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2022/10/1 21:00

人情味あふれる南秋田!ほのぼの「由利高原鉄道」の旅

おもしろローカル線の旅96〜〜由利高原鉄道・鳥海山ろく線(秋田県)〜〜

 

秋田県の県南、由利本荘市内を走る「由利高原鉄道」。鳥海山ろく線を名乗るように、沿線から鳥海山を望める風光明媚な路線である。この鳥海山ろく線に乗ったところ、他の路線にはないいくつかの出会いがあった。人情味あふれるほのぼの路線だったのである。

*取材は2014(平成26)9月、2015(平成27)9月、2022(令和4)年7月31日に行いました。一部写真は現在と異なっています。

 

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【鳥海山ろく線の旅①】横手と路線を結ぼうとした横荘鉄道

鳥海山ろく線の概要をまず見ておこう。

 

路線と距離由利高原鉄道・鳥海山ろく線:羽後本荘駅(うごほんじょうえき)〜矢島駅間23.0km 全線非電化単線
開業1922(大正11)年8月1日、横荘鉄道(おうしょうてつどう)により羽後本荘駅〜前郷駅(まえごうえき)間11.7kmが開業、1938(昭和13)年10月21日、羽後矢島駅(現・矢島駅)まで延伸
駅数12駅(起終点駅を含む)

 

始点駅となる羽後本荘駅と前郷駅の間の路線は誕生して今年でちょうど100周年になる。当時、横荘鉄道という民間の鉄道会社により路線が開設された。

↑鳥海山ろく線の終点駅の・矢島駅。過去には横手と路線を結ぶ計画があった

 

横荘鉄道という鉄道会社は、今ふりかえると少し不思議な鉄道会社だった。横荘の「荘」は由利本荘市(当時は「本荘町」)を元にしていると分かるが、「横」はどこだったのだろう。この「横」は由利本荘市の東側に隣接する横手のことだった。つまり今から100年以上前の人々が、奥羽本線が通る横手と本荘を鉄道で結ぼうと計画した路線だったのである。横荘鉄道は、本荘側の一部区間を1922(大正11)年に開業させたが、横手側では、これよりも早く1918(大正7)年に横手駅〜沼館駅(ぬまだてえき)間を開業させている。

 

その後、本荘側と横手側の路線は違う歴史をたどる。横手側は1930(昭和5)年に老方駅(おいかたえき)まで延伸させた。本荘側では、横荘鉄道が延伸工事を進めていたが、1937(昭和12)年9月1日に国有化され国鉄矢島線となり、1938(昭和13)に矢島駅まで延伸され、現在の鳥海山ろく線にあたる路線が全通している。

 

一方の横手側は戦時中の1944(昭和19)年に羽後鉄道横荘線となり、1952(昭和27)年に羽後交通横荘線に名称変更したが、1971(昭和46)年7月20日に全線が廃線となった。横荘鉄道が企画した路線の夢はついえたわけだ。地図を見ると矢島駅から、羽後交通の老方駅へは山間部が続き、路線が開業できたかどうか疑問に感じるようなところだ。

 

ただ興味深いことに、羽後交通横荘線の終点、老方駅は現在の由利本荘市東由利(旧東由利町)にあった。旧老方駅は由利本荘市と横手市をストレートに東西に結ぶ現在の国道107号上にあった。対して、現在の鳥海山ろく線は、羽後本荘駅から南東に走る国道108号にほぼ沿って走っている。このあたりどのようなルートを夢見たのか、当時の人たちに話を聞いてみたいところだ。

 

現在の鳥海山ろく線は、国鉄矢島線として長い間走ってきたが、1981(昭和56)年9月11日に第1次廃止対象特定地方交通線として廃止が承認された。その後、同線は当時の本荘市を中心とした地方自治体が出資する第三セクター経営の由利高原鉄道に転換し、1985(昭和60)年10月1日からは鳥海山ろく線として走り始めたのである。2005(平成17)年3月22日に本荘市と周辺の由利郡の7つの町が合併し、鳥海山ろく線は現在、全線が由利本荘市内を走る路線となっている。

