「ビジネスだけど、それだけじゃない。自分たちがつくる野菜を食べた人に、健康になってほしい。それに尽きる」
——そう語る口調は力強い。まっすぐな眼差しをこちらに向けるのは、日本のハーブ栽培の第一人者・霜多増雄さんだ。1945年、茨城県取手市に生まれた霜多さんは高校卒業と同時に、家族の営む農家に就農。75年にはハーブと生食野菜の栽培を始める。90年に株式会社シモタ農芸(シモタファーム)を設立した後は、2003年の「全国農業コンクール優秀賞」、07年の「日本農業賞(金賞)」のほかにも、15年には農事功労者に贈られる「緑白綬有功章」を受章。現在、息子の辰樹さんと共にシモタファームを経営しており、19年からは開発途上国への国際協力を行うJICA(独立行政法人 国際協力機構)の民間連携事業でインドネシアでの野菜栽培に挑戦している。
エビデンス(根拠)のある野菜づくり
霜多さんの野菜が評価される背景には、「無農薬・無除草剤・無殺菌剤」「自家製完熟堆肥」「抗酸化力」など、いくつかのキーワードがある。しかし、最も特徴的なのは、シモタファームの掲げる「エビデンス(根拠)のある野菜づくり」だろう。シモタファームには農場に面するラボがあり、野菜に含まれるさまざまな成分を解析。第三者機関によるデータ分析と合わせることで、科学的に立証された野菜づくりを実践している。
「国は1日300グラムの野菜を摂るようにと言っているけど、そんなに食べられない。うさぎじゃないんだから。でも、うちの野菜なら、それより少ない量で300グラム分の栄養をまかなえる。データが出ているから、わかるんだ」(※1)
長年の経験と、科学的分析によって保証された品質。一流ホテルのシェフらが霜多の野菜を愛用するほかにも、都内の有名飲食店での講演、著書の出版など、霜多さんの野菜とその知見を求める人は大勢いる。
インドネシアで栄養分の高い野菜を
そんななかで、霜多さんが力を入れ始めたのはインドネシアでの野菜の栽培だ。シモタファームは、19年から同国での高品質野菜の生産・販売の可能性を探る調査(※2)を始めた。この調査はJICAの支援を受けたもので、日本のODA実施機関であるJICAと連携することにより、「畑を借りるなどの交渉がとてもスムーズだった。初めから信用を得ている状態。相手が、私たちのことを何者かわかっている。日本の中小企業が自分たちだけで動くとなると、こうはいかないですね」と、霜多さんの息子・辰樹さんは振り返る。
インドネシアでは、経済成長による国民平均所得の上昇に伴い、食に対する安全や鮮度を求める消費者が増加。一方で、農薬の過剰使用による残留農薬の検出や、農家の低収入が問題化しており、農家所得の向上につながる高品質な野菜の生産・販売システムの近代化が課題となっている。
今回の調査の位置づけは、シモタファームの知見を生かした完熟堆肥による土壌づくりや、野菜成分の科学的分析技術を通じた安全な野菜栽培を現地で確立するための出発点。インドネシアの農家からは「農産物の安定的な生産」「“栄養成分の高い野菜”という付加価値による野菜の価格向上」「生産者の所得向上」が期待されている。ただ、霜多の思いは、よりシンプルだ。——御年75歳での海外進出。そのバイタリティはどこから湧いてくるのか、という質問への答えが冒頭の「自分たちがつくる野菜を食べた人に健康になってほしい」という言葉だったのだから。
野菜づくりへの揺るぎない自信があってこその発言。それを裏打ちするのが科学的分析だ。しかし、霜多さんが最初から科学的エビデンスの重要性を認識していたかと言えば、そうではない。ハーブの栽培や科学的分析、そして開発途上国での高品質な野菜づくりなど、独自の道を進み続ける背景には霜多さんの先見の明が導いた、いくつもの出会いがあった。
「世界への扉が開いた。挑戦はこれから」
高校卒業後、家業である農業に従事することになった霜多さんは、フランスのレストランでハーブと出会う。サラダがテーブルに運ばれてきた際は、「ずいぶん匂いが強いな」と思ったが、食べてみると未体験のうまさに驚いた。続いて出てきた肉料理の上には、ミントソースが。
「絶品でした。ハーブのことをまったく知らない自分でも、これだけおいしいと感じたのだから、日本でも絶対に洋食文化が広まると確信した」
