おもしろローカル線の旅~~名古屋市営地下鉄上飯田線・東海交通事業城北線(愛知県)~~
今回紹介する名古屋市営地下鉄上飯田線/東海交通事業城北線の2路線。東海地方にお住まいの方でも、あまりご存知ないのではないだろうか? 沿線に住む人以外には馴染みの薄い路線となっている。だが、2路線とも謎が多く、実に不思議な路線なのだ。
【地下鉄上飯田線の謎】なぜ路線距離が0.8kmと短いのか?
まずは名古屋市営地下鉄上飯田線(以降、上飯田線と略)から。こちらはローカル線とは言えないかもしれないものの、異色路線として紹介しよう。
上飯田線は平安通駅(へいあんどおりえき)と上飯田駅(かみいいだえき)を結ぶ路線で、その距離は0.8kmしかない。わずかひと駅区間しかなく、上飯田駅より北は、名古屋鉄道(以降、名鉄と略)小牧線となる。そのため、ほぼ全列車がひと駅区間のみ走るのではなく、小牧線との相互乗り入れを行っている。
ちなみに0.8kmという路線距離は日本の地下鉄路線のなかで、最も短い。まさか記録を作るために短くしたのではなかろうが、0.8kmという短さは極端だ。なぜこれほどまでに短い路線になってしまったのだろう。
当初は名古屋市の中央部まで延ばすプランがあった。しかし−−
上飯田線が誕生したのは2003(平成15)年のこと。開業してから今年でちょうど15年となる。上飯田線が造られた理由は、名古屋市中央部への連絡を良くするためだった。
かつては、上飯田駅からは名古屋市電御成通(おなりどおり)線が走り、その市電に乗れば平安通や大曽根へ行けて便利だった。ところが、高度成長期、路面電車がじゃまもの扱いとなり、御成通線も1971(昭和46)年に廃止されてしまった。
それ以降、小牧線の上飯田駅は起点駅でありながら、鉄道駅との接続がなく、“陸の孤島”となっていた。その不便さを解消すべく造られたのが上飯田線だった。最小限必要なひと駅区間のみを、先行して開業させた。
利用者が伸びない将来を考えて延伸プランは白紙に
上飯田線の路線着工は1996(平成8)年のこと。当初は0.8km区間に留まらず、名古屋市営地下鉄東山線の新栄町駅、さらに南にある中区の旧丸太町付近まで延ばす計画だった(1992年に答申の「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」による)。
ところが、2000年以降、大都市圏の人口が増加から減少傾向に転じ、新線計画が疑問視されるようになった。そのため名古屋市は当初の計画を見直し、新たな路線開業は行わないとした。こうした経緯もあり、今後も上飯田線は0.8kmという路線距離のままの営業が続けられていきそうだ。
希少な名古屋市交通局7000形に乗るなら朝夕に訪れたい
上飯田線の電車はすべて平安通駅での折り返し運転。朝夕は10分間隔、日中でも15分間隔で、便利だ。平安通駅〜上飯田駅の乗車時間は、わずか1分あまり。
さすがにひと駅区間は短いので、乗車したら上飯田駅の隣駅、味鋺駅(あじまえき)、もしくは小牧駅や犬山駅まで足を伸ばしてみてはいかがだろう。
味鋺駅付近からは、地下を出て、外を走り始める。郊外電車の趣だ。小牧線の終点、犬山駅までは、平安通駅から片道30分ちょっと。犬山駅で接続する名鉄犬山線の電車で名古屋駅方面へ戻ってきてもいい。
上飯田線を走る電車は、ほとんどが名古屋鉄道の300系だ。ヘッドライトが正面中央部の高さにない不思議な顔立ちをしている。客席はロングシートとクロスシート併用タイプだ。
この上飯田線には名古屋市営地下鉄(運行する名古屋市交通局が所有)の電車も走っている。それが7000形だ。この7000形、4両編成×2本しか造られなかった車両で、この路線ではレアな存在となっている。切れ長のライトで、個性的な顔立ちをしている。
日中はあまり見かけることのない車両でもある。7000形に乗りたい、撮りたい場合は、朝夕に訪れることをオススメしたい。
【東海交通事業城北線の謎】なぜJR東海城北線ではないのか?