 

【鳥海山ろく線の旅②】由利高原の名が付くものの標高は低い

鉄道会社の名前は由利高原鉄道となっている。乗車して分かるのだが、山の中を上り下りするのは子吉駅〜鮎川駅間ぐらいのものだ。始発駅の羽後本荘駅は標高7m弱、終点駅の矢島駅も標高53mぐらいとそれほど高くない(国土地理院標高地図で計測)。

 

第三セクターの路線では、他に滋賀県の信楽高原鐵道(しがらきこうげんてつどう)という路線があるが、こちらも高原は走っていないが、山間部は走っている。このあたりは、鉄道会社名を命名するにあたっての〝イメージ戦略〟ということもあるのだろう。

 

ちなみに路線の南西部、鳥海山麓には由利原高原と呼ばれる高原エリアがあって、そちらにはゆり高原ふれあい農場など「由利(または『ゆり』)高原」を名乗る施設が複数ある。

↑曲沢駅(左上)付近から見た鳥海山。鳥海山山麓の北側の高原地帯の一部が由利原高原、または由利高原と呼ばれている

 

由利高原と鳥海山麓が出てきたので、この高原地帯の頂点にある鳥海山の解説をしておきたい。鳥海山は山形県と秋田県のまたがる標高2236mの活火山で、日本百名山の一つとして上げられている。

 

独立峰ということもあり、四方から美しい山容が楽しめる。秋田県側には一番古い歴史を持つ登山道として「矢島口(祓川・はらいがわ)ルート」があり、矢島駅から鳥海山5合目であり山への登り口にあたる「祓川」まで、夏山シーズンにはシャトルバスも運行されている。

 

【鳥海山ろく線の旅③】おもちゃ列車という観光列車も走る

ここで鳥海山ろく線を走る車両の紹介をしておこう。現在、車両は2タイプが走る。

 

◇YR-2000形

↑「おもちゃ列車」として走るYR-2001。車内にはキッズスペース(右上)があり、木のおもちゃなども用意されている

 

2000(平成12)年と2003(平成15)年に2両が製造された。新潟鐵工所(現・新潟トランシス社)製の地方交通線用のNDCタイプの気動車で、由利高原鉄道としては初の全長18m車両の導入となった。

 

2両のうちYR-2001は、沿線に「鳥海山 木のおもちゃ美術館」が2018(平成30)年7月に開設されたことに合わせてリニューアルされた。車両の名前は「鳥海おもちゃ列車『なかよしこよし』」で、アテンダントが乗車する「まごころ列車・おもちゃ列車」などとして運行されている。客室内には木材を多用、キッズスペース、サロン席などが設けられた楽しい車両だ。

 

◇YR-3000形

↑YR-3000形の最初の車両YR-3001。車体横に車両の愛称「おばこ」と鳥海山が描かれている。「おばこ」とは方言で娘さんの意味

 

YR-3000形は2012(平成24)年から2014(平成26)年にかけて3両が製造された。製造は日本車輌製造で、長崎県を走る松浦鉄道のMR-600形をベースにしている。3両とも車体色が異なり、1両目のYR-3001は緑色、2両目のYR3002は赤色、3両目のYR-3003は青色をベースにした塗り分けが行われている。

 

YR-3000形は1両編成で走ることが多いが、イベント開催時などには3両編成といった姿も見ることができる。ただし、YR-2000形との併結運転はできない。この車両の導入により由利高原鉄道が開業した時に導入したYR-1500形(旧YR-1000形)がすべて廃車となっている。

 

【鳥海山ろく線の旅④】始発駅は、由利本荘市の羽後本荘駅

鳥海山ろく線の始発駅、羽後本荘駅から旅を始めよう。由利本荘市の玄関口だ。由利本荘市なのに、駅の名前は羽後本荘駅なので注意したい。

 

