【身延線の謎⑦】富士山より八ケ岳の景色がより楽しめる理由
鰍沢口駅からは列車の本数も増え、甲府の近郊路線といった趣が強くなる。甲府盆地は四方を美しい山景色に囲まれる。身延線の車窓からは特に八ケ岳の眺めが素晴らしい。
とくに甲斐上野駅から先の堤の上から、さらに笛吹川橋りょうへと緩やかにカーブしていくその区間からの八ケ岳が美しく見える。
対して、富士山はと東南側を望むのだが、富士山を取り囲んでいる山並みの標高が高く、なかなか見えない。甲府盆地で望む富士山と八ケ岳ではだいぶ差がある。すり鉢状をした盆地からは視界を遮る山が有るかないかが肝心なわけだ。
終点の甲府駅が近づくに連れて、急に利用者が増え始める。カーブ上に造られた善光寺駅を過ぎれば、まもなく中央本線と合流する。次の金手駅(かねんてえき)は、平行して走る中央本線には駅がなく身延線のみに駅が設けられる。
「金手」とかいて「かねんて」という読ませる難読駅だが、その語源はこの地を通る旧甲州街道の形にある。城下町らしくクランク状に道路がなっていて、この形のことを「鍵手(かぎて)」呼んだ。それが訛って「かねんて」と呼ばれるようになったとされる。
【身延線の謎⑧】さて甲府駅近くに建つ甲府城の旧主は誰?
甲府駅が近づくと左手に甲府城の石垣が見えてくれば終点、甲府駅も間もなくだ。さて、この甲府城、代表的な主(あるじ)と言えば?
甲斐といえば、戦国時代に甲斐を治めた名将・武田信玄の名が良く知られている。甲府駅前にも信玄の銅像が立つが、甲府城の主は信玄ではなかった。信玄は四方山々に囲まれた甲斐の国全体を一つの城と考え、あえて攻防のための城や、領主として住むための城を設けなかったとされる。
甲府城が造られたのは武田家が滅びたあとの1590年のことで、羽柴秀勝(豊臣秀吉の甥)が甲府城主となり、甲府城を築城した。関ヶ原の戦い以降は徳川の城となり、柳沢吉保らが城主となる。柳沢家が転封された後は幕府の直轄領となり、城は甲府勤番の支配下におかれた。
長い間、甲斐を治めた大名が存在しなかったこともあって、甲府城の主といわれても印象が薄いというのが現実だったのである。
【身延線の謎⑨】リニア新幹線の新駅と身延線を接続させない謎
今回、乗って旅した身延線が、来年には大きく変わる可能性がある。
身延線とほぼ平行したルートに建設が進む中部横断自動車道の新清水JCT(新東名高速道路と接続)と双葉JCT(中央自動車道と接続)間74.5kmが開業する。この中部横断自動車道開業後の高速バスの運行はまだ未発表だが、当然ながら静岡駅と甲府駅を結ぶ高速バスの運行が予想される。
新開業の高速道路を通って静岡駅と甲府駅が結ばれれば、現在2時間50分ほどかかるバスの所要時間も、約1時間の時間短縮が予想される。ちなみにバス便は片道が2550円(しずてつエクスプレスバスを利用)ほど、特急は所要2時間20分で、4100円(自由席利用の場合)かかる。高速料金が割り増しとなるものの特急の利用料金よりは安くなると見られる。
時間も短縮され、料金も割安となれば、高速バスが圧倒的に有利になるだろう。対してカーブが多くスピードアップが難しい身延線の特急列車は不利になる。現在、JR東海は1年後の身延線の運行予定を明らかにしていないが、おそらく特急列車は減便となりそうだ。
さらに身延線にとって残念なことがある。2027年度に完成する予定のリニア中央新幹線の新駅が、路線と交差する小井川駅(こいかわえき)でなく、離れた甲府市大津に決まったのだった。
在来線というせっかくの公共のインフラをなぜ利用しないのだろう。しかもJR東海の自社の路線なのに。使う側の便利さを念頭におかれずに決められた新駅。身延線は今後どうなってしまうのだろう。置き去りにされた状態にならないことを祈るばかりだ。
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