おもしろローカル線の旅〜〜山形線(福島県・山形県)
ステンレス車体の普通列車が険しい勾配をひたすら上る。せまる奥羽の山々、深い渓谷に架かる橋梁を渡る。スノーシェッド(雪囲い)に覆われた山のなかの小さな駅。駅の奥にはスイッチバック用の線路や、古いホームが残っている。駅を囲む山々、山を染める花木が一服の清涼剤となる。
JRの在来線のなかでトップクラスに険しい路線が、山形線(奥羽本線)の福島駅〜米沢駅間だ。福島県と山形県の県境近くにある板谷峠(いたやとうげ)を越えて走る。
いまから120年ほど前に開業したこの路線。立ちはだかる奥羽山脈を越える鉄道をなんとか開通させたい、当時の人たちの熱意が伝わってくる路線だ。
8時の電車の次は、なんと5時間後!
福島発、米沢行きの普通列車は5番・6番線ホームから出発する。5番線は在来線ホームの西の端、6番線は5番線ホームのさらにその先にある。この“片隅感”は半端ない。さらに普通列車の本数が少ない。2駅先の庭坂駅行きを除けば、米沢駅まで行く列車は日に6本しかない。
上の写真は板谷駅の時刻表。光が反射して見づらく恐縮だが、朝は下り・上りとも7時、8時に各1本ずつ列車があるが、それ以降は13時台までない。さらにその後は、下りは16時台に1本あるが、上りにいたっては、13時の列車以降、5時間半近くも列車が来ない。
山形線の普通列車は、米沢駅〜山形駅間、山形駅〜新庄駅間も走っているが、こちらはだいたい1時間に1本という運転間隔だ。福島駅〜米沢駅間の列車本数の少なさが際立つ。沿線人口が少ない山岳路線ゆえの宿命といっていいかもしれない。
一方、線路を共有して運行される山形新幹線「つばさ」は、30分〜1時間間隔で板谷駅を通過していく。新幹線のみを見れば山形線は幹線路線そのものだ。
福島駅〜米沢駅間で普通列車に乗る際には、事前に時刻を確認して駅に行くことが必要だ。また途中駅で乗り降りするのも“ひと苦労”となる。新幹線の利便性に比べるとその差は著しい。
今回は、そんな異色の山岳路線、福島駅〜米沢駅間を走る普通列車に乗車、スイッチバックの遺構にも注目してみた。
【驚きの険路】 標高差550m、最大勾配は38パーミル!
上は福島駅〜米沢駅の路線マップと、各駅の標高を表した図だ。福島駅〜米沢駅間は40.1km(営業キロ数)。7つある途中駅のなかで峠駅の標高が1番高く海抜624mある。峠駅をピークにした勾配は最大で38パーミル(1000m走る間に38m高低差があること)で、前後に33パーミルの勾配が連続している。
一般的な鉄道の場合、30パーミル以上となれば、かなりの急勾配にあたる。ごく一部に40パーミルという急勾配がある路線もあるが、山形線のように、急勾配が続く路線は珍しい。
いまでこそ、強力なモーターを持った電車で山越えをするので、難なく走りきることができる。しかし、1990(平成2)年まで同区間では、赤岩駅、板谷駅、峠駅、大沢駅の計4駅でスイッチバック運転が行われ、普通列車は徐々に上り、また徐々に下るという“手間のかかる”運転を行っていた。
【山形線の歴史1】 難工事に加え、坂を逆行する事故も
さて、実際に乗車する前に、山形線(奥羽本線)福島駅〜米沢駅間の歴史をひも解いてみよう。
●1894(明治27)年2月 奥羽本線の福島側からの工事が始まる
●1899(明治32)年5月15日 福島駅〜米沢駅間が開業
当時の鉄道工事は突貫工事で、技術の不足を人海戦術で乗り切る工事だった。奥羽本線は北と南から工事を始めたが、青森駅〜弘前駅間は、わずか1年5か月という短期間で開業させている。一方で福島駅〜米沢駅間の5年3か月という工事期間を要した。この時代としては想定外の時間がかかっている。
特に難航したのが、庭坂駅〜赤岩駅間にある全長732mの松川橋梁だった。川底から高さ40mという当時としては異例ともいえる高所に橋が架けられた。開業後も苦闘の歴史が続く。
●1909(明治42)年6月12日 赤岩信号場(現・赤岩駅)で脱線転覆事故
