【身延線の謎③】富士宮はなぜ「やきそば」が名物となったのか?
富士駅の1、2番線ホームを発車した身延線の電車は、しばらく東海道本線と並走、次の柚木駅のアナウンスがされるころ、右にカーブを大きくきり、高架線へ入っていく。2つ先の竪堀駅(たてぼりえき)までは高架線が続く。
この高架線や、竪堀駅のホームからは迫力ある富士山の姿が前面に望める。
竪堀駅の先で地上へ降り、東名高速道路をくぐり、民家が点在する中を走る。起点の富士駅から20分で富士宮市の玄関口、富士宮駅へ到着する。
この富士宮市。富士山信仰の町として栄えてきた。富士の名に「宮」が付くことから分かるように、市内にある富士山本宮浅間(あさま、またはせんげん)大社は富士山信仰ではシンボリックな存在。駅から大社まで門前町が連なる。ちなみに駅から浅間神社までの距離は850mで11分ほどだ。
ところで、富士宮といえば名物は富士宮やきそば。代表的なB級グルメとして全国にその名が知られている。どうして富士宮ではやきそばが人気となったのだろう?
富士山麓に広がる富士宮市は、湧水が豊富だ。街中でもあちこちに湧水が湧き出す様子が見られる。この湧水を利用した食品加工業が長年、発展してきた。さらに市内には麺の製造業者が4軒あり、長年にわたりやきそば麺を生産してきた。ちょうど2006年から開かれている「B-1グランプリ」では1、2回目と連続でグランプリに輝いたこともあり、その名が全国に知れ渡った。
富士宮やきそばは調理の仕方が独特だ。麺を強制的に冷して、油(ラード)でコーティング。独特の“太さ”と“コシ”を生み出している。さらに仕上げにイワシの削り粉をかける。
市内の飲食店の多くがやきそばを提供、また「富士宮やきそば学会」なる団体も生まれている。
【身延線の謎④】西富士宮駅の先、急カーブとトンネルが連なる謎
西富士宮駅から先は、普通列車の本数が減るとともに、急に線路が険しくなる。
特に西富士宮駅と身延駅との間は急カーブが続く。なかには半径200mという、現在の在来線で最小半径の基準とされる300mを切ったカーブも存在する。さらに25‰(1000m走る間に25mを上り下りする)という勾配もある。
身延線を走る普通列車313系電車も、特急用の373系電車も、同区間に入るとスピードを抑え「キーッ、キーッ」といった独特のきしみ音をたてて走り続ける。こうした路線ということもあり、運行計画を立てる上で重要な指標となる表定速度もあがらず、身延線の表定速度は50km/hという、かなり遅めのスピードとなっている。そのため特急でも富士駅〜甲府駅間88.4kmを1時間45分、普通列車は2時間30分以上の時間がかかってしまう。
さらにこの区間のトンネルが狭小なサイズで造られている。電車が走るのにはぎりぎりサイズと言っていい。かつては狭小なトンネルがある路線を走る電車はパンタグラフが付く天井部分だけを低く下げていた。身延線を走った旧型電車もそうした天井部分を低くした構造の車両が走っていた。
JR東海の313系は、この身延線のサイズを基準にして造られている。現在のパンタグラフは、シングルパンタが一般化。柔軟性に富む構造のため、かつての車両のように屋根を低くする必要がなくなっているものの、313系などのJR東海の電車は身延線を走ることを考慮して製造されていることに代わりはない。
急カーブに狭小なトンネル。富士身延鉄道当時に造られた区間にはこのような特徴がある。もちろん、路線に沿って流れる富士川が日本三大急流でもあり、川の流れが複雑に蛇行しているため、その流れに合わせたということもある。
しかしスピードアップを目指すのであれば、橋梁やトンネルを利用して直線路で線路を通してしまう方法があったはずである。ちなみに、身延線は富士川沿いに走りつつも、一度も富士川の本流を鉄橋で渡っていない。全区間が富士川の左岸(東側)を通しているのだ。
これこそ資金難のため、ゆとりを持った線路建設ができなかった証しなのであろう。今も身延線には、そうした歴史が引き継がれている。
鉄道を通すのには厄介だった土地ながら、鉄道好きにとっては興味をそそる対象となる。乗っていて楽しい路線となる。カーブと狭小なトンネルも旅情を高めてくれる要素になっていることも確かである。