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2018/3/28 18:00

小さな車にこだわり続けた111年ーーダイハツ工業今昔物語

ダイハツ工業は1907年、「発動機製造株式会社」として創業した。そこから111年。同社は「人々の暮らしに寄り添うクルマ作り」を続けている。本記事では、代表モデルと歴史を振り返り、同社の躍進を紹介していこう。

 

 

国民の生活に寄り添うダイハツという強い味方

ダイハツはコンパクトで経済的なクルマ作りが得意だ。その歴史は古く、明治40年へと遡る。創立時の「発動機製造株式会社」は、農業国から工業国へとシフトするために設立されたガス発動機を製造・販売する会社であったが、のちに大阪にある発動機製造の「大」と「発」を取って「ダイハツ」へと変更。その後、小型車を中心に個性的なクルマを世に送り出すメーカーとして成長を遂げたことは周知の事実だ。

 

現在は日本国内にとどまらず、アジア圏を中心に生活を支えるクルマたちを送り出し、人々の生活を支えている。「絶対になくてはならないクルマ」。それこそがダイハツの魅力なのである。

 

 

【DNA1】働く人を支えるクルマ作り

ダイハツ ミゼット(1957年〜1972年)

ミゼットは軽三輪自動車。初代のDKA型は単座のバーハンドルを採用し、8PSを発揮する249㏄単気筒エンジンに3速MTを組み合わせていた。サイズは全長2540㎜×全幅1200㎜×全高1500㎜とコンパクト。

 

↑初代ミゼットはバーハンドル仕様。屋根は幌式となり、ドアも付いていないシンプルな構成だった

 

↑小さな荷台のように見えるが、最大積載量は300㎏。車両重量とほぼ同じ重量を積載できた。燃費は28㎞/ℓ

 

ミゼットが果たした役割——街のヘリコプターが経済成長を支えた

昭和の高度経済成長を支えた立役者。小回りが効き経済的なミゼットは商店や小さな町工場のトランスポーターとして大活躍。「街のヘリコプター」のキャッチコピーが話題となり、同車は大ベストセラーを記録した。

 

【最新モデルはコチラ】ハイゼットトラック

コンパクトなボディと荷台を持ち、高い経済性で人々の暮らしを支える軽トラックの最新作。ミゼットの意志を受け継ぐダイハツの根幹だ。

 

 

【DNA2】人々の生活を豊かにする小型車作り

ダイハツ シャレード(1977年〜2000年)

全長3460㎜×全幅1510㎜×全高1360㎜のコンパクトなボディに、60PSの最高出力を発揮する1ℓの直列3気筒SOHCエンジンをフロントに搭載したFFモデル。ラインナップは3ドアと5ドアがあった。

 

↑シートはカジュアルなチェック柄を採用。現在ではあまり見られなくなったデザイン手法で、新鮮に映る

 

↑FFならではの足元の広さが快適性を演出している。「5平米カー」のキャッチコピーが伊達ではない証拠

 

シャレードが果たした役割——小型FFモデルは3気筒エンジンの先駆け

FFコンパクトモデルへの挑戦として誕生した同車は、第二次オイルショックの影響もあり、ダイハツ始まって以来の大ヒットを記録した。新時代のファミリーカーとして1978年のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞。

 

【最新モデルはコチラ】トール

コンパクトなボディサイズながら、室内空間を最大化したトールワゴン。経済的な1ℓエンジンとクラスを越えた快適性が魅力だ。

 

 

【DNA3】ドライブの愉しさを具現化したクルマ作り

ダイハツ コペン(初代)(2002年〜2012年)

耐候性に優れたルーフを持つオープンモデル。約20秒という短時間でトランクへと収納可能だ。659㏄の排気量を持つ直列4気筒エンジンにツインスクロールのターボチャージャーを搭載し64PSの最高出力を発揮。

 

↑初代のコクピットまわり。シンプルな室内だが、3連メーターが特徴だ。ミッションは5速MTと4速ATを用意していた

 

↑ルーフトップをクローズにすれば、ラゲッジの容量は十分。初代(写真)からゴルフバッグを1個収納できる広さがあった

 

↑1965年、コンパーノ ベルリーナのオープンモデルとして登場したコンパーノ スパイダー。140㎞/hの最高速度を誇った

 

コペンが果たした役割——空との距離を近づけた本格ライトウェイトスポーツモデル

軽自動車という高い経済性を武器に誕生したコペンは、趣味性の高かったオープンカーを身近な存在へと押し上げた立役者だ。走る楽しさはもちろん、爽快感も素晴らしく、中古車市場ではいまもなお高値で取引される。

 

【最新モデルはコチラ】コペン(現行)

↑第二世代へと進化を遂げた現行モデル。樹脂製の外板パーツを交換して着せ替えが可能だ。全3タイプをラインナップ

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