下り混合列車が急勾配区間を進行中に蒸気機関車の動輪が空転。補助機関車の乗務員は蒸気とばい煙で意識を失ったまま、列車は下り勾配を逆走、脱線転覆して5人が死亡、26人が負傷した。
●1910(明治43)年8月 庭坂駅〜赤岩信号場間で風水害によりトンネルなどが崩落
休止した区間は徒歩連絡により仮復旧。翌年には崩落区間の復旧を諦め、別ルートに線路を敷き直して運転を再開させた。
●1948(昭和23)年4月27日 庭坂事件が発生、乗務員3名死亡
赤岩駅〜庭坂駅間で起きた脱線事故で、青森発上野行きの列車の蒸気機関車などが脱線し、高さ10mの土手から転落する事故が起きた。列車妨害事件とされるが、真相は不明。太平洋戦争終了後、原因不明の鉄道事故が各地で相次いだ。
当時の非力な蒸気機関車による動輪の空転・逆走事故、風水害の影響と険路ならではの問題が生じた。そこで同区間用の蒸気機関車の開発や、電化工事が矢継ぎ早に進められた。
●1947(昭和22)年 福島駅〜米沢駅間用にE10形蒸気機関車5両を製造
国鉄唯一の動輪5軸という珍しい蒸気機関車が、同路線用に開発された。急勾配用に開発されたが、思い通りの性能が出せず、同区間が電化されたこともあり、稼働は1年のみ。移った北陸本線でも走ったのは1963(昭和38)年まで。本来の機能を発揮することなく、稼働も15年のみという短命な機関車だった。
●1949(昭和24)年4月29日 福島駅〜米沢駅間が直流電化
当時はまだ電化自体が珍しい時代でもあった。東海道本線ですら、全線電化されたのが1956(昭和31)年と後になる。いかに福島駅〜米沢駅間の電化を急がれたのかがよくわかる。
【山形線の歴史2】 新幹線開業後に「山形線」の愛称がつく
●1967(昭和43)年9月22日 福島駅〜米沢駅間を交流電化に変更
交流電化の変更に加えて路線が複線化されていく。1982(昭和57)年には福島駅〜関根駅間の複線化が完了している。
●平成4(1992)年7月1日 山形新幹線が開業(福島駅〜山形駅間)
線路を1067mmから1435mmに改軌し、山形新幹線「つばさ」が走り出す。それとともに、福島駅〜山形駅間に山形線の愛称がついた。
●平成11(1999)年12月4日 山形新幹線が新庄駅まで延伸
これ以降、福島駅〜新庄駅間を山形線と呼ぶようになった。
【所要時間の差は?】 新幹線で33分、普通列車ならば46分
さて福島駅〜米沢駅間の列車に乗車してみよう。同区間の所要時間は、山形新幹線「つばさ」が約33分。普通列車が約46分で着く。運賃は760円で、新幹線利用ならば運賃+特急券750円(自由席)がかかる。
所要時間は13分の違い。沿線の駅などや風景をじっくり楽しむならば、やはり列車の本数が少ないものの普通列車を選んで乗りたいものだ。
山形線の普通列車として使われるのは標準軌用の719系5000番代と701系5500番代。福島駅〜米沢駅間の普通列車はすべて719系5000番代2両で運行されている。
車内は、窓を横にして座るクロスシートと、ドア近くのみ窓を背にしたロングシート。クロスシートとロングシートを組み合わせた、セミクロスシートというスタイルだ。
【山形線の車窓1】営業休止中の赤岩駅はどうなっている?
筆者は福島駅8時5分発の列車に乗った。乗車している人は定員の1割ぐらいで、座席にも余裕あり、のんびりとローカル線気分が楽しめた。同線を走る山形新幹線「つばさ」の高い乗車率との差が際立つ。
福島駅の先で、高架線から下りてくる山形新幹線の線路と合流、まもなく最初の笹木野駅へ到着する。次の庭坂駅までは沿線に住宅が連なる。
庭坂駅を発車すると、しばらくして線路は突堤を走り、右に大きくカーブを描き始める。ここは通称、庭坂カーブと呼ばれる大カーブで、ここから山形線はぐんぐんと標高をあげていく。ちょうど福島盆地の縁にあたる箇所だ。
庭坂駅から10分ほどで、眼下に流れを見下ろす松川橋梁をわたる。ほどなく赤岩駅へ。駅なのだが、普通列車もこの赤岩駅は通過してしまう。さてどうして?