鉄道省の陸羽西線(当時)の駅として羽後本荘駅が誕生したのは1922(大正11)年6月30日のことだった。現在の鳥海山ろく線の羽後本荘駅はその1か月ちょっと後の開設で、両線の駅が同じ年に生まれたことになる。ちょうど100年前と、幹線の駅としてはそれほど古くない。これには理由がある。

 

当初、日本海沿いを走る羽越本線の工事が手間取り、南と北から徐々に路線が延ばされていった。最後の区間として残ったのが新潟県の村上駅と山形県の鼠ケ関駅(ねずがせきえき)間で、この駅間の開業が1924(大正13)年7月31日のことだった。これで、日本海沿いに新潟県と秋田県を結ぶ羽越本線がようやく全通したのだった。

 

東北地方を南北に貫く路線の中で、羽越本線よりも前に開通していたのが、奥羽本線だった。1905(明治38)年に湯沢駅〜横手駅間の開業で、福島駅〜青森駅間が全通している。奥羽本線が20年近くも前に全通していた経緯もあり、横荘鉄道が横手駅から羽後本荘駅への鉄道路線を計画したようだ。

↑昨年8月に橋上駅舎が完成した羽後本荘駅。写真は東口で、橋上にある自由通路から鳥海山が遠望できる(左上)

 

羽越本線の羽後本荘駅は秋田駅から特急「いなほ」を利用すれば30分、普通列車ならば約50分で到着する。1番線〜3番線が羽越本線のホームで、3番線と同じホームの4番線が鳥海山ろく線の始発ホームとなる。鳥海山ろく線の羽後本荘駅発の列車は朝6時50分が始発で、以降、ほぼ1時間に1本の割合で列車が走っている。

 

【鳥海山ろく線の旅⑤】乗務員の気配りにびっくり!

鳥海山ろく線を土日祝日に旅する場合には「楽楽遊遊(らくらくゆうゆう)」乗車券1100円を購入するとおトクだ。羽後本荘駅〜矢島駅間の運賃が610円なので、往復するだけで十分に元が取れる。しかし、筆者は一つミスをしてしまった。羽後本荘駅の窓口が開き、その乗車券が購入できるのは7時30分以降のこと。その前の列車に乗ろうとすると、有人駅の前郷駅、矢島駅まで行って乗車券を買わなければいけない。

↑羽後本荘駅の4番線に停車する矢島駅行き列車。週末の利用には「楽楽遊遊」乗車券(右上)がおトクになる

 

ワンマン運転を行う乗務員からは購入できないのである。筆者は朝一番の列車に乗って、鳥海山が良く見える曲沢駅で降りて撮影をと考えていた。

 

そのことを乗務員に伝えると、「前郷駅で行き違う上り列車の運転士に『楽楽遊遊(らくらくゆうゆう)』乗車券を託しますから曲沢駅で受け取ってください」とのこと。

 

さすがにそこまでやっていただくのは申し訳ないと思い、手配してもらうことは遠慮し、有人駅の前郷駅を目指すことにした。こうした手配は、乗車した乗務員個人の配慮だとは思われるが、1人の旅人に向けての気遣いがとてもうれしかった。実はこの乗務員とは、帰りにも出会い、再び細かい心配りをしていただいたのである。

 

こうした乗客のことを考えた姿勢は、由利高原鉄道全体の社風なのかもしれない。前郷駅で「楽楽遊遊」乗車券を購入したら、2023(令和5)年3月31日まで有効の「楽楽遊遊」乗車券をもう1枚プレゼントされたのである。同乗車券は沿線の食堂や公共施設などの割引優待券も兼ねており、旅する時に便利だ。

 

同社の思いきった施策は定期券の販売にも見られる。2021年度と2022年度の一時期、通学定期券の金額を半額程度まで引き下げたのである。さらに定期券を購入すると、カレーや中華そばといった同社のオリジナル商品もプレゼントされた(時期限定)。そのことで前年に比べて利用者が約2倍に増えたそうだ。割引をしたとはいえ、隠れた需要の掘り起こしに結びついたわけで、何とも思いきったことをする会社でもある。これも乗客への心配りの一環と言えるだろう。

