音楽にとって、イントロはとても重要だ。イントロは、曲を聴くときに最初に耳にする部分。そこがしっかりしていないと、曲全体を聴こうという気にもならないだろう。
そんなイントロに焦点を当てた書籍が『イントロの法則80’s 沢田研二から大滝詠一まで』(スージー鈴木・著/文藝春秋・刊)だ。
1980年代は、いわゆる歌謡曲、ロック、テクノなどのジャンルが入り乱れ、そこから新しい音楽が生まれてきた時期。1971年生まれの僕にとっては、一番青春していた時代。やはり、1980年代の音楽というのは印象に残っているものが多い。
なぜ80年代歌謡曲のイントロが強いのか
ポップス音楽にとっては、イントロはとても重要だと言われている。特に、日本の歌謡曲というジャンルでは、その重要度が高いと筆者は語る。
「一億人を振り向かせてやる」という野心が、歌謡曲のイントロには、これでもかこれでもかと、詰まっているからだ。
(『イントロの法則80’s 沢田研二から大滝詠一まで』より引用)
1980年1月1日に発売された、沢田研二の「TOKIO」などは、それまでの重厚なロックギターの音色ではなく、セックスピストルズのようなパンクロック的な軽快な音色、いわばニューウェーブ的な印象。まさに、「80年代の夜明け」が感じられるイントロとして、本書では1番目に紹介されている。
80年代のイントロの法則とは?
本書には、寺尾聰の「ルビーの指環」、テレサ・テンの「時の流れに身を任せ」、少年隊の「デカメロン伝説」、渡辺美里の「My Revolution」、大滝詠一の「君は天然色」などなど、僕の知っている曲名ばかりがずらりと並ぶ。これだけでもう、十分楽しい。
それぞれに深い考察がなされているので、興味のある方はぜひ一読していただきたい。
最後には、「80年代イントロの法則」という章がある。ここで筆者は、80年代の曲のイントロにおける法則をいくつか提示している。
そのうちのひとつが「デジタル化」。アナログ楽器によるアナログ録音から、シンセサイザーや電子ドラムなどのデジタル楽器によるデジタル録音へ移行する過渡期にある80年代初頭は、その電子音自体が新鮮な印象を与えていた。しかし、徐々にデジタルな音で人間味を出すかという方向性に移っていく。その過程において、名作曲家、名アレンジャーが試行錯誤した結果、名イントロが多数作られたというのだ。
また、「エバーグリーン化」という法則も興味深い。この場合のエバーグリーンは、時を経ても色あせない名曲という意味だ。
大きな理由のひとつが、先ほどの「デジタル化」。80年代に少なからずデジタル化が進んだことで、現代でも耳なじみがいいため、エバーグリーンな曲が多いということ。
そしてもうひとつが「自給自足化」だ。70年代の日本の音楽は、洋楽の最新曲を目指して曲作りや音作りがなされていた。しかし、80年代は日本語ロックが定着。海外の音楽から脱却し、日本独自の音楽が生まれたことで、オリジナリティを追求するようになってきた。
具体的に言えば、「自給自足化」の結果としての「洋楽新譜信仰」の崩壊。「洋楽の新譜」=「目標にすべき新しい音」という道標を見失い、日本の大衆音楽が「日本人が、日本人の感覚で、日本人の聴き手だけ純粋に見つめて作った音楽」と化していく。
(『イントロの法則80’s 沢田研二から大滝詠一まで』より引用)
「洋楽の新譜」という目標がなくなったことで、逆にいつまでたっても古くさくならないということ。それが、20年30年を経過しても、色あせない理由なのだ。
曲も文章も、イントロは大事だ
僕にとって、80年代の名イントロといえば、佐野元春の「SOMEDAY」やハウンドドッグの「ff」、そして洋楽ではエアロスミスの「WALK THIS WAY」やボン・ジョヴィの「夜明けのラナウェイ」などが思いつく。
逆に、好きな曲でもイントロが思い出せない曲もある。歌の部分は思い出せるが、なぜかイントロが思い出せない。そう考えると、名曲がすべてイントロがいいというわけではないようだ。
音楽にとってイントロが重要なのは、バンドをやっていたときに結構感じた。やはり、イントロが強い曲は聴いてもらえる確率が高い。これはほかのバンドを見ても思った。
そして、文章も同じ。やはり書き出しがしっかりしていないと、最後まで読んでもらえない。特にWebが主体となった今、その傾向は強まっていると思う。
【書籍紹介】
イントロの法則80’s 沢田研二から大滝詠一まで
著者:スージー鈴木
発行:文藝春秋
「一億人を振り向かせる!」日本音楽史上最強の1980年代に大ヒットした数々の名曲のイントロに耳を傾けてほしい。あの時代のプロフェッショナルたちの野望と野心に触れれば、わずか十数秒で心をつかむ魔法の秘密が知りたくなる…。
楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
Amazonで詳しく見る