赤岩駅は廃駅になっていない。が、2016年秋以来、通過駅となっていて乗降できない。時刻表や車内の案内にも、赤岩駅が存在することになっているのだが、乗り降りできない不思議な駅となっている。営業していたころも長年、乗降客ゼロが続いてきた駅であり、このまま廃駅となってしまう可能性も高そうだ。
【山形線の車窓2】 スイッチバック施設が一部に残る板谷駅
板谷駅の手前で山形県へと入る。
板谷駅は巨大なスノーシェッド(雪囲い)に覆われた駅で、ホームもその中にある。おもしろいのは、旧スイッチバック線の先にある旧ホームだ。実際にスイッチバック施設が使われていた時代には、現在のホームの横に折り返し線があり、米沢方面行き列車は、この折り返し線に入り、バックしてホームへ入っていった。
特急などの優等列車は、このスイッチバックを行わず、そのまま通過していった。板谷駅は山間部にある同線の駅のなかでは、最も人家が多く、工場もある。が、列車の乗降客はいなかった。国道13号が近くを通るため、クルマ利用者が多いのかもしれない。
【山形線の車窓3】雪囲いに覆われる峠駅、峠の力餅も楽しみ
板谷駅から5分ほどの乗車で、福島駅〜米沢駅間で最も標高が高い峠駅に到着した。
海抜624m。山あいにあるため冬の降雪量も尋常ではない。多いときには3mも積もるという。この峠駅の周辺には、滑川温泉などの秘境の温泉宿があり、若干ながら人の乗り降りがあった。
この峠駅、雪から駅を守るために、スノーシェッドが駅の施設をすっぽりと覆っている。この駅の改札口付近から、さらに別のスノーシェッドが200mほど延びている。
こちらは現在、使われていない施設だが、複線の線路をすっぽりと覆う巨大な大きさだ。スノーシェッドは、200mぐらい間を空けて、さらに先の山側に入った地点にも残っている。このスノーシェッドの間に元の峠駅があったという。
駅近くの「峠の茶屋」で聞くと、「スノーシェッドですべて覆ってしまうと、蒸気機関車の煙の逃げ場がなくなる。あえて、スノーシェッドを空けた部分を設けていたんです」と教えてくれた。
現在の峠駅ホームをはさみ反対側には折り返し線用のトンネルがあった。福島方面行き列車は、この折り返し線に入り、バックして旧駅に入線していた。スイッチバックが行われた時代、さぞや楽しい光景が展開していたことだろう。
峠駅近くの「峠の茶屋」。峠駅で下車した際には、昼食、小休止、そして次の列車待ちに利用するのも良いだろう。
【山形線の車窓4】関根駅〜米沢駅間は不思議に単線となる
峠駅から米沢駅側は、ひたすら下りとなる。峠駅の1つ先の大沢駅もスノーシェッド内の駅だ。峠駅や板谷駅のように明確ではないが、スイッチバックの遺構が残っている。
4駅に残るこうしたスイッチバックの遺構などは、1999(平成11)年5月に「奥羽本線板谷峠鉄道施設群」として産業考古学会の推薦産業遺産として認定された。
推薦理由は、「奥羽山脈の急峻な峠を越えるために、スイッチバック停車場を4カ所連続させ」、加えて「広大な防雪林を造営するなど、東北地方の日本海側地域開発にとって記念碑的な鉄道遺産である」こと。この路線が、歴史的に重要であり、国内の鉄道遺産としても貴重であるという、学会から“お墨付き”をもらったわけである。
大沢駅を過ぎると、右に左にカーブを描きつつ列車は下っていく。田畑が見え集落が広がると関根駅へ着く。
この関根駅の次が米沢駅。この区間は米沢盆地の開けた区間となり路線もほぼ直線となる。険しい福島駅〜関根駅間が複線なのに、関根駅〜米沢駅間のみ単線となる。
米沢駅の先、赤湯駅まで単線区間が続く。よってこの区間で列車に遅れが生じると、対向列車まで影響を受ける。米沢駅〜赤湯駅間も米沢盆地内の平坦な土地なのに、この米沢盆地内のみ単線区間が残ることに、少し疑問が残った。
終着の米沢駅に付くと、ちょうど向かいに観光列車「とれいゆつばさ」が停車していた。「とれいゆつばさ」の車内にある「足湯」を浸かりながらの旅も癒されるだろうな、とつい誘惑にかられてしまう。
だが、今回はローカル線の旅なのだ。帰りにもこだわり、4時間ほど米沢周辺で時間をつぶして、福島行き普通列車に乗車した。逆からたどる山岳路線も味わい深い。峠駅を過ぎると、福島市内までひたすら下り続ける。普通列車とはいえ標準軌ならではの安定した走行ぶり、快適な乗り心地が心に残った。