 

さて、前置きが長くなったが鳥海山ろく線の旅を始めよう。羽後本荘駅の次の駅は薬師堂駅。この駅までは羽越本線に平行して走る。複線の羽越本線の東側に平行して鳥海山ろく線の線路が延びている。薬師堂駅から左にカーブ、進行方向右手に鳥海山や山々が見えるようになる。

↑羽後本荘駅から薬師堂駅(左上)までは羽越本線と平行して走る。訪れた日には珍しいYR3000形が3両で走るシーンが目撃できた

 

このあたり、進行方向左手に国道108号が並走する。左右に水田が広がるが、南側に鉄の柵が線路に連なるように立てられている。この柵は防雪柵といって、冬に発生しがちな吹雪から列車を守る装置だ。春から秋までは柵となる鉄板は外されているため、車窓の眺めに影響はない。

 

ちなみに、同社ホームページには「各駅・駅周辺みどころ案内」として駅の案内がアップされている。駅周辺を見渡す「全画面パノラマ」といった試みも行われる。こうした例は他社では見たことがない。これも同社の心配りのように思う。旅する前に一度、見ておくことをおすすめしたい。

 

薬師堂駅の次は子吉駅。ホーム前に水田が広がるものの、駅舎は郵便局も兼ねている。子吉駅を過ぎると国道108号から離れ山の中を走る。15パーミルの坂を下りて鮎川を渡れば鮎川駅へ到着する。この鮎川を渡る手前、右手にあゆの森公園があり、沿線で一番の人気スポット「鳥海山 木のおもちゃ美術館」が隣接している。

 

【鳥海山ろく線の旅⑥】鮎川駅前のかわいらしい待合室は?

↑鮎川駅の駅舎。ホーム上にはかわいらしい「世界一小さな待合室」(左下)が設けられている

 

鮎川駅のホーム上には「世界一小さな待合室」がある。中に入ろうとすると、大人では頭がつかえてしまう高さの待合室だ。この駅からは前述した「鳥海山 木のおもちゃ美術館」行きシャトルバスが出ている。駅舎を出ると左にふしぎな建物が。こちらは「あゆかわこどもハウス」と呼ばれるこども待合室で、室内にはバスや列車を待つ間に遊べるように、木のおもちゃなどが置かれている。

 

興味深いのはこの待合室がクラウドファンディングによるプロジェクトにより建てられたこと。528万5000円の支援が集まったそうだ。

↑鮎川駅前に設けられたこども向け待合室。室内には木の椅子や、木のおもちゃ(右上)なども置かれて時間待ちに最適だ

 

なお、鮎川駅から「鳥海山 木のおもちゃ美術館」までは直線距離にすれば近いのだが、鮎川を渡る橋がないため、国道108号を経由しなければならずに、歩くと大人の足で22分ほど、約1.7kmの距離がある。

 

【鳥海山ろく線の旅⑦】子吉川を渡り、川に沿って南下する

鳥海山ろく線の各駅はみな個性的で、地元の方たちが掃除したり、花を植えたり手間をかけているのできれいだ。地元の方々に「自分たちの鉄道を守る」という思いが強いのであろう。

 

次の黒沢駅からは広がる水田の中、カーブを描いて駅に近づいてくる列車が絵になる。同社パンフレットにも「撮り鉄に大人気」とあった。筆者は7年前に花々と列車を撮影したいと、黒沢駅を訪れたことがある。ちょうどホーム上にキバナコスモスが咲き乱れ、停車する列車と駅が美しく撮影できた。

 

そんな黒沢駅で新発見。ホームの集落側に階段が設けられていた。ホームの柵も強化されていた。これまでホームには中央部の階段からしか入れない構造だったが、階段の新設は利用者の使いやすさを考えたものなのだろう。残念ながら花壇は小さめのプランターとなっていたが、安全性を高めるためにこれらの配慮をしているように感じた

