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2018/6/2 22:00

吊り革にコロッケ!? 愛すべき「おもしろローカル線」の旅【関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線】

おもしろローカル線の旅~~関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線~~

 

全国を走るローカル線のなかには、沿線に住む人以外に、ほとんど知られていない路線も多い。そうした路線に乗ってみたら、予想外に面白い発見がある。そんな「おもしろローカル線」を旅する企画、今回は北関東を走る2つの路線を訪れた。まずは茨城県龍ケ崎市内を走る関東鉄道竜ケ崎線から紹介しよう。

 

〈1〉関東鉄道竜ケ崎線(茨城県)の旅

路線距離わずか4.5km!! 街は「龍」ケ崎市、路線は「竜」ケ崎線という不思議

関東鉄道竜ケ崎線は、その距離わずか4.5kmという短い路線だ。関東鉄道といえば、取手駅〜下館駅を結ぶ常総線がよく知られている。あちらは51.1kmの路線距離があり、最近は、都心へのアクセスに優れたつくばエクスプレスが、途中の守谷駅を通ることから、沿線の住宅化が著しい。

 

一方の竜ケ崎線は、始点となる駅が、JR常磐線の佐貫駅。常総線の始発駅・取手駅とはずいぶん離れている。路線距離は短く、駅数が始点・終点あわせても3駅のみである。どうして離れたこの場所に、このような短い路線が走っているのだろう。

↑路線は常磐線の佐貫駅からほぼ一直線に終着駅の竜ケ崎駅へ向かう。終点の竜ケ崎駅から、さらに400mぐらい先に龍ケ崎市の中心部がある

 

龍ケ崎は、古くは陸前浜街道(旧国道6号にあたる)の要衝でもあり、木綿の生産地だった。しかし、常磐線(開業時は日本鉄道土浦線)が、街から遠い佐貫に駅が設けられることになった。そのため佐貫と龍ケ崎を結ぶ鉄道路線を、と1900(明治33)年に造られたのが前身となる竜崎(りゅうがさき)鉄道だった。開業当時は762mmという線路幅だった。

 

その後に改軌され、1944(昭和19)年に鹿島参宮鉄道に吸収された。路線は1965(昭和40)年、鹿島参宮鉄道と常総鉄道が合併して生まれた関東鉄道に引き継がれ、現在の関東鉄道竜ケ崎線となっている。

 

面白いのは地元の自治体名は龍ケ崎市と書くのに、路線は竜ケ崎線と書くところ。市の名前に「龍」が使われているのは、龍ケ崎市が生まれた際の官報に載った表記を元にしている。一方の竜ケ崎線は関東鉄道が合併した当時から「竜」の字が使われている。公文書に使われる常用漢字が「竜」の字だったため、この字が路線名として定着したようだ。

 

乗ったらエッ—−? 吊り革にコロッケが付いている

竜ケ崎線の始発駅・佐貫に降り立つ。JRの橋上駅を下りた先に関東鉄道の佐貫駅があった。この竜ケ崎線、路線距離は前述したように、わずか4.5km。乗車時間は7分だ。途中に入地(いれじ)駅という駅があるのみで、乗ったらすぐに着いてしまう。だが、乗車したときのインパクトは特大。なんと、車内がコロッケだらけなのだ!

 

車両はディーゼルカー。訪れた日は主力車両のキハ2000形1両のみの運行だった。淡い水色ボディにブルーの帯とブルーの天井、オレンジ色の細い帯がはいる関東鉄道特有の車体カラーだ。

 

車内には「コロッケがキタ−−」とネームが入るシール式のポスターが貼られる。ほかに「コロッケ アゲアゲ」などさまざまなイラスト入りのポスターが車内を飾る。それら貼り紙よりもさらにインパクト大なのが吊り革だ。なんと、吊り革にコロッケが付いていたのだ。

↑関東鉄道のキハ2000形の車内をさまざまな「コロッケ」のシールポスターが彩る。ほかに「コロッケ、地球に生まれて良かった−!」などの文句が踊るポスターも貼られていた

 

↑車内の吊り革のほとんどにコロッケが付く。もちろん本物ではなく、プラスチック製の食品サンプルを利用したもの。小判型や俵型など、コロッケの形にもこだわりが垣間見える

 

↑JR佐貫駅の駅前にあるそば店「四季蕎麦 佐貫駅前店」でも揚げたてコロッケが販売されている。市内の複数の店で販売されるが、竜ケ崎駅そばに販売店が無いのは惜しい

 

このコロッケは何なのだろうか。

 

実は龍ケ崎市の名物グルメが「コロッケ」なのだ。2003年に「コロッケクラブ龍ケ崎」が生まれ、全国のイベントに参加。2014年には、ご当地メシ決定戦で見事に優勝したという輝かしい経歴を誇る。いまも市内ではコロッケイベントが随時、開かれている。

 

