おもしろローカル線の旅29 〜〜紀州鉄道(和歌山県)〜〜
和歌山県の御坊市(ごぼうし)を走る紀州鉄道。紀伊水道の沖を流れる黒潮の影響で四季を通じて温暖。陽光かがやく紀州路を1両の気動車がのどかに走る。
「日本最短のローカル線」をうたう紀州鉄道。同鉄道も例外ではなく乗客の減少に悩む。苦境をどう乗り越えてきたのか、90年にわたる歩みをたどりつつ、今を見つめた。興味深い車両の変遷や沿線の風景とともに、魅力を楽しみたい。
【紀州鉄道の歩み】和歌山県内で唯一の非電化路線として残る
和歌山県は古くは紀伊国(きいのくに)と呼ばれた。「紀州」はこの紀伊国の別称だ。そんな“壮大な”名を名乗る紀州鉄道。さぞや広がる路線網を持つのだろうと思ってしまうが、現状は御坊市のみを走る小さな鉄道会社だ。同社のホームページには自らを「日本最短のローカル私鉄」と紹介している。
実際には千葉県の「芝山鉄道」(路線距離2.2km)、あるいは南海和歌山港線の一部路線を所有する「和歌山県」が日本最短の路線を持つ鉄道事業社とされる。だが、芝山鉄道は京成電鉄からのリース車両を1編成所有するのみで、実際は京成線からの乗り入れ車が走ることも多い。「和歌山県」(路線距離2.0km)は線路を維持管理するのみで車両は所有していない。対して紀州鉄道は“立派”に自社車両を所有して、運行させている。健気な鉄道会社なのだ。
ちなみに和歌山県内を走る鉄道路線で、非電化路線は紀州鉄道のみ。非常に貴重な路線になっているわけだ。
そんな小さなローカル私鉄、紀州鉄道の概要を見ておこう。
路線開業 | 1928(昭和3)年に御坊臨港鉄道株式会社を設立。1931(昭和6)年6月15日、御坊駅〜御坊町駅(現・紀伊御坊駅)間が開業 |
現在の路線と距離 | 御坊駅〜西御坊駅間2.7km |
駅数 | 5駅(起終点を含める) |
軌間と電化 | 1067mm、全線非電化 |
1931(昭和6)年に御坊駅から御坊町駅(現・紀伊御坊駅)までが開業、さらに1934(昭和9)年に日高川の河畔近くの日高川駅間まで路線が延長された。当初の鉄道名が御坊臨港鉄道だったことから地元の人たちには、今も「臨港(りんこう)」と呼ばれ親しまれている。
その後の1984(昭和59)年には国鉄の経営合理化のあおりをうけ貨物営業を廃止。1989(平成元)年には西御坊駅〜日高川駅間の路線(0.7km)が、廃止されている。
紀州鉄道の歴史は路線の存亡を賭けた歴史でもある。特に1953(昭和28)年7月18日の紀州大水害により全線が水に浸かり、各所で路盤も破壊された。さらに多くの車両も水に浸かってしまう。運転再開までは2か月かかった。最近には2017年1月に脱線事故が発生。復旧までちょうど1か月を要した。
【紀州鉄道の歩み2】御坊市の人口は30年あまりで23%減に
ここで紀州鉄道が走る御坊市という町の概要を見ておこう。
人口は2018年12月現在で2万3596人。第一次産業が主要産業で、野菜づくりや、花づくりが盛んだ。スイートピーやカスミソウは日本一の出荷量を誇る。また市内に7つの漁港があって、アジやサバ、サワラ、そして伊勢エビなどが水揚げされている。
第二次産業の分野では、かつては木材の集散地として発展した。現在は旭化成ケミカルズの和歌山工場。また大洋化学という会社では麻雀牌を作っていて、麻雀牌は日本一、また全自動卓の国内シェアは100%とされる。
ちなみに紀州鉄道の西御坊駅は、西側がすぐ美浜町(みはまちょう)の町内となる。こちらには大和紡績グループの一員でもあるダイワボウマテリアルズの和歌山工場がある。かつては西御坊駅から、同工場まで引込線も敷かれ、貨物輸送が行われていた。
御坊駅へは和歌山駅からは特急列車で40分ほど。それほど遠くはない。
とはいえ地方が直面する人口減少にあえいでいる。1985(昭和60)年には3万450人を記録した市の人口が、2018年の12月には2万3596人まで減少した。30年あまりで23%まで減ったわけだ。
和歌山県全体を見ても、その傾向は同様で、和歌山市を除き、各市町村ともに人口減少が著しい。こうした影響は顕著で、複数の鉄道路線が廃線を余儀なくされている。
野上電気鉄道(1994年4月1日廃止)、有田鉄道(2002年12月31日廃止)といった路線が廃止されている。2006(平成18)年4月には南海貴志川線の存続が困難となり、経営が和歌山電鐵に引き継がれた。いずれも地方の鉄道路線が直面する利用者の減少に悩まされた末の結果だった。
