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2018/11/18 17:00

兵庫県の気になる短め2路線 — 乗車時間は数分だが見どころ満載!【阪神武庫川線 編】

おもしろローカル線の旅21 〜〜阪神武庫川線(兵庫県)〜〜

兵庫県内を走るJR和田岬線と阪神武庫川線。両線ともに起点駅から乗車してほんの数分、あっという間に終点駅に着いてしまう。そんな短めのローカル線だ。今回は阪神武庫川線をレポート。JR和田岬線とはまた違った見どころや、魅力を紹介していこう。

 

 

〈阪神武庫川線〉
【武庫川線の魅力1】阪神の伝統車両“赤胴車”が2両で走る

阪神武庫川線は、使われているレトロな車両と路線の成り立ちがおもしろい。まずは路線の概要から。

 

開業1943年(昭和18)年11月12日、武庫川駅〜洲崎駅(現在の武庫川団地駅付近に旧駅があった)間が開業
路線名阪神武庫川線
路線と距離武庫川駅〜武庫川団地駅1.7km(乗車時間5分)
使用車両7890・7990形、7861・7961形

 

 

↑赤胴車と呼ばれる下部が朱色、上部がクリーム色という塗り分け。本線では急行などの優等列車用の車体カラーでもある。写真の7864・7964編成は7861形・7961形に区分けされている車両だ。ほかに7890・7990形が走る

 

阪神電気鉄道の武庫川線を走る車両は7890・7990形、7861・7961形の2形式。1960年代から1970年代にかけて製造された急行・特急といった優等列車用の電車が元になり、ワンマン運転用に改造された電車たちだ。

 

阪神電気鉄道の優等列車は古くから車体の下半分が朱色、上半分がクリーム色に塗られ、「赤胴車(あかどうしゃ)」という愛称が付く。現在、武庫川線を走る電車は、ひと時代前には高速走行性能を重視した高性能電車として一世を風靡した電車でもあったのだ。

 

一方、阪神電気鉄道の各駅停車用の電車は、高加速・高減速性能を重視している。普通専用の車両であることから車体の下半分が青、そして上半分がクリーム色に塗り分けて、誤乗車を防いでいる。この普通列車用の車両は「青胴車(あおどうしゃ)」という愛称が付いている。

 

武庫川線の電車は、全駅に停車する普通列車にも関わらず、元になった車両が優等列車用だったことから、この「赤胴車」という塗り分けが残されているのである。

 

長年にわたり優等列車のカラーとして親しまれてきた赤胴車の塗り分け。しかも正面デザインは、昔の急行や特急列車の形そのまま。阪神を長年、親しんできた人たちは愛着を感じている人も多いことだろう。

 

 

【武庫川線の魅力2】本線から武庫川線への連絡線に注目!

阪神本線は高架を走り、武庫川線は地上を走る。高さの違いこそあれ、ほぼ直角に交差している。そして両線を結ぶように連絡線が設けられる。この不思議な連絡線の形に興味を持つ人も多いのではないだろうか。

 

筆者も武庫川駅が近づくと、阪神電車の中からその路線の形が気になって仕方がなかった1人である。今回の探訪では、このあたりの様子をしっかり見て回った。この形、実は路線の開業と大きく関わっていたのである。

↑阪神本線の武庫川駅はちょうど武庫川の上にある不思議な駅だ。川の上にあるためホームの西側が西宮市、東側が尼崎市となる。武庫川線は西宮市側の駅舎が起点となっている

 

↑武庫川駅の西宮市側の出入口。阪神では西改札口を紹介している。武庫川線へは乗換え用の専用改札口を通って入る。写真の右側に武庫川線のホームが延びている

 

↑阪神本線の連絡線(写真左)を降りた電車は武庫川駅の北側にある引き上げ線へ一度入り、スイッチバックして右手前の武庫川線の線路に進入する

 

武庫川線を走る電車は、すべて2両編成でワンマン運転が行われるため、専用の車両が使われている。武庫川線の車両は阪神本線にある尼崎車庫が基地となっている。尼崎車庫から武庫川線へ送り込まれる時には、阪神本線から連絡線を使って武庫川線へ入ることが必要になる。

 

この連絡線が不思議な形をしている。武庫川線へ入線する車両は阪神本線の鳴尾駅〜武庫川駅間のある武庫川信号場から急勾配を下る。半径60mという急カーブを曲がり、一度、武庫川線から遠ざかるように武庫川沿いの線路(引き上げ線)を北へ向かう。この引き上げ線で車両はスイッチバック、進行方向を変えて武庫川線へ入ってくる。

 

この線路の形は武庫川の土手がすぐ横にあるためで、このように線路を敷くしか方法がなかったのだろうと、推測していたのだが、実はそればかりが理由ではなかった。

↑鳴尾駅と武庫川駅の間にある武庫川信号場から武庫川線への連絡線が設けられる。尼崎車庫を出た車両は、一度、甲子園駅まで行き、そこで方向転換。武庫川信号場からこの下り線路を通って武庫川線へ回送される。なお同路線を使って走る直通電車はない

