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2019/3/2 18:00

複雑な事情で謎多き山岳路線「身延線」。鉄道ライターが現地たっぷり取材

【身延線の謎⑤】なぜ山梨県はこの流域のみ南に突き出ているのか?

身延線を旅するにあたり地図を見ていて疑問に感じたこと。それはほぼ丸い形をした山梨県が南西部のみ、静岡県側に“不自然”な形に突き出していることだった。それも身延線が走る富士川流域のみだ。なぜなのだろうか。

 

山梨県の南端、富士川流域にある町が南部町(なんぶちょう)だ。南部という地名の起こりは興味深い。平安時代の末期にこの地を領地とした南部氏の名が起源になっている。南部氏はその後に子孫が岩手に移り住み、盛岡藩を長年にわたり領有している。12世紀に名を挙げ、子孫が他国へ移り住み、近代まで治めた。南部氏は稀にみる長い時代を生き抜いた武家であったことが分かる。

 

そんな南部氏が生まれた土地であるが、山梨県の起源、甲斐の国が富士川流域のみで南に突き出ているのは、南部氏とは関係が薄いようだった。

 

歴史が好きな筆者は、次の列車まで2時間待ちという合間を利用して、県境を越えてみようと考えた。そこには意外な歴史秘話が隠されていた。

↑身延線の路線では静岡県最後の駅となる稲子駅(いなこえき)。ホームからは県境にそびえる白水山(しろみずやま)などの険しい山々が見える。ただ隣の十島駅までは国道469号を通るルートがあり歩いても約2.7km 、45分ほどで越えることができる

 

身延線の静岡県最後の駅、稲子駅から国道469号を歩き、静岡県から山梨県を目指す。隣の駅、十島駅(とおしまえき)が、身延線の山梨県最初の駅となる。その距離は2.7km、歩けば45分ほどで到着できるはずだ。

 

ということで歩き出す。稲子の集落を抜けて、国道469号へ。山道ながら片側一車線の県境の国道だ。とはいえ、稲子駅からの道はひたすら登り。逆に歩けば良かったかなと反省する。

 

駅から20分ほどで県境へ着いた。ところが県境ということを示す看板はあるのだが、ほか何もない。あれれ?という思いがした。

 

↑国道469号の静岡県と山梨県の県境。身延線は峠の下をトンネルと通り抜けてしまう。同県境には何も表示がなかったが、実はここが葛谷峠という名の峠で、この写真の左側には葛谷城という古い城があることが後になって分かった

 

あっけもないくらいの県境があり、その先は山梨県となっていた。国道が拡幅され、また表示がないことから分からなかったのだが、県境は葛谷峠(くずやとうげ)で、フェンスに囲まれた立入禁止の箇所に葛谷城という山城があった(石碑もあるが、砂利採掘場となっていて立ち入ることができない)。葛谷城は16世紀初頭、今川氏が築いた。そののち武田家が攻め自軍の領地とした。

 

実はこの葛谷城、駿河の今川家と甲斐の武田家が争いを重ねた時の、攻防の地となった城だったことが分かった。

 

甲斐といえば、海なし県で、歴史書には必ず、海のない国としての宿命となった塩を他国に求める姿が描かれる。当時、駿河を領有した今川家は、塩を戦略物資として利用。塩を断つことを武器に甲斐と戦ったとされる。

 

このような地に甲斐武田家の最前線の城があり、それが今も県境となっている。ところが、そうした城跡の表示すら今は残っていないことが不思議だった。

 

↑国道469号の県境を越えて間もなく、富士川が見えてきた。江戸期には甲斐の鰍沢から河口まで米を運ぶために水運が利用された。明治期には水運を利用した運輸会社まで設立されたが、富士身延鉄道の全通後に、その役割を終えている

 

↑山梨県最初の駅の十島駅。駅は富士川沿いにある。同地区から山梨県側は富士川の東側を身延線が、西側を国道52号(身延道)が通っている。静岡県側の西富士宮駅〜稲子駅間よりも土地が開けている

 

そんな葛谷峠を越えて、あとは山梨県側に降りるだけ。山中に茶畑がひろがるとともに、富士川の流れが見えてくる。

 

間もなく山梨県側の最初の駅、十島駅に到着した。今回は、列車の合間の時間を利用して県境を歩いてみた。身延線の旅では途中、列車の本数が少なめなこともあり、合間を利用して観光スポットや歴史がある道を歩くなど、プラスのイベントを取り入れてもおもしろいかも知れない。さて、十島駅から先を急ごう。

 

↑身延線のちょうど中間点にある身延駅。特急「(ワイドビュー)ふじかわ」の停車駅となっている。特急を利用すれば富士駅から55分の距離

 

富士駅から普通列車を通して乗車すれば1時間15分ほどで身延駅へ到着する。起点の富士駅からは距離にして43.5kmあり、88.4kmある身延線の中間地点近くまで来たことになる。路線名にもなっているように、身延線の拠点となっている駅でもある。

 

身延駅は日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(バス利用で駅から12分)への参拝や、南アルプスへの登山の起点として利用する人たちが多い。

 

↑沿線から身延山(標高1153m)を望む。麓に身延山久遠寺があり、頂上に奥之院思親閣がある。山頂へは身延山ロープウェイがかかり麓の久遠寺駅から7分で到着する。頂上からは富士山や南アルプスなどの大展望が楽しめる

 

【身延線の謎⑥】駅の名は「波高島」。さてその読みがなは?

身延線には難読駅がいくつかある。内船駅(うつぶなえき)、久那土駅(くなどえき)、鰍沢口駅(かじかざわぐちえき)、金手駅(かねんてえき)といったところが代表的なところだ。

 

↑小さな駅舎の波高島駅。無人駅だが、上り下り列車の交換施設がある。駅近くは民家が数軒あるぐらいだが、富士川を渡った先に国道52号が通り、大小工場群や民家が多く立ち並ぶほか、山梨県クラフトパークといったレジャー施設も広がる

 

さて身延駅の2つ先の駅も難読駅といって良いだろう。駅の名は波高島。さて何と読む?

 

答えは「はだかじま」。

 

元は畑ヶ島と呼ばれた地域で、それがいつしか波高島となったとされる。波が高い島(島は地域という意味を含んだ)と書く理由は、富士川は流れが急で波が高いから。治水が満足に行われなかった時代、川の近くは耕作地として適さなかった。人々は川の波を逃れて水害の少ない高地で耕作を行った。

 

「波高島」は富士川水運の船着き場としても栄えた。富士川流域にはこのように、富士川と縁が深い土地名が付けられたところが散見される。

波高島駅の南で渡るのは常葉川。身延線はこの北、しばらく富士川の本流と離れ、支流の常葉川にそって山間部を走る。すでに静岡県との県境は通り抜けているが、路線の囲む景色はより険しくなり山里に分け入っていく印象が強まる

 

さて波高島駅を発車した列車は、富士川流域と離れ、支流の常葉川(ときわがわ)沿いを走り始める。

 

市ノ瀬駅〜久那土駅間は、民家が無く山の中をトンネルで抜ける。とはいえ、富士身延鉄道が独自で開通させた区間に比べて、当時の政府が建設に関わった区間のためか、極端な急カーブはなく、スムーズに列車は走る。

 

甲斐岩間駅に出れば、再び富士川流域へ出る。

 

2つ先の鰍沢口駅(かじかざわぐちえき)で甲府盆地の南端へ出る。この先は、山々に囲まれた甲府盆地の風景が目の前に広がる。

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