紀州鉄道も近年の鉄道統計年表を確認すると、連続して赤字経営を続けている。前述したように長期にわたる運転休止があった。訪れた時には、車内に工事の案内があった。
線路補修工事のため10月21日から31日かけて9時〜17時の間、紀伊御坊駅〜西御坊駅間の運行をとりやめます、とのこと。運休中の代換え運転が行いません、と告知されていた。
都市部の鉄道会社だったら、クレームで大変なことになりそうだ。このようなのんびりした運転形態でも、紀州鉄道には、不思議に廃線の話は持ち上がってこない。それはなぜなのだろう。
【紀州鉄道の歩み3】全国にホテルや不動産業を展開する紀州鉄道
紀州鉄道という鉄道会社名を聞いて、すでにお気付きの方も多いかと思うが、この会社が鉄道路線を維持させてきたことが大きい。
御坊臨港鉄道が紀州鉄道と名を変えたのは1973(昭和48)年のこと。御坊臨港鉄道から現在の紀州鉄道へ事業が譲渡されたことに始まる。以降、同社は「紀州鉄道」のブランド名で、全国にホテル事業、スポーツ・保養施設の運営、会員制リゾートクラブの運営・管理、さらに不動産事業を展開させてきた。
鉄道事業というのは、世の中から信用を得るためにも、またデベロッパー会社としても有利なのだろう。「○○鉄道」というブランド名を覚えてもらいやすい、などの利点が多々ある。本来ならば鉄道事業で黒字をあげて、さらに別事業でも利益を得るというのが理想的なのだろうが……。
こうして“日本最短のローカル私鉄”が長年にわたり生き延びることに結びついた。鉄道の名を欲した企業の思惑があったにせよ、結果として鉄道路線の存続に結びついたことは同鉄道にとって幸いだったと言えるだろう。
次に車両の変遷を見ていこう。近年まで使われた車両は、それこそ国内で異色の存在だった。
【紀州鉄道の車両1】独特の乗り心地が印象的だったキテツ1形
紀州鉄道は車両を新製する余裕はない。他社で使われなくなった車両を譲り受けて使ってきた。過去に走っていた車両をまず見ていこう。いずれも保存されているので、今も沿線を訪れれば気軽にその姿を見ることができる。
◇キハ600形
キハ600形は1960(昭和35)年に新潟鐵工所で造られた気動車。元大分交通の耶馬渓線(やばけいせん)を走っていた。その後、同線が廃線となったことから1975(昭和50)年に紀州鉄道に譲渡された。国鉄で言えばキハ20系といった全国の路線の無煙化に大きく役立った気動車が同時代に誕生している。
そうした年代物の車両だったが、30年以上にわたり親しまれ2009(平成21)年に運行を終了。その後に紀州御坊駅の構内に長い間、静態保存されていたが、2017年12月に駅に隣接する広場に設置され活かされている。
◇キテツ1形
2017年5月まで走っていたのがキテツ1形。この車両、富士重工業(現・SUBARU)が、バス車体をベースに開発した気動車だった。1985(昭和60)年に製造され、兵庫県の北条鉄道を走っていた。形もレールバスと呼ばれたスタイルそのものだった。古い貨車(トロッコ列車などに一部残り使われる)のように車輪が4つの2軸という珍しいタイプだった。その車両を2000(平成12)年と2007(平成19)年に2両を譲り受けた。
紀州鉄道ではキテツ1形となり1号がオレンジ色、2号がグリーンの帯をまいて紀州路を走った。
筆者も数度、乗車したことがあるが、独特な走行音とともにカーブを走る時、線路のつなぎ目を通る時に車体がカクカク動く感覚があり、決して乗り心地が良いとは言えなかった記憶がある。
とはいえ、古い時代の鉄道車両の乗り心地は堪能できた。そんな車両も2016年に引退。1号は同じ和歌山県内の有田川町鉄道公園で動態保存され、また2号は紀伊御坊駅の側線に停められている。
【紀州鉄道の車両2】信楽高原鐵道の気動車2両が譲渡され走る
現在の紀州鉄道を走る車両2両をここで紹介しておこう。いずれも滋賀県を走る信楽高原鐵道(しがらきこうげんてつどう)から譲渡された車両が使われる。
◆KR301形
KR301形は元信楽高原鐵道のSKR300形。2015年10月に信楽高原鐵道から譲渡された。全長15.5mと短め、やや丸みを帯びたスタイルが特徴となっている。車体には御坊が生誕地とされる藤原宮子(第42代天皇、文武天皇の婦人)をイラスト化した宮子姫(「みーやちゃん」というゆるキャラもあり)が描かれる。
◆KR205形
KR205形はKR301形と同じく富士重工業が製造した気動車。譲渡されたのはKR205形の205号車で、信楽高原鐵道では1992年から走り始めた。紀州鉄道では2017年4月から走り始めている。