 

武庫川線は太平洋戦争の真っ盛りの戦時下に開業した。現在の武庫川団地前駅に隣接する武庫川団地には、戦時下に川西航空機の鳴尾工場、そして鳴尾海軍航空基地があった。ちなみに川西航空機は終戦までに飛行艇を多く造っており、当時の技術は現在の新明和工業のUS-1AやUS-2といった飛行艇にも引き継がれている。

 

この川西航空機への資材輸送や工場への通勤用に造られたのが武庫川線だった。工事は戦時下に突貫工事で進められ、1943(昭和18)年に武庫川〜洲崎間が開業、1年後には国鉄・東海道本線の西ノ宮駅(現在は西宮駅に改称)まで路線が延伸されている。

 

当初は旅客用というよりも、貨物線として役割が強かった。終戦後は1948年まで旅客営業を休止、進駐軍の要請もあり、西ノ宮駅からの貨物輸送が1958(昭和33)年まで続けられている。

 

ちなみに阪神電気鉄道の線路幅は1435mmと広い標準軌と呼ばれるサイズ。一方の国鉄の線路幅は1067mmと狭いため、国鉄の車両を使って貨物輸送が行われた当時は、3本のレールを並べた三線軌道を使って列車が運行されていた。

↑連絡線の先、古くは線路が武庫川沿いをJR西ノ宮駅(現在の西宮駅)まで延びていた。その名残が武庫川線の先、引き上げ線部分に見て取れる。現在は写真の先の大半が住宅地となっている

 

阪神本線と武庫川線の連絡線が、このような不思議な形をしている一つの理由が、西ノ宮駅に向かう線路が武庫川沿いを北側に延びていたことが原因だった。武庫川がすぐ横に流れる地形では、このような路線の敷き方しかなかったのかもしれない。とはいえ連絡線が、かつての太平洋戦争当時の名残をとどめていたとは、思いも寄らなかった。

 

【武庫川線の魅力3】武庫川の堤防を横目に古風な電車に揺られる

阪神武庫川線の電車は朝晩が10〜15分間隔、日中が20分間隔で走っていて非常に便利だ。しかも起点の武庫川駅から終点の武庫川団地駅まで5分で着いてしまう。

 

路線はほぼ全線が武庫川の堤防沿いを走る。そのため、車窓の東側、堤防側は途中の東鳴尾駅まで緑が続く。さらに洲崎(すざき)駅までは複線用の用地が残っている。戦時下、強引に用地買収、そして路線作りが行われ、将来を考えて複線用の用地が確保されたのだろう。

 

↑阪神武庫川線の東側には武庫川の堤防が連なる。そして反対側には複線用の用地が残る。全線、道路との境目には高いフェンスが設けられ、走る電車の撮影はしづらい

 

↑車体の側面にある行先案内。武庫川団地前の「武庫川」が小さく記されている。駅や車内の案内でも、武庫川を抜いて、単に「団地前」と呼ぶアナウンスが多い

 

路線の距離はわずかに1.7km。路線沿いに流れる武庫川の堤防上を道路が通るので、路線沿いに歩くことは可能だ。とはいえ、この堤防道路、道幅狭く歩道がないのが難点。河畔に遊歩道があるが、こちらを歩いても路線に近づけない。

 

もし路線沿いに歩くとすれば、住宅地側の路線に沿った道をお勧めしたい。赤胴車の撮影場所だが、路線沿いに高いフェンスが設けられるので、意外に撮影スポットが限られる。

 

住宅地と堤防道路を結ぶための踏切や、金網フェンス(編み方が意外に大きめ)の編み目越しに撮るといった方法が無難。もう少し良い撮影場所があれば理想的なのに、と思う阪神武庫川線である。

 

終点の武庫川団地前駅の付近は現在、再開発中。古くは飛行場や川西航空機の工場があったとされるが、現在は、武庫川団地、そして武庫川学院や、阪神タイガース球団の2軍用球場・鳴尾浜球場(武庫川団地前駅から徒歩約15分)などに利用され、基地や工場用地だったその面影はもう残されていない。

↑武庫川駅から最初の途中駅、東鳴尾駅。路線の中で、唯一すれ違いができる駅で、朝晩はこの駅で上り下り電車のすれ違いが行われている

 

↑阪神武庫川線の終点の武庫川団地前駅。側線とホームがあるが、現在は電車が停車する右側のホームと駅舎しか使われていない

 

ところで、尼崎車庫から武庫川線へ連絡線を通っての車両の送り込み回送は、朝7時前後と、夜は逆に尼崎車庫行きの送り込み回送が行われているとのこと。朝7時はちょっと早いなあ、と思いつつも、次に訪れるときには、その様子をぜひ見学したいと心に誓うのだった。