竜ケ崎線の車内の装いも、市外から訪れた人たちに、そんな龍ケ崎名物を伝えよう、という意図があったわけだ。当初は短期間で終了の予定だったらしいのだが、好評なので現在もこの装いで列車が運行されている。

 

竜ケ崎沿線では、佐貫駅のそば店や、関東鉄道佐貫駅に隣接する観光物産センター「まいりゅうショップ」(冷凍もののみ用意)でも龍ケ崎コロッケが販売されている。筆者もひとついただいたが、ほくほくしていて懐かしの味だった。

↑JR常磐線の佐貫駅に隣接して関東鉄道佐貫駅が設けられる。入口には龍ケ崎市観光物産センターの「まいりゅうショップ」がある

 

レトロふうな途中駅、そして終点の竜ケ崎駅へ

ついコロッケだけに目を奪われがちだが、そのほかの沿線の様子もお伝えしよう。沿線には龍ケ崎市の住宅地が点在する。そして田畑も広がり、北関東らしい風景が広がる。

 

途中の駅は入地(いれじ)駅の1駅のみ。駅の待合室は最近、きれいに模様替えされ、駅名表示などレトロな文字が入る案内に変更されていた。

↑レトロな造りに変わった入地駅。ホーム1つの小さな駅だが、つい降りてみたくなるような趣がある。駅近くの道にキジが歩いているのを発見、そんなのんびりした駅だった

 

起点の佐貫駅から乗車7分で終着駅、竜ケ崎駅へ到着する。街の中心は400〜500m先にあるため、駅周辺は閑散としている。とはいえ、鉄道好きならば、すぐ近くにある車両基地は見ておきたい。留置された予備車両をすぐ近くで見ることができる。

↑竜ケ崎線の終着駅・竜ケ崎駅に到着したキハ2000形。この先、線路は行き止まりの頭端式のホームとなっている。すぐ裏手に竜ケ崎線の車両基地がある

 

↑竜ケ崎駅の外観。路線や駅の開業は古く、すでに120年近い歴史を持つ。駅舎は近年、改修され、きれいになっている

 

↑車両基地にとまるキハ532形。基地の建物が撤去されたこともあり、周囲の道路からでも車両がよく見える。写真のキハ532形は予備車両として週末に走ることが多い

 

〈2〉東武小泉線(群馬県)の旅

不思議な“盲腸線”がある路線。日本離れした景色がおもしろい

今回、紹介するもう1本の路線は東武鉄道の小泉線。下の地図を見ていただくとわかるように、東武小泉線は館林(たてばやし)駅と太田駅を結ぶ路線である。途中の東小泉駅から西小泉駅までの2駅区間の路線もある。

↑群馬県内を走る東武小泉線の路線。東武鉄道の特急「りょうもう」は全列車が足利市駅経由のため伊勢崎線を走る。東武小泉線の方が距離は短いものの走るのは普通列車のみだ

 

都心と群馬県の赤城や伊勢崎を結ぶ特急「りょうもう」は東武伊勢崎線を通り、この東武小泉線を通らない。足利市駅を通るため、大きく北をまわっているのだ。特急が通る路線よりも短い “短絡路線(距離は東武小泉線経由の方が約4km短い)”であり、行き止まりの“盲腸線”がある。

 

東武小泉線では、どのように列車が運転されているのか、気になって訪ねてみた。

 

東武小泉線は館林駅〜西小泉駅間12.0kmと、太田駅〜東小泉駅間6.4kmの計18.4km区間を指す。歴史は古く1917(大正6)年に営業を始めた中原(ちゅうげん)鉄道小泉線(館林〜小泉町)が元となる。1937(昭和12)年には東武鉄道に買収されたあと、1941(昭和16)年に太田〜東小泉間と小泉町〜西小泉間が開業、現在の小泉線の路線ができあがった。

 

その当時、西小泉駅近くには中島飛行機小泉製作所があり、西小泉駅から利根川河畔まで貨物線の仙石河岸(せんごくがし)線が敷かれていた。その先、利根川を越えて熊谷まで路線延長の計画があったという(旧東武熊谷線と接続を計画)。1976年に仙石河岸線は廃止されたが、路線の草創期は東洋最大の飛行機メーカーだった中島飛行機との縁が深かった。

 

ちなみに中島飛行機といえば、陸軍の「隼」、「鍾馗(しょうき)」、「疾風」。海軍の「月光」、「天山」といった名戦闘機を生み出している。戦後に、中島飛行機は解体され、自動車メーカーのSUBARUにその技術が引き継がれた。

 

東武で最大車両数を誇った8000系が2両編成で走る

やや前置きが長くなったが、いまは軍需産業にかわり、自動車、さらにパナソニックなどの工場がある地域でもある。そんな予備知識を持ちつつ、東武小泉線の起点駅、館林駅に降りる。

 

館林駅の東武小泉線用ホームは3番線、5番線ホームの先、伊勢崎方面側にある。2両編成の運転に対応した4番線ホームで、スペースは小さい。このホームから列車が出発する。使われるのは8000系で、乗務員1人のワンマン運転で走る。

↑東武鉄道の代表的な電車として活躍した8000系。現在、東武小泉線を走る電車はすべて8000系で、2両編成となり、ワンマン運転用に改造されている

 

↑館林駅の伊勢崎駅側の一角にある4番線が東武小泉線の乗り場。このホームから2両編成の西小泉駅行き電車のみが出発する

 

館林駅からは西小泉駅行きの電車しか走っていない!?

