」なのだ。賞はこういう人のためにあるのか(違います)と、幼いころ僕はこの世界の仕組みを父から教えてもらった。
母も負けじとミーハーだった。小学校のときの修学旅行前日。カッコいいTシャツを着てきたい、という漠然とした願いを母に告げる。
母は、「いまから横浜の高島屋に行くから、カッコいいTシャツ買ってきてあげるわ」と言った。いまなら、「せめて一緒に買いに行け!」と助言するところだが、いまよりもさらに数十倍ぼんやり生きていたので、「黒色のカッコいいTシャツにして!」と、色指定までして母を送り出した。
ほどなくして母が帰ってきて、「はい、カッコいい黒のTシャツ」と渡されたのは、もちろんカッコ悪い黒のTシャツだった。胸元には外国車の刺繍のワンポイント。ワナワナと怒りに震えながら、「お母さん、ダサいよ! 車の刺繍がとってもダサいよ!」と抗議した。
そのときすでに、外は真っ暗で、明日は修学旅行当日。万事休す。ダサTシャツを手に持ったまま、膝から崩れ落ちた僕は、「こんなの着て行かれないよっ!」と母に向かって泣きながら抗議する。
すると母は、「アンタね。その胸元の車、ベンツよ。高級車よ!」と顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。「知るかっ!」瞬時にそう返していた。
母はとにかく流行りに流される人だった。「これ、吉永小百合が愛用してるらしいわ」という謎情報を謎にゲットして、謎なのに値段の高いブランドのポーチを身につけたりしていた。
そんなミーハー極まる両親に育てられた僕もまた、ミーハー極まる大人になった。いや、先月くらいまではなっていた。この連載を始めるにあたって、仕事部屋をよくよく見渡してみたら、さして思い入れのないものに囲まれて自分が日々生きていることに気づいてゾッとした。両親の血をしっかりひいていた。
たとえば、机の上。なんとなく雰囲気で買ってしまった太陽の塔フィギュアが、こちらをガン見している。その横にはスパイダーマンのミニフィギュア。節操がない。冷蔵庫の中には、Amazonで箱で買ったエビアンが所狭しと収納されている。別にエビアンじゃなくてもいいが、エビアンだと落ち着く自分が哀しい。
某量販店で買った間接照明は、とあるブランドの人気のデザインにそっくりだ。というか、そっくりだから買ったのだが、そのデザインを好きだったのか、インテリア雑誌によく載ってたから好きになったのか、もう自分でもわからない。まだ読んでない小説と雑誌もうず高く部屋のあちこちに積まれている。
本の山の一番上には、洋書や海外の写真集。とあるバイヤーが「最近は写真集を集めてます」と言って紹介していたものをそのまま購入した。まったく父の芥川賞、直木賞のことを言えない。
「もの」についての物語の連載をはじめるにあたって、まずは身の回りの「もの」を吟味することからはじめようと思う。連載が進む中で、思い入れのあるものだけに囲まれる生活になることを祈っている。いや、そうしよう。だってもう五十を越えてしまったのだから。
イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生