東海交通事業城北線(じょうほくせん・以下、城北線と略)は、中央本線の勝川駅(かちがわえき)と東海道本線の枇杷島駅(びわじまえき)間の11.2kmを結ぶ。
この路線には不思議な点が多い。まずはその運行形態について。
城北線は名古屋市の北側を縁取るように走る。起点となる勝川駅は、名古屋市に隣接する春日井市の主要駅で、JR中央本線の勝川駅は乗降客も多い。終点の枇杷島駅は、東海道本線に乗れば名古屋駅から1つめの駅だ。名古屋から近い両駅を結ぶこともあって、利用者は多いように思える。しかも全線が複線だ。
それにも関わらず非電化でディーゼルカーが使われている。しかも1両での運転だ。列車本数も朝夕で20〜30分に1本。日中は1時間に1本という、いわば閑散ローカル線そのものなのである。
JR東海の路線だが、列車を走らせるのは東海交通事業
城北線は運営方法も不思議だ。
路線を保有するのはJR東海で、JR東海が第一種鉄道事業者となっている。運行を行っているのはJR東海でなく、子会社の東海交通事業だ。城北線では、この東海交通事業が第二種鉄道事業者となっている。
さらに不思議なのは他線との接続。
終点の枇杷島駅のホームは東海道本線と併設され、乗り継ぎしやすい。
一方の勝川駅は、中央本線のJR勝川駅と離れている。JR勝川駅には城北線乗り入れ用のスペースが確保されているのだが、乗り入れていない。乗り入れをしていないどころか、両線の高架橋がぷっつり切れている。両鉄道の駅名は同じ勝川駅なのに、駅の場所は500mほど離れていて、7分ほど歩かなければならない。
JRの路線以外に、路線の途中で2本の名鉄路線とクロスしているが、接続はなく、最も近い城北線の小田井駅と名鉄犬山線の上小田井駅(かみおたいえき)でさえ約0.5kmの距離がある。
利用する立場から言えば、不便である。なぜこのような状況になっているのだろう。
40年間にわたり必要となる路線のレンタル料
JR東海は現状、城北線を建設した鉄道建設・運輸施設整備支援機構(着工時は日本鉄道建設公団)から路線を借りて列車を走らせている。当然、そのための借損料を支払っている。借損料とは造った鉄道建設・運輸施設整備支援機構に対して払う賃借料のこと。「借りている路線の消耗分の賃料」という名目になっている。その金額は膨大で年間49億円とされている。この支払いは開業してから40年(城北線の全線開業は1993年)という長期にわたって行われる。
借損料は、現時点の設備にかかるもので、もし電化や路線延長など改良工事を“追加発注”してしまうと、支払う金額は、さらに上がってしまう。
投資金額に見合った収益が上がれば良いのだろうが、城北線の開業時点で、そこまでは見込めないと考えたのだろう。そのため、運営は子会社に任せ、運行も細々と続けられている。現状、駅の改良工事などの予定もなく、いわば塩漬け状態になっている。
路線の途中で上下線が大きくわかれる理由は?
城北線の路線は、不相応と思えるぐらい、立派な路線となっている。なぜこのような路線が造られたのだろう。小田井駅~尾張星の宮駅間にそのヒントがある。
この駅間では上の写真のように上下線が離れ、また高低の差がある。ここから東海道本線の稲沢方面へ分岐線が設けられる予定だった。稲沢駅には旅客駅に加えてJR貨物の拠点駅がある。
下の地図を見ていただこう。名古屋周辺のJRの路線と、未成線の路線図だ。城北線と未成線の瀬戸線を結びつけることで、中央本線と東海道本線との間を走る貨物列車をスムーズに走らせたい計画だった。
かつて名古屋中心部を迂回する遠大な路線計画が存在した
JRとなる前の国鉄時代。輸送力増強を目指して、各地で新線計画が多く立てられた。城北線もその1つの路線だった。前述の地図を見てわかるように、城北線は中央本線と東海道本線を短絡する路線であることがわかる。
この地図には入っていないが、東側に東海道本線の岡崎駅〜中央本線の高蔵寺駅間を結ぶ岡多線・瀬戸線が同時期に計画され造られた。その路線は現在、愛知環状鉄道線として利用されている。
この愛知環状鉄道線と城北線をバイパス線として利用すれば、列車の運行本数が多い名古屋駅を通らず、東海道本線の貨物列車をスムーズに走らせることができると考えられた。
首都圏で言えば、東京都心を通る山手貨物線を走らずに貨物輸送ができるように計画されたJR武蔵野線のようなものである。
借損料の支払いが終了する2032年以降、城北線は変わるか
名古屋近辺では、東海道本線から名古屋貨物ターミナル駅へ直接乗り入れるために南港貨物線の工事も行われた。この南港貨物線も、当初に計画された貨物列車を走らせるというプランは頓挫し、一部の高架施設がいまも遺構として残っている。
貨物列車の需要は伸びず、また貨物列車もコンテナ列車が増え、高速化した。こうしたことですべての路線計画が立ち消えとなり、一部の路線が旅客線として形を変えて復活し、開業した。
さて城北線の話に戻ろう。城北線の借損料の支払いは、これから14年後の2032年まで続く。ここで終了、めでたくJR東海が所有する路線となる。
そこから城北線の新たな時代が始まることになるのだろう。複雑な経緯が絡む城北線の問題。せっかくの公共財なのだから、もっと生かす方法がなかったのだろうか。
国鉄時代の負の遺産にいまも苦しめられる構造に、ちょっと残念な思いがした。