↑2015(平成27)年9月初頭の黒沢駅。左上は今年の夏の黒沢駅。ホームが整備され、手前に階段が設けられていた

 

黒沢駅を出発すると、すぐに川を渡る。子吉川と呼ばれる一級河川だ。鳥海山麓を源流にして日本海へ流れ込む。秋田県内では雄物川、米代川に次ぐ第三の流域面積を持つ。

↑黒沢駅〜曲沢駅間で子吉川を渡る。橋の名前は滝沢川橋梁となっている。上流部では路線と並走して流れる区間もある

 

鳥海山ろく線は黒沢駅〜曲沢駅間に架けられた滝沢川橋梁で子吉川を渡った後に、子吉川とほぼ並走するようになる。西滝沢駅〜吉沢駅間で再び子吉川を渡るが、こちらは子吉川橋梁と名付けられている。

 

【鳥海山ろく線の旅⑧】前郷駅で今も行われるタブレット交換

鳥海山が望める駅・曲沢駅を過ぎたら次は前郷駅だ。鳥海山ろく線の場合には、前郷駅のみで上り下り列車の行き違いが行われる。この駅では、全国でも珍しい「タブレット・スタフ交換」作業が今も続けられている。専門用語では「閉塞」と呼ばれる信号保安システムの一種類で、この前郷駅で「タブレット・スタフ交換」をすることにより、羽後本荘駅〜前郷駅間と、前郷駅〜矢島駅間のそれぞれの駅間で2本の列車が同時に走らないように制御しているわけだ。

 

羽後本荘駅〜前郷駅間が小さめのスタフで、前郷駅〜矢島駅間では大きめのタブレットが使われる。それぞれには、金属製の円盤が通行証として入っている。こうしたタブレットとスタフの2種類の交換で運用されている鉄道会社は、全国の路線でもここのみだ。各地で残るこの交換作業は、大きめのタブレットのみか、小さめのスタフのみが使われていることが多い。安全運転を行う上でなかなか興味深いルールだと思った。

↑前郷駅で上り下り列車が行き違う。その際に、大きなタブレットと、小さめのスタフの交換作業が行われている(左上)

 

なお前郷駅での交換作業は、上り下りの列車行き違いが行われる時のみ。全列車ではないので時刻表を確認してから訪ねることをおすすめしたい。

 

前郷駅前には集落が広がっていたものの、その先は水田風景が広がる。前郷駅の一つ先、久保田駅は青いトタン屋根の小さな家が駅舎として使われている。この久保田駅から先はほぼ子吉川沿いに列車は走る。

↑青いトタン屋根の久保田駅の駅舎。ホーム一本で、下に駅舎があるのだが、民家のような造りが楽しい

 

次の西滝沢駅の先、子吉川橋梁で子吉川を渡る。ややカーブした橋でやや高い位置を列車が走ることもあり左右の眺望が開けて爽快だ。次の吉沢駅は、田んぼの中にぽつんと設けられた無人駅だ。最寄りの集落は国道108号を渡った先にあり、駅から最短で300mほど歩かなければならない。なかなかの〝秘境駅〟である。

 

吉沢駅と川辺駅の間は、進行方向左手に注目したい。この駅間で、もっとも子吉川の流れが良く見える。川とともに周囲の山々が美しく、撮影したくなるような区間だ。

↑川辺駅〜矢島駅間にある鳥海山ろく線唯一のトンネル・前杉沢トンネル。トンネルを抜けると終着駅の矢島駅も近い

 

↑水田と集落に囲まれて走る「おもちゃ列車」。この堤を駆け上がれば終点の矢島駅に到着となる

 

川辺駅を発車したらあと一駅。国道108号を立体交差で越えて、鳥海山ろく線で唯一のトンネル・前杉沢トンネル520mへ入る。トンネルを抜けたら間もなく目の前に広がるのは、由利本荘市矢島地区の町並みだ。

 

