かつてラグビー日本代表で活躍し、昨年度はサントリー監督就任1年目にしてチームを日本一へと導いた沢木敬介監督。就任以前も2015年のラグビーワールドカップに出場した日本代表のコーチングコーディネーター、それ以前はサントリーやU20日本代表のヘッドコーチなどとして手腕を発揮した。そこには現役時代の経験が大いに活かされているという。前編に続いて沢木監督に話を聞いた。
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「勝てないコーチに需要はない」という言葉が示す沢木の未来像
2007年春、同年のラグビーワールドカップの日本代表候補にも一時選ばれていたものの、深刻な首のケガを抱えていたことから同年度をもって現役引退を決意した沢木。31歳で指導者の道を歩み始めた。
「現役最終年となった2006-2007シーズン当時、監督だった清宮さん(清宮克幸・現ヤマハ発動機ジュビロ監督)に引退を相談しました。いずれにしても首のケガはあと半年ともたなかったでしょうからね。次のシーズンからバックスコーチとして誘っていただいた清宮さんには本当に感謝しています」(沢木監督)
そして当時、サントリーのテクニカルアドバイザーを務めていたのが、後に日本代表のヘッドコーチに就任するエディー・ジョーンズだった。ラグビーワールドカップ2003年大会で母国オーストラリアをヘッドコーチとして準優勝に、2007年大会では南アフリカをテクニカルアドバイザーとして優勝に導くなど、すでに世界的名将として実績を残していたエディー・ジョーンズは、沢木に大きな影響を与えたコーチの一人だ。
「エディーと初めて会ったのは彼が東海大学でコーチをしていたとき(1996年ごろ)ですね。サントリーでも現役1年目から指導を受けた間柄です。僕が選手から指導者になったときも『ハードワークしなければいけない』、『常に向上心や学ぶ意識を持っていなければいけない』ということをエディーから学びました。ただ、ラグビーの戦術・戦略面に関してはあまり影響を受けていないんです。受けたのはマネジメントの仕方、プランニングの作り方。コピーしようとは一切思っていません」(沢木監督)
沢木がサントリーのバックスコーチに就任した2007年、エディー・ジョーンズが連れてきたスポットコーチによるキックの指導が、コーチングキャリアにおける大きな転機となった。
「現役時代はいろいろなキッキングコーチの指導を受けてきたのですが、みんなその人の経験でしか物を教えてくれないので全然ピンとこなかったんです。『それはあなたのやり方でしょ』とずっと思っていた。ところが、僕がサントリーのバックスコーチに就任して間もないころ、エディーがデーブ・アルレッド(※1)というコーチをスポットで連れてきてくれて、彼のコーチングを受けるとキックがすごく向上したんです。もちろん僕はすでに引退していたわけですが(笑)、ボールをまっすぐ飛ばすメカニズムを教えてくれる彼の指導を理解すると上手く蹴れるようになった。人それぞれ、蹴り方やアプローチの仕方は違います。でも、誰にでも通じる普遍的な指導で選手の能力を引き出してくれたんです。これこそがコーチの仕事であり、コーチングはこうじゃなきゃいけないなと気付いた瞬間でした」(沢木監督)
※1)元イングランド代表。ジョニー・ウィルキンソンら名キッカーを育成したキッキングコーチ
沢木はその後、サントリーのヘッドコーチを経て2013年にU20日本代表のヘッドコーチに就任する。U20の世界大会であるジュニア・ワールド・チャンピオンシップ(以下:JWC)からその下部にあたる大会に降格していたU20日本代表を指揮し、就任2年目の2014年に同大会で優勝し見事昇格。JWCへの返り咲きに成功した。
「いまの若い世代へのアプローチの仕方など、すごく勉強になりました。彼らが持っているものをいかに引き出すかということを考えた結果だと思います。厳しい練習を課してもそれを何のためにやっているかということを理解させればやってくれますし、それが成功に結び付けばより厳しいこともやってくれる。試合に負けようがやってきたことの小さな成功例をちょっとずつ積み重ねていったことが自信につながり、JWC昇格という結果が出せたわけです。いまはあれだけ厳しく指導してきた当時のU20のメンバーがサントリーに入ってきてくれています」(沢木監督)
そんな頼もしい若手が増えてきたサントリー。監督2年目のシーズンも目標は2年連続の2冠だ。そのために必要なこととは?
「チャンピオンになるために一番大事なのは、昨季のチームを越さないといけないということです。今季のスローガンは『STAY HUNGRY』。現状に絶対満足せずハングリー(貪欲)であり続けるということです。6月11日にはワラターズ(※2)と対戦するのですが、日本代表やサンウルブズ(※3)のメンバー、ケガ人も当然出られません。いまいる若手、純和製のヤングメンバーでどれだけチャレンジできるか、ということがこの春のターゲットです」(沢木監督)
※2)スーパーラグビーに参戦しているオーストラリア・シドニーが拠点の強豪チーム
※3)昨年からスーパーラグビーに参戦している日本チーム
こうした高い壁を乗り越えた先にしか2冠はあり得ないーー。そんな強い決意をにじませる沢木は、2019年に開催されるラグビーワールドカップ日本大会に対しても強い思いを抱いている。
「2019年大会には何らかの形で関わりたいですね。それがコーチなのか、違う形なのかはまだわかりませんが、日本でワールドカップが行われるのはたぶん一生に一度。絶対に成功させないといけません。それがラグビーをやっている人間の責任です」(沢木監督)
沢木は続けた。
「いまいる立場でしっかり結果を出すことが、次のオプションにつながってくると思います。勝てないコーチに需要はありません」(沢木監督)
サントリーで実績を積み重ねた先には、かつて自身がプレーし、コーチも務めた日本代表という存在がある。もちろん直接的な表現ではなかったものの、その言葉からは“いつの日か日本代表を率いたい”、そんな強い意欲が伝わってきた。
写真撮影/齋藤龍太郎(楕円銀河)
現役時代プレー写真撮影/長尾亜紀