18日朝、大阪北部を中心に震度6弱を観測した地震。震源地近くにある我が家でも、かなり揺れた。
ちょうど、娘2人がいつもより遅い朝食をとっていたときだった。地から突き上げるような強い揺れ。思い出すだけで、恐怖が蘇る。
39年間生きてきたなかで、今回が一番大きな揺れであり、精神的にもダメージが大きかった。けれど、地震を体験したことによって、家の中の家具の配置や収納の仕方、注意しておくべき点が浮き彫りになった。
今回の地震を経て反省したこと
ズボラな私は最近、食器棚を開けっ放しにしがちで、その日も片方の扉が開いたままだったため、中からコーヒーカップや皿がいくつか飛び出してきた。シンク横には、洗った食器を乾かしておくラックがあるのだが、そこからも数々の食器やコップが落下。
食器棚は必ず閉めておく・洗った食器はすぐに片付ける(特に割れるものは即しまう)・刃物は絶対に出しっぱなしにしない、これは鉄則だ。
2階では、CDラックが2つ折り重なって倒れていた。もしも、地震の瞬間この場所にいたら…と思うとゾッとする。家具をしっかりと固定すること。「これくらいは大丈夫だろう」は通用しない。現に、他の家具は天井まで突っ張っていたため、何も落下していなかった。予め対策をしておけば、被害を最小限に抑えることができるのだ。
それから、高い場所にガラス製や陶器など割れる物を置くことは避ける。特に寝室には、頭上に落ちてきたら危ない物は置かない。
当たり前のことばかりかもしれないが、改めて家の中を見回してみると、危険な箇所が意外に見つかった。
それから、地震直後、備蓄できる食品や飲料水があっという間にスーパーから消えた。中に入ることすらできないほど、人が殺到していた店もあった。
これも、普段から蓄えておけば焦って買い集める必要はないのだから、いかに日頃から災害に備えておくことが大切かを実感した次第だ。
そして、私が今回一番「怖いな」と感じたことがある。
隣は何をする人ぞ?
地震直後、揺れがおさまって安全が確認できた段階で、娘たちを守りながら外へ避難した。とにかく、周囲の様子が知りたい。お隣さんは大丈夫だろうか?
だが、両隣からも、向かいのマンションからも、誰一人外に出てきていなかった。唯一、登校途中の小学生とその母親を発見した。その母子と一言二言交わせたことで、強張っていた心が少しだけ和らいだのだが。
お隣さんは家の中にいたのだろうか? ピンポンを押して、無事を確認してみようか。でも窓は開いているし、誰かいる様子なので、あえて訪ねていくのも気が引ける。周囲にはたくさんの住宅があるのに、なんだか自分と娘2人だけが取り残されたような感じがして、とても怖かった。
メールやLINEで遠方の友人が心配して連絡をくれたのは、本当にありがたかった。でも、リアルな誰かと、地震のことを「怖かったね」だとか「物が落ちてきてね」だとか、「あそこのスーパーには水がまだあったよ」だとか、ほんの些細なことでも構わないから、おしゃべりをして情報交換したかったのが本音だ。
実は我が家は、1カ月ほど前に引っ越してきたばかりの新参者。以前住んでいた場所では町内会があり、何かと地域の行事があり、ご近所さんで挨拶をしたり、おすそ分けをいただいたりしていた。
何より、大家さんがほんの数十メートルほどの距離に住んでいた。家の調子が悪いとき、何かあったとき、真っ先に大家さんに連絡をすると、すぐに駆けつけて様子を見てくれた。転勤族のため周囲に身内も誰もいなかった私達家族にとって、大家さんは心強い存在だったのだ。
「大家さん」という新しい家族の形
そんな私達家族以上に、大家さんと強い絆で結ばれている人がいる。お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんだ。彼はいま、まさに時の人だろう。処女作である『大家さんと僕』(矢部太郎・著/新潮社・刊)が、第22回手塚治虫文化賞の短編賞を受賞したのである。
『大家さんと僕』は、東京・新宿区のはずれにある木造2階建て一軒家の一階に大家さん、二階に矢部さんが住むという、ちょっと変わった共同生活が描かれたエッセイ漫画。御年90前の大家さんと矢部さんの面白おかしいエピソードの数々に、クスッと笑えて、ちょっとジーンときて、心がほっこりする。まさに、新しい家族の形だと言える。
風呂敷の使い方とか 美味しい紅茶の銘柄とか
梅が咲いて 桜が咲いて ツツジが咲いて 紫陽花が咲くこととか
新宿にもホタルがいたこととか
伊勢丹と ほうじ茶と 銀杏拾いの良さとか
引っ越すまでは忘れていました
ひな祭りも 綿あめの味も 戦争も
(『大家さんと僕』より引用)
どちらかというと、お笑い芸人の中ではあまり目立たない矢部さん。トークが苦手で、緊張すると大事なところを触ってしまう線の細い人、という印象だったが、大家さんと出会ったことで得た宝物たちを、味のある、そして抜群の間で描き上げられていて、大感動した。こんな素晴らしい才能を秘めていたなんて!
こんな時代だけど、だからこそ、やっぱり誰かと繋がっていたい
思えば、東京で一人暮らしをしていたとき、マンションの隣に住む人とは一度も遭遇したことがなかった。どんな人が住んでいるかもわからなかった。隣は何をする人ぞ。それが当たり前だったのだ。
今の時代、田舎特有のご近所付き合いを煩わしいと思う人は多い。もちろん、その気持ちもわかる。隣人に殺害されるなんて事件もあるし、他人を信用しすぎると痛い目に遭うことだってある。
けれど、今回のような災害が起こったとき。日常の中で何か困ったとき。ちょっと相談できて、ちょっと立ち話ができるような、そんなコミュニティが近所にあると、とても心強いなと感じた。
この辺りは転勤族が多く、あまり横の接点がなさそうだ。何かと世話を焼いてくれるお節介おばちゃんも見かけない。
だからこそ、もし今度ご近所さんを見かけたら、積極的に話しかけてみよう。「地震、大丈夫でしたか?」と声をかけてみよう。
大家さんと矢部さんほどの深いつながりでなくとも、いざというときに声を掛け合って、協力しあえるような関係が築けたらいいなと思う。
【書籍紹介】
大家さんと僕
著者:矢部太郎
発行:新潮社
1階には大家のおばあさん、2階にはトホホな芸人の僕。挨拶は「ごきげんよう」、好きなタイプはマッカーサー元帥(渋い!)、牛丼もハンバーガーも食べたことがなく、僕を俳優と勘違いしている……。一緒に旅行するほど仲良くなった大家さんとの“二人暮らし”がずっと続けばいい、そう思っていたーー。泣き笑い、奇跡の実話漫画。