全長はKR301形と同じ15.5mだが、天井の形が異なり、JR四国を走るキハ32形と同じ車体断面で、正面の形もキハ32形に近い。
【ギャラリーその1】
【ミニ路線めぐり1】終点の西御坊駅まではわずか所要8分
紀州鉄道の列車は朝と晩が30分間隔、日中はほぼ1時間間隔だが、御坊駅発に限っては9時台と11時台は2本が発車する一方、10時台、12時台の発車する列車はない。訪れる際には、この時刻をしっかり確認しておきたい。
平日と土曜・休日での時刻の違いはない。御坊駅〜西御坊駅間の所要時間はわずか8分だ。途中駅での下り上り列車の行き違いはなく、1編成が1日中、行ったり来たりしている。実にシンプルな運転方法だ。
運賃は御坊駅から終点の西御坊駅へ乗車しても180円、途中、紀伊御坊駅までなら150円と安い。ちなみにこの運賃、1998年4月から変更されていない。20年間、運賃が変っていないというのは何とも良心的というか、つい頭が下ってしまう。
2.7km、乗車8分、あっと言う間だが、写真中心にその行程をたどってみた。
御坊駅と次の学門駅との間が最も駅間が離れている。1.5kmもある。つまり2.7kmの行程のうち、この駅間だけで路線の半分以上、走ってしまうことになる。
0番線から発車した列車は左に大きくカーブしてJR紀勢本線と分かれ、御坊の市街を目指す。県道191号の踏切を横切ると、すぐに田畑が広がり始める。紀州鉄道の路線で、最も視界が開けるところだ。
紀州鉄道の平均時速は20kmほど。ゆっくり走る姿が、ほほ笑ましく感じる。御坊駅から4分で、次の駅、学門駅に到着する。
同駅のすぐ近くには和歌山県立日高高等学校と附属中学校があり、平日の朝には、同駅で下車する学生の姿が多い。学門駅は「学問」に通ずるということもあり、学業のお守りとして入場券の人気が高い。学門駅は無人駅のため、この入場券は隣の紀伊御坊駅で販売されている。またホームの先端部(紀伊御坊駅側)には「学門地蔵」が設置されている。
【ミニ路線めぐり2】ぜひ立ち寄ってみたい紀伊御坊駅
御坊駅から2つめ紀伊御坊駅はぜひ降りてみたい駅だ。同駅のみ駅員が常駐している。現在の駅舎は1979年に建てられたもの。開業50周年の記念切符の売り上げ2000万円が駅舎の建築費にされたというからおもしろい。
紀伊御坊駅では記念切符をはじめグッズの販売を行っている。ちなみに紀州鉄道のグッズはホームページ上の「紀鉄ショップ」で通信販売されている。売れ筋トップは学門駅の入場券をキーホルダーとした「学門お守り(550円)」だ。
この紀伊御坊駅で販売される乗車券は懐かしい台紙に印刷された「硬券」。90周年の硬券セットも駅のみで販売されている(通信販売では扱いがない)。
紀伊御坊駅の構内には検修施設もあり、駐車場側から側線に停車している車両なども見ることができる。駅に隣接した本町603広場には、前述したようにキハ600形603号機を静態保存されている。たこ焼きや軽食処として活用されている603号機。小休止にも最適な施設だ。
【ミニ路線めぐり3】終点の西御坊駅から先に廃線跡が延びる
学門駅から先は駅と駅の間が非常に短い。そのため発車したと思ったら、すぐに次の駅に到着する。学門駅から紀伊御坊駅までは0.3km、紀伊御坊駅から次の市役所前駅までは0.6km、市役所前駅から次の西御坊駅までは0.3kmしかない。
歩いても、すぐに隣の駅に着ける距離だ。この区間に御坊の本町商店街といった繁華街や、市役所などの公共施設が集中している。
終点の西御坊駅。紀州鉄道友の会から寄贈された駅名板が、駅舎に比べて非常に立派に見える。2018年に無人化された西御坊駅だが駅舎内はきれいにリメークされていて、古い紀州鉄道の写真などが展示されている。本当に小さい駅ながら、レトロなムードがたっぷりで、好感が持てた。
終点の西御坊駅から先も日高川の河岸まで路線が延びていた。廃線になったのは1989(平成元)年のこと。廃止された日高川駅までは国鉄の貨車も入線していた。ちなみに日高川駅には機関庫があったが、太平洋戦争の終戦の年、6月22日の空襲に遭い、全焼した。
さらに西御坊駅からは隣接する美浜町にあるダイワボウプログレスの和歌山工場までも引込線が延びていたとされる。
筆者は紀州鉄道へは複数回訪れているが、廃線跡は歩く時間が足りずに常に断念してきた。次回は、西御坊駅周辺もじっくり歩いてみたいと思う。ごく短い路線ながら、何度行ってもいろいろと楽しめるのが紀州鉄道なのである。