帰国後、間もなくしてハーブづくりに着手するも、市場に持っていくと「臭い葉っぱを持ってきているやつがいる」と笑われた。当時の日本では、まだハーブの知名度が低かったためだ。しかし、霜多さんのハーブにいち早く目をつけたのが、ホテルオークラの小野ムッシュや帝国ホテルの村上ムッシュだ。次第に、国外のハーブの種子を持ち帰ってきたシェフから「このハーブを育ててみてほしい」とお願いされるほどの仲になった。
スペアミントの次に目をつけたのが、バジルとイタリアンパセリだ。バジルは通年栽培が難しいとされていたこともあり、かつては代替品としてシソを使う飲食店もあったが、霜多さんはバジルの年間供給に成功。注文がひっきりなしに来るようになった。さらに、80年代後半からのイタメシブームが、ハーブ需要に拍車を掛けた。ハーブ栽培の事業は、時代の流れと共に着実に軌道に乗っていった。
ハーブの第一人者として知られるようになった30年ほど前、新潟県津南町からの依頼で、同地でのハーブ栽培を手掛けることになる。そこで出会ったのが、新潟薬科大学の教授だ。
「先生に、栽培についての持論を話したんだ。いい土があって、いい肥料があって、いい野菜があれば人間は健康になるんだ、って。『そんなにいい野菜なら、一度送ってみてくれませんか?』と言うから送ってみると、『硝酸が高くて、あまり良くないですね』と。機械で分析してくれたんだね。こっちは有機農業の観点で“いい野菜”をつくっていると思っていたけど、科学的な側面で細部まで見るとそうではなかった。頭をガツーンとされたような感覚だった」
これが、「エビデンスのある野菜づくり」の始まりだ。分析の対象は、野菜・シモタ農芸・堆肥の3つ。それぞれが、作物の生育や栄養分に、どのように影響を与えるのかを教授と共に徹底的に調べ上げた。そして約10年もの歳月を掛けて誕生したのが、安心・安全でおいしい野菜づくりを支える自家製完熟(オーガニック)堆肥だ。堆肥の原料である廃棄野菜や牛糞などの成分をはじめ、水分量や温度を試行錯誤。野菜の旨味を引き出す、理想の土壌環境をつくり上げた。
霜多さんが目指す“本物の野菜”とは、植物栄養素の多い野菜。科学的に言うと、発がん性物質の生成などの関係性が指摘されている“硝酸塩濃度”が低く、体の老化につながる活性酸素の発生を抑えるとされる“抗酸化力”が高い成分の野菜のことだ。たとえば、市販の一部のほうれん草にある“えぐみ”。これは、硝酸塩濃度が高いほど強くなる。さらに、硝酸塩濃度が低い野菜は食物栄養素が少ないことがわかっている。
そこで生まれたのが、「自分たちの野菜を世界に広めることで、海の向こうにいる人たちにも健康になってほしい」という思いだ。JICAの調査案件においてインドネシアを選んだのは、兼ねてから独自のルートで同国から農業を学ぶインターン生を受け入れている縁のほかにも、「インドネシアは、“地球のへそ”として有名なエアーズロックのあるオーストラリアの真上に位置する国。地理的に欧州にもアメリカ大陸にも輸出がしやすいと判断した」という理由がある。インドネシアなら、世界中にシモタファームの野菜を世界に輸出して、届けることができる。現在、調査はほぼ終了段階にある。
最後に、霜多さんは農業のステータス向上への願いを力強く語った。
「農業って、どこの国でも“貧困”が枕詞に付く。開発途上国では、それが特に顕著でしょう。でも、“医食同源”という言葉があるように、食は医療と同じくらいに健康に左右するものでしょう。同時に、食に関する仕事は医療と同じくらいに大切な職業のはず。なのに、どうして農家は貧困に悩んでいるんだと。うちの野菜を広めることで、栄養改善以外にも農家の収入向上につなげていければ。今回、JICAの協力を得た調査は、海外での栽培・輸出の突破口となった。決して簡単なチャレンジではないが、インドネシアの大学と協力して分析・調査を進めるなど、人とのつながりが生まれた。そこに希望を感じている」
【関連リンク】
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※2 JICAの「中小企業・SDGsビジネス支援事業」。開発途上国が抱える課題解決に向け、日本の民間企業が持つ優れた製品・技術の活用を支援する活動。JICAは、調査経費や相手国政府との関係構築などにおいて民間企業のサポートを行っている。
完熟堆肥による土壌改善と科学的分析に基づく高品質野菜の生産・販売体制構築に係る案件化調査