【鳥海山ろく線の旅⑨】矢島駅では手書き鉄印が名物に

羽後本荘駅から約40分で終点の矢島駅へ到着した。駅前に出ると、建物の間から鳥海山を望むことができる。沿線の各所で鳥海山は眺望できたが、矢島まで来ると、鳥海山がくっきり見えるようになる。

↑鳥海山ろく線の終点・矢島駅。開設当時は羽後矢島駅という駅名だったが、由利高原鉄道に転換時に矢島駅に改名された

 

↑矢島駅の構内には車庫があり、給油や車両の整備などが行われる。転てつ機などの古い機器が検修庫の横に置かれていた

 

訪れた日はちょうど自転車のロードレース大会が矢島を起点に開かれていて、全国から多くの人が訪れていた。どのような大会なのかと見て回る。このぶらぶら散策したことが小さな失敗に。

 

全国の第三セクター鉄道を乗り歩く際に記念となる「鉄印」だが、由利高原鉄道の鉄印は「由利鉄社員」の直筆鉄印(300円)と、「売店のまつ子さん」直筆の鉄印(500円)など複数の鉄印を用意している(9時〜17時の営業時間内)。そのうち名物となっているのが「売店のまつ子さん」の鉄印だ。だが、駅に戻ってきたのが列車の発車5分前と時間がない。筆者はどうも行き当たりばったりで旅することが多くよく失敗する。書いていただく時間を計算していなかったのである。

 

受付の人は渋い顔だったが、まつ子さんは快く「大丈夫よ!」と言い、時間が無いなかさらさらと書いていただけたのである。

 

「売店のまつ子さん」の店で書いてもらうと、しおりや、200円分の菓子が鉄印代に含まれる恩恵もある。まつ子さんはメディアなどでも紹介されているが、まさに心配りの人だった。

↑「売店のまつ子さん」が記帳した鉄印。にじみを防ぐために右下のしおりまで付けてくれた。右上のように、目の前で書いてもらえる

 

慌ただしい一時ながら無事に鉄印も書いていただき、帰りの列車に乗り込む。乗車したのは「おもちゃ列車」だった。かすりを着た「秋田おばこ」姿の列車アテンダントも同乗している。

 

矢島駅を出発する時にホームを見ると、列車の見送りに「売店のまつ子さん」が出ていらっしゃったではないか。「愛知からありがとう、伏見からありがとう……皆様ありがとう」の墨書きを持ちつつ、手を振るのであった。まつ子さんとの再会を願いつつ手を振り返し、矢島駅を後にしたのであった。

 

【鳥海山ろく線の旅⑩】帰りの列車の降車時にも小さなドラマが

筆者は「楽楽遊遊」乗車券を購入したこともあり、途中下車して、列車や景色を撮影しながら帰ることにした。まずは曲沢駅で下車しようと、乗務員に乗車券を見せて降りようとすると、朝に細かい心配りをしていただいた乗務員だった。「朝は、心配りありがとうございます」と告げると、覚えていたようで、「こちらこそ、いい写真が撮れましたか?」と話す。

 

そして思い出したように、筆者を呼び止め、「今日は特別にYR3000形の3両編成が走るんですよ」とひとこと。矢島で行われたイベントの参加者向けに3両編成という特別列車が運行されることを教えてくれたのだった。

 

わずかな時間の交流だが、それだけで十分だった。教えてもらえなければ、3両編成の運行は知らずにそのまま帰っていたところだった。

↑黒沢駅を発車して子吉川の堤防にさしかかる「おもちゃ列車」。軽く警笛を鳴らして、通り過ぎていった

 

曲沢駅で降りた後に、子吉川の堤防上で、羽後本荘駅で折り返す列車を待ち受けた。親切に対応していただいた乗務員が運転する列車だった。撮影にあたり、こちらは〝いろいろとありがとう〟という気持ちを込めて列車に片手をあげて合図を送った。すると列車も軽く警笛を鳴らして通り過ぎた。筆者が撮影していたことを確認しての警笛の〝返礼〟だったように思う。

 

子吉川の堤防の上に爽やかな風が吹き抜けたように感じたのである。