乗り場で知ったのだが、館林駅発の東武小泉線の列車はすべてが“盲腸線”の終わりにあたる西小泉駅行きだった。館林駅と太田駅を直接に結ぶ列車が無いのだ。館林駅から東武小泉線経由で太田駅へ向かう場合は、分岐する東小泉駅での乗換えが必要になる。

 

つまり東武小泉線の列車の運用は館林駅〜西小泉駅間と、東小泉駅〜太田駅(多くが桐生線赤城駅まで直通運行)間の2系統に分けられていた。

 

東小泉駅〜西小泉駅間は、小泉線にとっては盲腸線区間ではあるが、列車の運用はこの区間を切り分けているわけでなく、館林駅〜西小泉駅間が東武小泉線のメイン区間という形で電車が走っているわけだ。

↑館林駅〜西小泉駅間を走る列車すべてが、東小泉駅で太田駅方面の電車と接続して発車している

 

終着・西小泉駅は数か国語が飛び交い異国の地に来たよう

東武小泉線の電車に乗ると気づくのが、日系の人たちの乗車が多いこと。ブラジルやペルーなどへ日系移民として渡った子孫が、日本へ多く戻り沿線にある工場で働いているようだ。車内では日本語以外の言葉が飛び交い、まるであちらの電車に乗っているかのように感じる。

 

ちなみに、沿線では西小泉駅、小泉町駅、東小泉駅がある大泉町に多くの日系人が暮らしている。大泉町は人口が4万1845人(2018年4月30日現在)で、そのうち18%を外国人が占めている。群馬県内で最も人口の多い町で、人口密度も北関東3県の市町村のなかで最も高い。

 

実際に西小泉駅へ降りてみる。すると駅は新しく模様替えされ、案内表示はポルトガル語、スペイン語、などさまざまな言語で表示されている。地図も同様だ。

↑2017年から2018年2月にかけて工事が行われ、駅舎とともに屋外の公共トイレもリニューアルされ、きれいになった。大泉町の玄関口にふさわしい造りとなっている

 

↑このとおり駅の案内はインターナショナル。英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語などで表記されている

 

↑街の地図もおしゃれな雰囲気。これならば日本語が読めなくとも心配なさそうだ

 

街中に出てみる。日本のお店に混じって、日系の人たち向けのお店も目立つ。駅前のブティックにはドレスで着飾ったマネキン。ポルトガル語・スペイン語の看板が目を引く。さらにブラジル料理の店などが点在する。公園ではラテン音楽に合わせて踊りを練習する子どもたち……。まるで南米の街を歩いているかのように感じる。

↑国内で英語の看板は見かけるものの、スペイン語、ポルトガル語の看板となるとそうは無いのではないだろうか。大泉町ではこれが当たり前の光景だ

 

↑ブラジル料理店やブラジリアバーなどが西小泉駅近くには多く並ぶ。街にはシュラスコや、フェジョアーダといったブラジル料理が楽しめる店もある

 

西小泉駅の留置線や廃線跡を利用したいずみ公園にも注目!

西小泉駅は1970年代まで貨物輸送が盛んに行われていた駅でもある。そんな面影が駅周辺に残るので、こちらも注目しておきたい。

 

西小泉駅自体の開業は1941(昭和16)年12月で、中島飛行機の玄関口として当時は立派な駅が設けられたそうだ。残念ながら、太平洋戦争開始直前のことで、当時の写真や資料は残っていない。だが、面影は偲べる。現在のプラットホームは一面ながら、引込線などのスペースが大きく残る。

↑西小泉駅を発車する館林駅行き電車。駅は線路の配置もゆったりしていて、以前に貨物用に使われた線路やホームの跡もいずみ緑道側に残されている

 

さらに利根川方面へ延びていた仙石河岸(せんごくがし)線の廃線跡が、いずみ緑道としてきれいに整備されている。群馬の街で異国情緒を楽しんだあとに、廃線の面影を偲びつつ公園散歩をしてみるのも楽しい。

↑貨物線だった仙石河岸線の廃線跡がいずみ緑道となっている。同緑道は日本の道100選や、日本街路樹100景、美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれている

 

次回以降も、全国各地のユニークなローカル線を紹介していこう。